或る酪農家の死

 福島県相馬市で酪農をしていた男性が、堆肥小屋で首を吊って死んでいるのが発見された。遺体のあった堆肥小屋の壁には「原発さえなければ」「こういう形になり、すいませんでした」「残った酪農家は原発に負けないで」などチョークでそれまでの想いが書き遺されていた。

 この男性は約三十頭の牛を飼育しており、大震災に続く原発事故以来、牛から原乳を搾り廃棄するという毎日が続いていたが、今月上旬、乳牛を全て売り払い、酪農を廃業した。妻と子供たちは妻の故郷であるフィリピンに避難していて、独りで生活をしていた。交流のあった酪農家の話では、「豪放磊落な人柄で、とても自殺するようには見えなかった」という。

 原乳の出荷停止による損害賠償の仮払金を貰ったが、‘仮払い’のため返却しなくてはならなくなるかもしれないと気に病んでいたそうで、昨年、新たに建築した堆肥小屋のローンも残っている状態で、遺された書き込みからも金銭的に苦しかったことが想像できる。そして、家族と離ればなれになっていたことも、焦燥感を強めた一因となったようである。

 しかし、「原発さえなければ」と彼が書き遺したように、何といっても元凶は‘原発’にほかならない。原発事故により、酪農を廃業せざるをえなくなり、明日が見えなくなってしまったのかもしれない。そして、本来なら被災者の不安を取り除く使命のある政治が全く機能していないのも、さらに絶望感を深めた要因ではないだろうか。先日の内閣不信任案をめぐる与野党、特に民主党の醜態は政治家の姿を浮き彫りにした。

 被災地の復興に全力を注がなければいけないときに、政局に明け暮れて…という意見はとりあえず置いておくとして、管政権では被災地の復興や原発事故の対応は無理だという判断で内閣不信任案が提出され、民主党の一部も同調する動きを見せたということは、余程、危機感を持っていたはずである。

 ところが、鳩山前総理と管総理の会談で流れが変わり、内閣不信任案に賛成票を入れるつもりだった民主党のほとんどの議員は態度を一変させ欠席もしくは反対票を入れた。それは、管総理が辞意と固めたとされ、それらしきことを民主党の総会で発言したことによる。野党の出した不信任案に賛成すれば、民主党を除籍になる可能性が高く、管総理が自ら辞めてくれるのなら、危ない橋を渡る必要はないという生ぬるい判断があったのだろう。しかし、その後、‘辞意’について言った、言わないの水掛け論になり、前総理が現総理をサギ師呼ばわりするという前代未聞のことまで起きた。

 この一連の虚しい出来事を見ていえることは、政治家に全く当事者意識もなければ危機感もなく、一番大切なのは自分ということである。あれだけの大災害が起き、その後の原発事故も重なって、本来ならそれらに全力で取り組まなくてはいけないのに、彼らの姿からは真剣さを微塵も感じることができない。

 管内閣では無理だ、だから内閣不信任案を成立させて、新しい指導者の元、全力で被災地の復興に尽力する。それはいい。本当に能力がないのであれば、退陣してもらった方が早くことは進むだろう。それなら、それで、野党の提出した内閣不信任案に、賛成をして管内閣を終わらさなければならなかったのではないか。ところが、‘剛腕’と呼ばれている政治家は、管総理の曖昧な‘辞意表明’に満足して自主投票にしてしまった。彼に被災者に対する真摯な想いと政権に対する絶望感があれば、何があっても総理のクビを切らなくてはいけなかった。翻れば、彼の現状認識に危機感が、全くなかったということである。

 政権に協力するわけでもなく、かといって身を捨てても変えようとする真剣さもなく、結局はいつも通りの政局ゲームをしていたに過ぎない。‘剛腕’と呼ばれていた政治家は、ただ選挙に強いだけで、中身は空っぽなのかもしれない。態度を変えた他の政治家も、同じである。東北がこんな状態であるのに、彼らにはその認識が全くなく、考えているのは自分のことだけである。

 元総務大臣は「野党の出した不信任案でも賛成します。大切なのは民主党を守ることではなく、国民を守ることですから」といっていた翌日、「野党の出した不信任案に賛成するのは邪道」とあっさりと前言を翻した。こんな政治家を信じることができるだろうか?

 ‘辞任’を表明したとされる管総理が、続投に意欲を示し始めたことで、政局はますます混迷の度合いを濃くしている。あまりにも、政治が悪過ぎる。平常時だったら、政局ゲームも結構だが、今の日本は非常時なのだ。そのことに考えが及ばず、相も変わらずお粗末な発言や、行動ばかりである。僕が被災者だったら、どんな気持ちになるだろうか?抗議のために自らの命を投げ出そうと思うだろうか?いや、いや、彼らは抗議する価値もない人々である。

 相馬市の酪農家の自殺は残念である。たとえ、先が暗くて何も見えなくても、陽が一向に差しそうになくても、生きていてほしかった。生きていれば、いつかきっと光が見えてくる。(2011.6.22)


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