太宰治の作品の中に、「眉山」という短編小説がある。戦後間もない頃、主人公の小説家は新宿界隈の若松屋という飲み屋によく出入りしており、その家にはトシちゃんという二十歳前後の小説好きの女中さんがいた。主人公がその家に連れていく客は、画家や音楽家が多いのだが、小説がメシより好きだというトシちゃんは、連れも小説家だと早合点して、「こちらどなた?」と名前を知りたがるのである。 主人公は、そんなトシちゃんをうるさがり、いい加減なことを教えたりしていたのだが、川上という客を連れていった時に、彼女はその名前を聞いて、明治四十一年に亡くなっている川上眉山と勘違いする。それ以来、彼らはトシちゃんのことをカゲで眉山と呼んで蔑む。 主人公が客を連れてその家を訪れると眉山は皆がいる部屋の方ばかりにきて、何もわからないくせに自信たっぷりに話に割り込んでくるため、主人公はその無知と図々しさと騒がしさに我慢できなくなっていく。そして、眉山がいなくなると彼女の悪口を言い合い思い切り鬱憤を晴らすのである。 眉山がトイレに入った後は、四方八方にしょんべんが飛散して大洪水だとか、階段の昇り降りが乱暴だとか、味噌に片足を突っ込んで、そのままつま先立ちで便所に駆け込んだとか…。 酒を飲み過ぎ体の調子を悪くしていた主人公が回復して、新宿に繰り出すと飲み友達に肩を叩かれる。そこで、あの家にはもう眉山がいないことを聞かされる。トシちゃんは腎臓結核に侵されていたのである。小用が近いのもそのせいで、味噌を踏んだり、階段を転げ落ちるようにして降りてトイレに行くのも仕方なく、階段を登るときの大きな音も体が辛いのを無理していたからだったのである。両方の腎臓が侵されており、手遅れで手術もできず、あまり永くはないため、故郷の父親の元へ、送り返されたのだった。 ふたりはトシちゃんが夜中の二時、三時でもお酒といえば、たいぎがらずに起きて持ってきてくれたり、一生懸命つとめてくれたことを思い出す。トイレを汚してしまったことも、少しでもみんなのそばにいたかったため、がまんにがまんを重ねていたからだったのだ。主人公は地団太を踏みたい思いになり、その日から河岸をかえる。 この小説は太宰治の才能がいかんなく発揮されていると思う。主人公とその友達たちのトシちゃんに対する冷淡な態度を露悪的にえがくことによって、トシちゃんの透明な心の美しさと哀しさを際立出せている。僕は小説を読んで泣くということはあまりないが、この作品を読んだ後、涙が出た。最後の大逆転に耐え切れなかったのである。しかし、意外とこのようなことは、日常でも起きるようだ。 今から十年くらい前、僕はある会社でひとつの部署を任されていた。その会社は十一月から三月までが忙しく、毎年その時期になると多くのアルバイトを募集していた。部署が東京にあるうちは、大学生だとかフリーターとか、比較的若いアルバイトが多かったのだけど、埼玉に移転してからは近所の主婦が中心になっていた。 しかも、何年か経つうちに、人材不足が深刻化してきた。アルバイトを直接雇用しているうちはまだよかったのだが、派遣会社まかせになった頃から、いい人材が集まらなくなってきた。その理由は、はっきりしていた。契約していた零細の派遣会社は、面接に来た人を全員採用していたからだ。出勤初日に昼飯を食べに行ったきり、バックレてしまったり、自己評価が低過ぎてハナから難しい仕事は無理ですと自己申告する人や、昔はよかったと愚痴ばかりいっていた役者崩れの人までいた。 ある日、課長に呼ばれ、「頼まれていたアルバイト、中国人なんだけど、言葉に関しては問題ないからいいだろう?」といわれた。パソコンでリストを作成する仕事をしてもらうつもりだったので、「言葉はしゃべれても、読むことはできますか?」と訊くと、「中国人なんだから、漢字は問題ないだろう」といった。イヤな気がしたが、本人と会っていない以上、それ以上抗弁することもできず、来てもらうことになった。 翌日、派遣会社の人に連れられて、そのアルバイトが来た。ずんぐりとした四十代の女性で、縮れた栗色の髪の毛を後で結んだ目と鼻と口の大きい人だった。