叱る人

 二十代半ばの頃、勤めていた会社に二人の女性社員がいた。彼女たちは僕の上役で、二人とも同い年だった。のみならず、苗字までいっしょだった。そして親友と呼べるほど仲が良かった。ふたり並ぶと僕の子供の頃人気絶頂だったピンクレディを連想させた。顔は似ていなかったが、背格好が似ていたのである。Aさんはケイチャンのように細身で、Bさんはミーちゃんように長身でやや肉感的な感じだった。

 好きなマンガから、よく聴く音楽まで、何から何まで二人はウマが合っていた。違っていたのはAさんは既婚者だが、Bさんは独身であること、そして他の社員に対する関わり方だった。それに関しては、二人は全くといっていいほど、正反対だった。

 Aさんは後輩のミスをみつけると事細かく注意し、よく叱っていた。それに対してBさんは特に叱るということもなく、曖昧に笑ってやり過ごしていた。当然のように後輩の社員たちは煩いAさんを徐々に敬遠するようになり、何も言わないBさんを慕いだすようになった。きついAさんに優しいBさんという構図が出来上がった。

 しかし、僕は何となく、それに違和感を覚えていた。二人とも基本的には優しい人だが、優しさの種類が違っているように思えた。Aさんは細かくて煩い一面はあるが、面倒見はよかった。一方、BさんにはAさんのような細かさはなく、何につけても大らかだったが、あまり親密ではない人には淡泊なところがあるように思えた。

 ある日、仕事の終わった後、僕はふたりと飲みに行った。それまでは酒の席で仕事の話はほとんど出なかったのであるが、その時は会社が傾き出した頃で、仕事の話題ばかりだった。その席でAさんは「ミスを見つけたらもっと注意してよ。あなたへらへらするばかりで、何も言わないんだもん」とBさんに文句をいった。

 Bさんは「だってあんな奴らに注意したって無駄なだけだよ。放っておけばいいの。最後に痛い目見るのは彼らなんだから」といった。Aさんが笑いながら「もう!」というと、Bさんは「ホントに何もわかってないわよね。私を優しいと思って寄ってくるんだからさ。ホントに優しいのは誰かっていうこともわからない連中なんだからムリ。ミスしたときに注意して叱れば怖い、ニコニコしてれば優しいってもんじゃないでしょ。そうでしょ、Hくん?」といった。僕が頷くと、Aさんが「でも、叱って。そうしないと成長しないからね」とBさんに念を押した。

 叱ってくれる人が本当は優しいという当然といえば当然のことを、あまりに鮮烈に目の前で見せられ、僕は新鮮な驚きを覚えた。彼女たちはそれを自覚していたが、それを受け取る側が何もわかっていなかったのである。よくテレビなどで、最近、近所の恐いおじさんや煩いおばさんがいなくなったと嘆いている場面を見るが、そんな人は僕の子供の頃から、いなかった。そして、最近では職場でも相手のことを考えて叱る人は、少なくなっているように思う。

 現在働いている職場でも、それを痛切に感じた出来事があった。数年前、部署に比較的若い社員のCさんが配属されてきた。彼は部署の係長と以前いっしょに働いていた時期があり、仲が良かった。その係長はいろいろと問題のある人物で、他の社員やパートさん達からは総スカンという状態だったので、その若い社員が唯一の味方という感じになった。

 二年くらい経った頃、部署の仕事は減る一方になってきた。将来を考えると、仕事が先細りになっていくのは確実な情勢なので、課長からCさんに手の空いたときは、デジタル関係の部署に行って、勉強するようにという指示がでた。彼は仕事の暇なとき、デジタル関係の部署に行くようになったが、あまり気が進まないようで、徐々に足が遠のき、そのうち全く行かなくなってしまった。

 Cさんが新入社員だったら、或いは他の部署で新しい仕事の勉強をするということに意欲的に取り組めたかもしれない。彼より若い社員に仕事を教わることに、抵抗があったようである。当然、他の社員から係長に対して、手の空いている時はデジタルの勉強をしに行くようにCさんに注意するべきだという意見が出た。しかし、係長は何も言わず、Cさんの好きなままに任せてしまったのである。

 係長は何故、課長の指示を実行しないCさんを注意しなかったのか?不慣れな部署で後輩たちに指示を受け働くCさんを可哀想に思い、注意したくてもできなかったのであろうか?Bさんが後輩を注意しなかったのは、自身の面倒臭さがり屋の性格のためだが、係長は自身が注意することによって、Cさんに嫌われるのを恐れたためだと思う。彼に疎まれるということは、唯一の味方を無くすことになるからだ。

 もし、係長が本当にCさんのことを思っていたら、尻を叩いてでもデジタル関係の部署に行かせていたはずで、結局、係長は自分のことだけしか、考えていなかったのである。このことでCさんは課長からやる気のない奴と見なされ、−実際にやる気はないのであるが−、一年近く社員でありながら辞めたアルバイトのやっていた仕事に回されてしまった。

 Cさんがあまり重要ではない仕事に回されてしまった一義的な責任は彼自身にある。しかし、Cさんに嫌われることを恐れて何も言わなかった係長の態度は、あまりにも情けなく無責任な気がした。ペルー人である妻の親戚や友人などを見ていると、お互い言いたいことを言い合いながら、良好な関係を保っている。それに比べると日本人の対人関係は、相手の話にただ同情的に頷いているだけか、一方的に反発するかという両極端に偏っているように思う。他者と大人の関係の築けない人が多いのかもしれない。

 もちろん、口うるさく他人を注意する人全てが、必ずしも相手のことを考えて叱っているわけではない。自身の溜まったストレスの発散になっている場合も少なからずあると思う。しかし、それはよく考えればわかることである。要は、日常においても、仕事においても、注意し叱ってくれる人を、むやみに疎まないことである。彼らは貴重な存在なのだから…。(2010.10.8)


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