値引き交渉

 今回の引っ越しでは、いろいろな場面で交渉をすることになった。僕はもともと交渉事が苦手で、押しも弱く、攻め込まれるばかりであったが、以前に比べると年をとったせいか、多少、楽しんでいる部分もなくはなかった。

 交渉するときは落とし所を考えておかないと、なかなかうまくはいかないものである。落とし所を知るには、世事に詳しくなければならないが、そちらの方も僕は一向に疎く、これまで冷や汗もののことばかりだった。それで、今回、引っ越し業者を選ぶとき、ネットで、だいたいの相場を調べることから始めた。

 ところが、夫婦二人のケースを調べてみると、十数万円から五万円台までと、かなり幅があり、どの当たりが‘相場’だかよくわからない。時期的な問題もあるし、とりあえず、うちの経済状態も考慮して、七万円くらいを落とし所に設定し、大手のA社、B社、C社から見積もりをとり競合させる計画を立てた。

 まず、ネットで調べた限りでは三社のうちで一番料金の高かったA社から見積もりをとることにした。その見積もりを叩き台として、B社、C社からいい回答を引き出そうと考えたのである。

 A社の営業マンは平日の夜七時過ぎに来た。当初は土曜日に来てもらおうと思っていたのだが、先方から平日何時でも伺いますといわれ、この時間にしてもらったのである。まず彼は、家の中を回り、持っていく物と持っていかない物の確認を行い、見積もりの作成を始めた。彼が強調したのは、やはり時期的なことだった。

 「三月十七日(引っ越し日)で、まだ、よかった、これが、二十一日の祭日を過ぎていたら、どうにもなりませんでした」といった。しかし、と翻り、やはり、繁忙期に入っているので、料金はどうしても高くなってしまうといい、見積もりを出してきた。それを見ると、十二万円を超えていた。

 「これは、高いな」と予想外の金額に、僕が困惑していると、
 「でも、○○さん(不動産仲介業者)の紹介ですので、これくらいは値引きさせていただきます」と示した金額は十万円台だった。約二万円の値引きである。僕の考えていた七万円には、まだかなり開きがある。なおも僕が思案していると、
 「いくらくらいを考えていました」とずばり訊いてきた。

 ここで、本音をいっていいものかどうか迷った。七万円台で決着をつけたい場合、七万円というより、とりあえず五万円くらいのことをいって、ジリジリとやっていった方がいいような気もしたが、営業マンが「本音を聞かせてください」とたたみ掛けるようにいってきたので、「七万円くらいを考えていました」とあっさりいってしまった。やはり、交渉事は僕には向かないようである。

 今度は営業マンの方が思案顔になり、
 「それはちょっと厳しいかもしれません。時期が、三月でなければ、全然、その金額でいけました。ちなみに他の業者さんから、見積もりをとられる予定はありますか?」と訊いてきた。「ええ、明日は休日ですから、あと二社から見積もりをとるつもりでいますけど」というと、すぐに「どこですか?」と前のめりに訊いてきたので、「B社とC社からです」といった。営業マンはすぐに反応した。

 「C社は安くはなりません。というのも、C社の本拠地は相模原ですから、ここからは遠く、当然、その分、割高になります。B社はたぶんうちと同じようなものでしょう」
 「でも、他の業者の話も聞いてみたいと思っています」
 「それは当然です」といい、彼はしばらく考えていたが、「もし、70000円プラス消費税と保険料の74500円でしたら、どうでしょう?今日、契約してもらえるということでしたら、上司にかけあってみようと思いますけど?」といってきた。

 一気に契約という言葉が出たので、面喰ってしまった。何と答えていいかわからず、思案していると、
 「今日、契約してくださるというのなら、それで上司を説得してみようと思います。どうでしょう?この料金は、本日、契約するということが、条件になります」となおも押してきた。

 営業マンは明らかに他の二社を呼ばれるのを阻止しようとしていることがわかった。というのもネットの価格比較サイトでは評判はさておきC社の料金が一番安かったからである。B社に関してはこの営業マンのいう通りどっこいどっこいだろうが、A社の見積もりを提示すれば、それより低い料金を提示してくるはずである。

 A社の見積もりを叩き台にして、B社、C社からさらに安い料金を引きださせるか、あるいは、まだ見積もりを出していないB社、C社のカゲをちらつかせ、A社からさらに値引きをさせるか、僕が結論を出せず、考え込んでいると
 「いくらでしたら、今日、契約してくれます?」と営業マンがいってきた。74500円という金額は、今日、契約することが前提になっている。もし、今日は契約する気はありませんといったら、見積もりは先に提示されている十万円ということになるのだろうか?

 それが叩き台となった場合、B社やC社と交渉しても、それが半分以下になるとは思えなかった。このあたりが落とし所なのかもしれない。それに、本音をいえば、土曜日に引っ越し業者を呼んで、駆け引きするより、ゆっくりと休みたい気持ちが強くなってきたのである。

 74500円が底値のような気もしたが、だめでもともとという気持ちで
 「消費税、保険料込みで70000円だったら、今日、契約してもいいです」といった。
営業マンは、考え込んだ。そして、電卓をとりだすと、何やら計算をはじめ
 「では、料金は65000円、それに消費税と保険料を入れて、合計69250円ということでどうですか?」と訊いてきた。これ以上は厳しい気がしたので、「わかりました。その金額でしたら契約します」と僕はいった。

 「では、これから上司に了解を得るため電話します。それで、上司を説得するために、ひとつ条件をのんでもらわなくてはなりません。それは、時間の設定です。さすがにこの金額ですと、時間指定は厳しいです。それで、時間指定なしに同意してもらいたいのです。時間を指定しないかわりに、料金を下げるという形で、説得したいと思っているのです」

 僕はそれに同意した。さすがにこの時期は忙しいらしく、電話はなかなか上司に繋がらなかった。十五分くらい経ってやっと繋がり、営業マンは了承を得るため話始めた。「明日、B社とC社が来る予定になっています」と彼が上司にいっている声が聞こえた。それで、上司も決済したらしく、69250円でOKということになった。

 契約書を見ると、作業開始時刻のところが16時から18時になっていた。
 「これだと夕方の4時から始められるという可能性もあるわけですか?」と訊くと
 「いや、それはあくまで仮のもので、実際はかなり遅くなると思います。しかし、その日中には、作業は終えますから」と営業マンは笑った。

 この営業マンの話振りから、実際に引っ越しの始まるのは、六時を過ぎるのではないかと思っていたが、当日になって、予定していたのとは別のチームが、作業が早く終わって手が空いたというので、二時過ぎにやってきて、午後五時半に引っ越しは終わった。

 それにしても、引っ越し料金というのは、どうなっているのだろう。当初、十二万円台だった見積もりが、最終的には六万円台になった。約半額まで下がったのである。あるサイトをみていたら、「引っ越し業者の提示した金額をお客が了承すれば、それが料金となる」と書かれていた。(2013.5.29)


皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT