関西圏で感染の相次いでいた新型インフエンザだが、首都圏でも感染者が出た。ニューヨークに滞在していた八王子市在住の女子高生で、機内ですでに発熱の症状があったというから、現地でウィルスに感染していたと思われる。彼女の通っていた高校は幼稚園から大学まであり、今、勤めている会社の中にも子供を通わせていたり、同校出身の人がいたりするのだけど、新型インフルエンザの感染が確認されたときの校長先生の謝罪会見には違和感を覚えた。
会見で校長先生は次のように述べた。 何故、新型インフルエンザの感染者を出したことを謝らないといけないのだろう。インフエンザに感染するということは、事故にあったようなもので、誰の責任ということはないはずだ。よく、風邪を引いたりして会社を休むと自己管理が悪いからだと非難されることがあるが、これは全くの間違いだと思う。自己管理としっかりとしていようが、いなかろうが、風邪を引く時は引いてしまうものだ。インフルエンザもそれと同じで、しっかりと対策をしていれば大丈夫というものではない。 国内で最初に感染の確認されたカナダにホームステイしていた大阪の高校生も現地でマスクをしていなかったことが問題となり、批難にさらされたが、それも全くヒステリックなものだと思う。マスクなどしても期待できるのは気休めの効果ぐらいで、感染を防ぐには有効ではない。マスクはインフエンザにかかってしまった人が、他の人に移すのを防止するためのものだ。 また、感染してしまった生徒が「みんなに迷惑をかけてすいません」と謝るというのも、あまりに可哀想な気がする。インフルエンザに感染してしまったことは悪いことではない。全く本人の責任ではないのである。また、感染者の広がった関西地方では次々とお祭りやコンサートといったイベントが中止になったりして、誤ったメッセージを市民に与えてしまったのではないか。あまりに過剰な反応が必要以上に深刻なイメージを人々に植え付けてしまったように思う。 街中でもマスクをした人を多く見かけるようになった。よく行く駅のカフェでも従業員の人が一斉にマスク姿になっているのには、驚いた。科学的にはマスクによってのインフエンザ予防効果はあまりないようであるが、とりあえず何か目に見えることをしようということなのかもしれない。 このマスクは日本だけの現象のようで、日本以上に感染者を出しているアメリカやヨーロッパの国々ではマスクを付けている人はほとんどいないようで、ゴールデンウィーク中に海外に行っていた人のインタビューを聞いたが、現地でマスクをつけていましたかという問いに対して、ほとんど全員の人がつけていなかったと答え、その理由として現地でマスクを付けている人がいなかったためだと言っていた。健康な人まで、みんながマスク、マスクと走ったため、肝心のインフエンザにかかってしまった人がマスクをできないという矛盾も起きている。 イベントの中止、マスク姿の多くの人々、今回の新型インフルエンザ騒動から見えてきたものがある。まずは責任回避の構造である。イベントを開催して何か起きれば、いろいろと叩かれる、それだったら中止にしてしまえば何も起きない。マスクをしていなくてインフルエンザにかかってしまったら、親なのにやるべきことをやっていないとか、会社から自己管理がなっていないからだと注意される、とりあえずマスクをしていれば、気を付けていたのだが運が悪かったということになる。要するに必要があるかとか、効果があるかとかには全く関係なく、アリバイつくりのためにマスクをしているのだ。 そして、他人に迷惑をかけたくないという気持ちの裏側にある迷惑をかけられたくないという気持ちだ。ここのところといっても、もうずっと前から日本の社会というのが、効率を第一に考えた結果、他人との繋がりを失い人々は孤立していったように思う。全てがシステマティックになって誰とも会話しなくても、暮らせる社会になってしまった。マスクをした人たちはその象徴のように見えてくる。 個人的に今回の新型インフルエンザで困ったことは、熱が出たからと会社をずる休みし難くなったことである。(2009.5.24) |