昔に戻りたい?

 テレビドラマを見ていたら、主人公の女性が中学生時代に戻りたいという台詞を言った。ドラマでの彼女の年齢は45歳という設定になっているので、約30年前ということになる。この台詞を聞いて、そういえば前に職場の人たちと昔に戻れるとしたら、何歳のときに戻りたいかという話題で盛り上がったことがあったのを思い出した。ある人は高校生、またある人は小学生といったが、僕自身、昔に戻りたいと思ったことは一度もない。

 昔に戻りたいと思わないのは、常に現在が最高だというわけではない。せっかくこの年まで生きてきたのに、また昔に戻って生き直すというのはしんどい気がするからである。しかし、人はどのようなとき、昔に戻りたいと思うのだろうか?人がそう思うとき、後悔があるような気がする。

 ドラマの中で主人公の女性は現在の生活への深い絶望感と昔の輝いていた頃の自分への羨望から、「昔に戻りたい」と思う。現実が辛く、昔の楽しかった頃へ戻りたいと思うのは現実からの逃避で、その基点になっているのが過去の行動や選択に対する後悔の場合が多いのではないだろうか。

 あの時、別の道を選んでいたらどうなっていたのだろうと思うことがある。AとBの選択肢があり、Aを選び辛い状況になって来た時、Bを選んだら別の局面があったのではないだろうかと考え、あの時に戻りたいと思うことはある。

 テレビドラマの女性の場合、中学生時代、好きだった人と別の男性と結婚し、それなりにうまくいっていたが、夫がリストラにあったことにより働く意欲をなくして、家に閉じこもるようになってから、家庭がおかしくなってくる。そんなとき同窓会で好意を寄せていた人と再会し、昔のあの頃へ戻りたいと思うのだ。人は何故、後悔するような道を選択してしまうのだろうか?

 かなり年上の子連れの男性と結婚した女性の友達がいる。夫婦仲もよく、連れ子との関係もうまくいっていたのだが、夫が50代半ばで突然会社を辞めてしまってから、ふたりの間がおかしくなってくる。

 1年間は退職金と失業保険で、まあまあの生活ができていたようであるが、失業保険が切れた頃からマンションのローンなどが生活を圧迫し始め、ケンカが絶えないようになる。彼女は夫に早く仕事を見つけるようにいうが、夫はあまり働く気がなく、また、50代半ばという年齢もあってなかなか仕事に就けない。しびれを切らせた彼女は期限を切って、その日までに仕事を見つけなければ離婚すると夫に申し渡す。たぶんだめだろうと彼女が思っていると、期限ぎりぎりになって夫は仕事を見つけてきて、何とか離婚は回避できたのだが、その仕事は倉庫でのアルバイトで、彼女の言葉を借りれば「びっくりするくらい安い給料」ということになり、「結婚する相手を間違えた」と彼女は嘆息するのである。

 後悔するような選択をしてしまう理由のひとつに情報不足ということがある。結婚にしても、就職にしても事前の情報が少なかったり、間違っていたりして、誤った選択をしてしまうということはよくあることである。また、それなりの情報を持っていたとしても、その解釈を間違ってしまうということもある。

 僕が長く勤めていた会社を辞めたのは、会社にずっといることが怖くなってきたからだ。その怖さとは、未来が決まってしまう怖さだった。30代後半だった僕は、あと数年、この会社で働き続ければ、辞める自由が失われてしまうと思ったのだ。そして定年までずっとこの会社で働き続けなければならないと考えた時、棺桶の中に閉じ込められたような気持ちになった。僕は決まってしまいそうな未来を曖昧なままにして残しておきたかったのだ。

 会社を辞めた後、厳しい状況になることは覚悟していた。しかし、その辛さはその覚悟を遥かに超えた。時を戻せればとまでは思わなかったが、自分の出した答が安易だったような気がした。僕の場合、当時の失業率や有効求人倍率などで厳しい社会状況であることはわかっていたが、それを甘く考え過ぎていたため、自ら辛い状況を招いてしまったのだ。

 しかし、難しいのは、もし、僕が当時の社会状況を的確に判断して、会社を辞めるべきではないという結論を出した場合、それを後悔することはなかっただろうかと考えると、わからないということなのだ。想像と現実を比較することはできない。確かに、会社を辞めた後、仕事もなかなか見つからず、死を思うまでになったが、そのおかげで現在の妻と知り合うことができたわけだし、人生というのはどう転ぶかわからないからだ。

 友達の女性の場合、夫が突然会社を辞めてしまい、再就職もままならない状況になったため、結婚したことを後悔することになったが、それまでの十数年の結婚生活はうまくいっていたのである。つまり、後悔するかしないかというのは、ほとんど結果論なのである。

 後悔を思うとき、人はあのときああしていれば…と考える。しかし、重要なのは過ぎてしまった‘あの時’ではなく、‘今’なのだ。岐路に立った時、どのような選択をするかというよりも、選択をした後の生き方の方が大切なのではないだろうか。(2010.5.29)


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