現在、勤めている会社までの通勤時間は20分くらいである。朝は8時35分に家を出れば間に合うし、5時に仕事を終えて、真っ直ぐに帰宅すれば、5時20分過ぎには家に着いている。しかし、通勤時間が短いのを、うれしいと思ったことはあまりない。いや、むしろ何となく物足りない気さえする。 僕はこれまでいくつもの会社に勤めてきた。その通勤時間は長いところで1時間40分、短いところで10分だった。しかし、遠距離通勤を辛いと思ったことはあまりなく、短いところの方がいろいろと問題の多かった記憶がある。 専門学校を卒業して初めて勤めた職場は東京の府中にあり、東京の城南にあった自宅から1時間30分かかった。会社の始業時刻は8時30分だったので、7時前に家を出ないと間に合わなかった。私鉄からJR、そしてまた私鉄と3度も乗り換えがあり、さらに最寄駅から20分程度歩いたところに職場はあった。しかし、不思議と通勤を辛いと思ったことはあまりなかった。 それは朝早く家を出なければならなかったため通勤ラッシュは始まっておらず、電車の車内は空いていたし、特に新宿から乗る京王線は始発でさらに下りだったため、いつでも座ることが出来たからだ。もし、僕が東京の郊外か他県に住んでいて都心に職場があり、毎日、すし詰め状態の通勤電車に揺られていたら、遠距離通勤など真っ平だと感じていたと思う。 ゆっくり座ることのできた通勤電車での愉しみは何といっても睡眠と読書だった。朝、職場に行くときは睡眠で、帰りは読書だった。どちらも熱中し過ぎてよく行き過ぎてしまうことがあった。会社帰りの電車で読書に夢中になって行き過ぎてしまった場合はそれほど気にならなかったが、朝、電車の中で寝過してしまった場合は、かなり焦った。 初めて寝過してしまったときなど、反対側のホームへ急ぐあまり、踏切の遮断機の下を抜けようとして、駅員に止められた。また、埼玉県にある会社に勤めていたときは、池袋から東武東上線で通っていたが、電車の中で寝てしまい「次はカスミガセキ」という車内アナウンスで目が覚め、びっくりしたことがある。あの官庁街の霞が関と勘違いして、自分が一瞬何処にいるのかもわからなくなり、もう一駅乗って周りの様子を確かめた。官庁街の霞が関は地下鉄のはずだが、今過ぎたカスミガセキは普通の住宅街で、何となく状況がわかったのだった。 そして遠距離通勤のうま味は何といっても定期券だ。僕は東京の城南地区に住んでいたので、特に埼玉県にある会社に通っていた時など、渋谷、新宿、池袋が通勤路になっていて、休日出かけるとき、電車賃をほとんど払わずにすんだのだ。 他に遠距離通勤でいいのは精神的な面で、職場でイヤなことがあっても、長く電車に乗っているうちに気分が変わり、家の中までイヤな気持ちが続くことはあまりなかった。しかし、体調の悪いときや疲れているときなどは、やはり長い通勤時間はこたえた。体調の悪いことに気づかず家を出て、途中の電車内で具合の悪くなることもあった。 職場と家の距離が近い場合は何といっても、会社の気分が家の中まで持ち越されるのがイヤだった。家に帰っても会社での叱責などが思い出され、イヤな気分が持続することがよくあったのだ。特に自転車で10分のところにある職場で働いていた時は、毎日がそうだったため、わざと遠回りをして帰ったこともあった。しかし、距離が近いということは肉体的には楽に違いなく、うまく気分転換の出来る方法があればいいように思う。 それに家と職場が近いと無用の圧迫感のようなものを感じるときがある。体調が悪くて仕事を休んだ時など、ゆっくりと寝ていられないような気分になることもあった。そして、台風や大雪などのときも、家が近いのからあまり遅れて行くこともできない。 現在の職場は最初に書いたように通勤時間は20分ほどのところにある。パートという気楽な立場のため、職場でのイヤな気分のレベルも正社員の頃に比べればずっと低くなり、家に帰ってから会社での出来事を思い出してイヤな気持ちになるということはほとんどなくなった。あまり余計なことは考えず、ただ仕事さえしていればいいので、そういった意味では気楽である。 1時間30分、1時間40分と通勤時間の長かった2社はそれぞれ4年、11年と長く勤めたが、通勤時間の30分だったところは2年、20分だったところは3日、そして10分だったところは3カ月とあまり長く続かなかった。これはただの偶然なのか?いや、それはただ僕が電車に乗っていることが好きなだけかもしれない。(2009.10.18) |