監視社会

 大阪府立和泉高校の卒業式で校長が教頭らに、君が代斉唱時に教師が本当に歌っているか口元をチェックさせていたことは、マンガ的であり、マヌケに思ったが、同時にある怖さを覚えさせた。これは、昨年の六月に施行した学校行事での君が代斉唱時に起立と斉唱を義務付けた大阪府条例を踏まえて行われたものである。

 大阪府教育委員会の委員長が「はたしてそこまでする必要があるのか」との疑問を呈した他、各メディアも概ね否定的に伝えていた。それに反発するように橋下市長は「よくそこまでやってくれた」と記者会見で発言した。

 この報道を聞いて、シリアの秘密警察や江戸時代の五人組という言葉さえ思い出した。シリアは石を投げれば秘密警察にあたるといわれているほどの監視社会で、不穏な行動や言動をする者がいないか見張っていて、大統領の悪口や批判をすると、逮捕され刑務所行きである。秘密警察は別の職業をしており、街に溶け込んでいるので、誰が警官かわからないのである。

 五人組とは江戸時代の相互監視システムで、お互いに監視し合い、組内にキリスト教徒がいたら密告させ、犯罪者が出た場合は組中の者を罰し、年貢米を納める責任を共同でもたせた。ひとりが問題を起こすと連帯責任になるため、迷惑をかけられないようにお互いがお互いを監視するシステムによる精神の委縮は想像を絶するものがあったであろう。日本人は、未だにこの五人組の精神状態から抜けきっていないような気さえする。

 結局、和泉高校の君が代斉唱時口元チェックでは三人の教師が歌っていなかったのではないかと嫌疑をかけられ、そのうち一人が歌っていなかったことを認めた。処罰をするかどうかは検討中ということであるが、そもそも、卒業式で教師の口元より、もっと見るものがあるだろうと思う。本末転倒という言葉があるが、正にそれにぴったりの出来事であった。

 もし仮に、僕がこの高校の三年生で、卒業式でこのようなことが行われていたと聞いたら、イヤな気分になったと思う。神は細部に宿るという言葉があるが、この話を聞くと悪魔も細部に宿ると思えてくる。独裁者は、監視社会がお好きで、それは不安の裏返しだ。最近の橋下市長の彼を批判する者に対しての切れ方は異常で、病的な感じさえする。何故、彼がこれほどもてはやされるのか、僕にはさっぱりわからない。しかし、これは必ずしも大阪だけのことではない。

 今の職場で同僚によく思われていないパートのおばさんがいる。嫌われているせいなのだろう、彼女の行動は逐一誰かに見られていて、少しでも問題があると、それを言いふらされ、酷い場合には課長にチクられたりしている。

 彼女は十時からの出勤になっているようなのだが、どうも会社に来る時刻が多少早いと気づいた人がいた。仮にその人をAさんとすると、Aさんは彼女のタイムカードを見て、何時に出勤しているか確認した。タイムカードは、紙に打刻するものでなく、パソコンで管理しているので、それを確認するためには個人コードの入力が必要となるのだけど、どうにかして彼女の個人コードを割り出して確認すると、ほとんど毎日九時四十九分になっていたという。

 今の会社は十分単位で時給がつくため、そのパートのおばさんは毎日十分余計に時給をつけていたことになる。そういえば、帰りもロッカーで話しこんでいることが多いと思いだしたAさんが、次に帰りの時刻を見ると、これまた計ったように十七時十分になっていたという。つまり、このパートのおばさんは合計で一日二十分多く時給を発生せていたというのである。

 この話を聞いたとき、このようなことは、比較的多くの人がしているので、そんなことどうでもいいじゃないかと思ったが、しばらくして、ここまでチェックされるということを考えると怖くなり、自分も会社での態度を改めなくてはいけないような気にさえなった。

 また、別の例では昼休みにインターネットを使っていたことだけで、上司に告げ口をされた人もいる。勤務時間中は使用禁止という‘お達し’が出ていたが、それを過度に解釈した人がいたようである。告げ口をすることにより、自らの会社への忠誠心というものを知らせたかったのかもしれない。ともかく、自発的に職場の仲間の監視をする人が増えるというのは、恐ろしいことである。

 何故、人は自発的に監視をするようになるのだろうか?会社での例を考えると、ずるいことをしている人を、排除したいと考えるからだ。会社の環境というのは多くの人にとって、息苦しいものだ。自分も息苦しいのをガマンしているのに、息を抜いている人間のいることを許せない人がいるのである。一人をスケープゴートにすることにより、他者への引き締めにもなる。

 やがて、会社は美しく澄んだ秩序の世界になる。しかし、そこに人間はいなくなる。人の姿をした機械が存在するだけである。(2012.3.27)


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