渡辺という名前で、よくよく話を聞いてみると彼女は台湾の出身で、日本人の男性と結婚していた。パソコンでリストを作る仕事ですというと、彼女の顔が曇った。パソコンは仕事で使ったことはあるが、得意ではないということだった。そして、それ以上に、漢字の読み方が今一つわからないという。 課長は中国人だから大丈夫と簡単に考えていたようだが、台湾と日本では同じ漢字でも読み方は違うし、また、台湾も日本もそれぞれ独自の略字があるため、わからない字も多いという。まずは仕事全体の流れを教えてから、リスト作成の作業を指導した。彼女の指は肉体労働者のように太く、荒れていてパソコンのキーボードを打つには不向きのような気がした。 パソコンの操作してもらうと初心者という感じでもなかったが、漢字に苦戦しているようで指の動きは緩慢だった。教えながら訊いたところによると、以前の職場ではパソコンの入力作業がよくできず、それがトラウマのようになっているらしい。別の仕事にまわしてほしいという思いが、言葉の端々に感じられた。 しかし、僕は半ば彼女の思いを無視した。パソコンを使わない仕事もあったが、すでに人が足りていたからである。ゆっくりでもいいからといって、表向きだけ彼女を慰めた。五時のチャイムが鳴り、出来上がった分を見せてもらったが、あまり進んでいなかった。彼女はすまなそうな顔をして帰っていった。翌日も同じ仕事をしてもらったが、あまり芳しくはなかった。 とりあえず、一週間くらいは様子をみようと思った。それで、どうしてもダメなら、別の人に換えてもらえばいい。本当に忙しくなるまでには、まだ間があるから、パソコンの得意な人がくれば問題なかった。 土日を挟んで月曜日、驚いたことに渡辺さんは僕が頼んだリストを印刷してもってきた。事情を訊くと、ノートパソコンとプリンタを買い、家でやったという。彼女が家で打ってきたリストはフォントもポイントも違うため使えなかったが、彼女の努力に感動した。僕はそれまでの彼女に対する気持ちや態度を恥ずかしく感じた。そして、どんなことがあっても、彼女を使っていこうと思った。 しばらくすると、渡辺さんは思わぬ才能を見せ始めた。彼女は周りに目の行き届く人で、他の人たちが仕事のしやすい環境を自然とつくっていった。例えば同じ部署の人間がコピーを取りに自分の後に並んだりすると、自分のコピーの終わった後、その人の設定にしてから立ち去ったり、備品が少なくなったら、補充したり、他の部署に用事にあるときは、ついでがないか訊いてからいったりと、彼女がいることによって以前よりも仕事が滑らかに回るようになってきた。 そして本職であるリスト作成でも、吸収が早かった。彼女が家で打ってきたリストの文字のフォントやポイントの間違いが幸いしたのである。会社のパソコンは作業しやすいように予めフォントやポイントが設定済みになっているため、意識する必要はないのだが、間違えたことによって、そういうものがあるということを彼女は知ることが出来た。 フォントやポイントの設定の方法や読み方のわからない漢字の入力の仕方など、いろいろと彼女に教えた。彼女も新しい知識には貪欲だった。暇な時には仕事に必要なかったが、Excelを使った給与計算表の作成など、パソコンの練習をしてもらった。そして一年後には自宅のパソコンを使い、自分で撮影した映像の編集をやるまでになったのである。 渡辺さんはもともと短期の予定だったが、課長にねじ込んで長期契約にしてもらった。「中国人はイヤだっていってたじゃないか」と課長は皮肉をいったが、こんなに努力を惜しまない人を辞めさせるなんてもったいないと思ったし、何より、僕は彼女といっしょに仕事をしたかった。彼女の評価は当初と大逆転した。 自分の視野の狭いつまらない思い込みによって、人の評価を誤ることがあるのを痛切に思い知った気がした。ある程度の時間、向き合わなければその人間の価値などわからないものである。早く結論を出すことがすぐれているように思われがちであるが、そんなことはない。それはただの独り合点に過ぎない。その人のほんとうの姿を見出すのは、時間のかかることだと思う。(2012.4.21) |