組分け 前編

 小学生の頃、大人数で遊ぶことが多かった。いろいろな遊びをしたが、その中にドッチボール、ゴロベース、角ぶつけ、ケイドロ(地域によってはドロケイ)など2チームに分かれて遊ぶものも結構あった。そのような時、集まった人数をふたつに分けなければいけない。その方法はふたつあった。

 そのひとつはグーパーと呼ばれていたもので、みんなで集まってじゃんけんのグーかパーのどちらかをそれぞれ出して、それによって組分けするものである。この方法の利点は、気持ち的に楽なことである。それぞれがグーか、パーを出すだけであるから、後述するトリトリのような‘心の葛藤’はほとんどない。しかし、この方法は欠点が多かった。

 そのひとつは組分けできるまでに時間のかかることである。何せそれぞれの出したグーとパーが同数にならない限り、組分けできないのだから、人数の多い時などは延々とジャンケンが続くということがよくあった。さらに、偶然に頼るため片方のチームに強い人が集まってしまったりして、できた2チームの力のバランスをとることはできない。したがって比較的少人数のときにしか採用されなかったような記憶がある。

 この変形として集まった子供がふたり一組なってそれぞれグーパーを行う方法があった。この方法だと組分けはすぐにできるし、力量の同じくらいの子供同士が組んでグーパーを行えば、チームの力のバランスもとれることになる。ただ、難しいのは、この力量の同じくらいの子供がふたりずつに分かれるところで、「お前とお前」という感じで支持を出す存在が必要だった。

 このふたりずつに分かれてグーパーをするということを、人為的にするのがトリトリという方法だった。基本的には集まった子供の中から最も力量の優れたふたりがジャンケンを行い、勝った方がひとり指名し、次に負けた方がひとり指名し、そしてまたジャンケンを行い、勝った方がひとり指名し…と全員が指名されるまで行う方法である。人数が奇数の場合は最後にひとりだけ残ることになるが、この時は「いる、いらない」という掛声でジャンケンを行い、勝った方が残されたひとりを自分のチームに必要か必要でないかを判断し、必要だと思えば‘いる’と言って自チームに引き取り、必要ないと思えば‘いらない’といって相手チームに渡した。

 この方法で肝となるのはジャンケンを行うふたりだが、それで揉めるというようなことはなかったように思う。みんないつも遊んでいるメンバーだから、誰が優れているのは知っているし、リーダーになる子にも自覚があった。また、まれに最も弱いふたりでトリトリのジャンケンを行うということもあった。

 この方法の利点は組分けがすぐにできること、ふたつのチームの力のバランスがとれること、さらに3組に分かれなければいけないときも容易に応用できることなどである。欠点としては、最後まで残った子供の気持ちの辛いことだと思う。

 小学生時代、僕は体も小さく痩せていて力もなかったため、最後まで残ることが多かった。しかし、それが精神的に辛かったという覚えはあまりないのである。自分が弱いということを自覚していたから、指名のかかるのはほとんど最後になるというような諦めがあったのかもしれない。ただ、組分けのときにその方法がグーパーに決まると、ホッとするような気持になったのも確かである。

 中学生になると、集団で遊ぶということはあまりなくなった。たまにあってもそれはふたつのチームに分かれて行うような遊びではなく、みんなでサイクリングに行くとか、遊園地に行くとか、野球を観に行くとか、やや大人びたものに変わっていった。たまにみんなで集まって野球というときもあったけど、どういう塩梅だったのか、自然に2チームに分かれていたりした。子供同士による組分けはほとんど小学生時代までだったが、学校のクラス内でも様々な組分けは高校生くらいまで続いて行われた。

 それはいろいろな局面であった。遠足や修学旅行の班から、お楽しみ会のグループ、学習の共同研究などである。先生が決めてしまうものもあったが、だいたいは生徒が自分たちでグループに分かれることが多かった。そして、生徒が自分たちで組分けをするとき、僕は常に不安と隣同士だった。どこのグループにも入れず、ひとり取り残される怖さである。

 小学時代、僕は人見知りが激しくなかなか友人を作ることができなかった。仲のいい友達のできるのはだいたい3学期に入ってからで、やっと友達のできた頃にクラス替えとなり、また一からやり直しということの繰り返しだったのである。そして、この恐怖が現実になってしまったことがある。つづく…(2008.4.13)


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