バス停

 ペルーに住んでいる妻の母は毎週ゲートボールに行っている。少し前までは近所に住んでいるお友達といっしょに彼女の家の車に乗せてもらい運動場まで通っていたのだけど、そのお友達が病気になってしまったため、ここのところバスを使っている。家族はもう年だし、バスは危険なところもあるのでタクシーを使うように勧めているのだけど、バスの方が安いという理由でお母さんはずっとバス通いをしているそうだ。

 妻の母は沖縄で生まれ1960年代前半にペルーに移民として渡った。大変な方向音痴ということで、独りで外出したことはほとんどなかったそうなのだけど、バスに乗ることが面白くなってきたようだ。というのもバス通いを始めて約1ヵ月、座席に座れなかったことはなかったという。

 ペルーのバスは空いているかという、そんなことはなく、便利で安いために常に満員に近い状態にある。バスといっても日本の路線バスとは、かなり違う。まず、大きさである。日本の路線バスと同じサイズのものも走ってはいるが、ワンボックスカーにちょっと毛の生えた程度の10人乗りくらいのものから20人乗りくらいのものがほとんどで、それもかなりの年代ものだ。そしてバス停というものが基本的にない。

 ではどうやって乗るのかというと、バス停はないが、止まる場所はだいたい決まっているので、乗りたい人はその付近で待つ。すると通りかかったバスの車掌さんが「何処々行きだよ」と声をかけ、目的地方面だったら乗る。そして何処でも好きな所で降りることができる。路上でタクシーを待っていて、バスの車掌さんに「乗っていかないか?」と声をかけられることもあり、まあいい加減なのだ。

 さて、そんないい加減なバスなのだけど、お母さんが座れなかったことの一度もなかったのは、必ず乗客の誰かが席を譲ってくれたからである。「日本とは大違いね」とお母さんは電話で妻に言ったそうだ。お母さんは昨年の夏に来日し、平塚にいる姉夫婦の家に泊まった。車を持っていない姉夫婦の家から、出かけるときは東海道線を使うことが多かったが、1度も席を譲られたことはなかったそうだ。

 あまりに誰も席を譲ってくれないので、最後の方は義姉の方が頭にきてしまい、一番で車内に乗り込むと、空いている席に荷物を広げてお母さんとその叔母の乗り込むのを待ったという。妻の母は70代後半だけど、見た目も年相応といった感じで、決して若くて元気に見えるおばあさんというわけでもない。そんな老人が立っているのに、誰も席を譲る人がいなかったというのはショックである。

 妻は、ペルー人はルールを守らないが、そういった人間的な部分は真摯だという。一方、日本人は規則をきちんと守るが、他人に対しては全くの無関心だ。これはやはり教育の違いなのだろうか?

 電車またはバスで、立っているお年寄りに席を譲るというのは、教育以前の問題のようにも思うが、日本社会の問題点を示しているような気がする。学校教育というよりも家庭を含めた社会全体が協調や助け合いの心といったものより、競争に重点が置かれて、効率ばかりが優先される社会になってしまったように思う。

 少しでもいい学校に入り、少しでもいい企業に就職するといったことが、あまりに全てを覆ってしまっている。学校にいる間は受験、受験、会社に入ったら仕事に追われ、他者を思い遣る気持ちなどいつしかなくなり、等身大の自分だけの世界になっている。

 そこにいくとペルーは、この人はいつ仕事をしているのだろうと思うくらいのんびりしていた。妻の弟はデパートや商店などの看板を作ったりしているが、毎日のように昼は実家で食事をとり、2時3時までぶらぶらしていたりした。夕食時にも必ず現れて、テレビを見たり、お母さんや姉たちと話したり、子供と遊んだりして、9〜10時くらいに親子4人自分の家に帰っていった。

 「こっちは、のんびりしているからね」と妻の姉は言っていたが、日常、家族や友人とたちと多くの時間をいっしょに過ごしていた。仕事、仕事で、家に帰ったらご飯を食べて、風呂に入って、テレビを見て、寝るだけといった日本とは雲泥の差である。

 よく人の持っている運の総量は同じだというが、或いは豊かさといったものもそうかもしれない。物質的なものと精神的なものとの合計が一定だとすれば、前者が多ければ、後者は少なくなる。自分を省みても、そんな気がする。物質的な豊かさを追求するあまり、多くの時間を失い、心が貧しくなるとすれば寂しいことである。(2008.10.21)


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