メル友 後編

 札幌まで行って彼女に会おうと思ったのは、さらに強い絆を持ちたいと考えたからだ。彼女とのメールは楽しく、僕はそれを心待ちにするようになっていた。その関係をさらに長続きさせるには実際に会った方がいいのではないかと思うようになった。

 メル友は短時間で自分の深いところまで相手に委ねることができる。その反面、関係を終わらせることも、また簡単なのだ。メールアドレスを変えてしまえばいいのだから…。そのようなことにならないため、実際に彼女と会うことによって、細く深い関係から脱却しようと思ったのである。

 彼女も会うことを了承してくれて、北海道の紅葉の深まる頃、僕は列車を乗り継ぎ札幌に向かった。朝の5時に家を出て、札幌に着いたのは夜の7時を過ぎていた。待ち合わせた改札でMさんはすぐにわかった。彼女がメールで送ってくれた写真と同じ髪型にしてきてくれたからである。

 実際に会ったMさんはメールで送られてきた写真よりもずっときれいだった。彼女が予約をしておいてくれたビジネスホテルに荷物を置いてから、彼女行きつけの居酒屋でいっしょに飲んだ。北海道の魚介類はおいしく、気分良く酔うことができた。話は翌日の打ち合わせが中心だったが、何故、僕とメールすることにしたのか聞くことができた。

 一番の理由は彼女にいわせると、タイミングがよかったということだった。「ご近所さんを探せ」に登録してしばらくは1日に数十通のメールが来る日が続いたという。彼女は家の近い人だとトラブルになったとき、困るのでできるだけ遠方の人を選んでメールを出したそうだ。

 しかし、その人が札幌に転勤になり、実際に会うことになった。会った時は話も弾み楽しかったそうだが、その翌日からメールは来なくなってしまったという。「たぶん、私の容姿が気に入らなかったのね」と彼女は言った。

 そんなこともあり、それからはメールが来ても返事を出すことはなく、登録から半年を過ぎると「ご近所さん…」の私書箱には誰のメールも入らなくなったという。そんな時、ポツリという感じで僕からのメールがあり、遠方ということもあって、返事を出すことにしたらしい。
 「だから、今回会うのもちょっと怖かったのよ。前みたいなことになるかもしれないし。でも、Hくんなら大丈夫かなと思って、思い切って会うことにしたの」と彼女は言った

 ほろ酔い気分で居酒屋を出た時は11時を回っていた。彼女はビジネスホテルまで付いて来てくれた。下心がなかったといえば嘘になる。しかし、変なことをして今までメールで築き上げた関係の壊れることが怖く、何もできなかった。翌日、会うことを確認して、タクシーで帰る彼女を見送り、ひとり部屋に入った。

 翌日は彼女の車で札幌近郊の紅葉の名所である夕張の紅葉山や滝の上公園などに行った。滝の上公園ではちょうど紅葉祭りをやっていた。車の中では彼女の高校生時代やドイツに行った時の話などを聞いた。この日も夕食を共にできると思っていたのだけど、札幌に着くと「今日は主人の食事の用意をしないといけないから」と言われてしまい、彼女との時間は唐突に終わってしまった。

 翌日の朝、僕は列車で函館まで行き、市内観光をした後、駅近くの安いホテルに泊まった。あまり後味のよくない別れ方だったので、夜になって彼女に電話をした。彼女は明るく対応してくれた。家に帰ってからメールをチェックすると、彼女からのメールが来ていた。そこには僕が写真よりずっと素敵だったと書かれていて、最後の日に夕食を共にできなかったことを詫びていた。そして、僕の意図どおり、メールのやり取りはさらに回数が増えていき、最初の一年は500通を超えた。

 この年以降、夏にバイクで北海道ツーリングに行くと必ずMさんと会うようになった。バイクでキャンプしながらツーリングをしているわけだから、できれば大都会である札幌には寄りたくなかったのだけど、彼女と会う楽しみが勝っていた。樽前山に登ったり、インクラの滝に行ったり、富良野を車とバイクでツーリングしたり、札幌で飲んだり、積丹でウニ丼を食べたりした。彼女が東京に来たこともあった。もっともこのときは、僕に会うのが主な目的ではなく、親戚の人を訪ねてのことだったが、時間を作り、横浜の山手にある洋館を見て周り、夜は中華街で中華料理を食べた。

 Mさんとは6年間で6回会った。しかし、彼女との肉体的な関係はなかった。メールの中には、そういう関係になってもいいようなことが書かれていたが、人妻という現実の前に勇気がなかった。メールも5年目までは毎年、一年の日数である365通以上にやり取りがあり、合計で2000通を超えた。

 メールを始めてから6年目の夏に北海道で会って以降、急速にメール数は減っていった。何回も会っていながらそれ以上に深い仲になれなかったのが大きな原因のように思う。このような関係を続けることに、お互い興味がなくなってしまったのだ。メールを始めて7年目のお正月に新年の挨拶のメールを出して以降、自然消滅の形で僕とMさんのメール交換はなくなった。

 Mさんとのことをよく考えてみると、僕たちはほとんど共通点のなかったことに気づいた。音楽の趣味も違っていたし、映画の好みもまるで異なっていた。旅行好きというところは同じだったけど、その中身は全く違ったものだった。彼女といっしょに遊びに行ったときは、彼女が僕の好みに合わせていた。それなのに、足かけ7年もメールが続いたのは不思議な気がする。

 ただ、ひとつ共通していたのは或る寂しさをふたりとも持っていたことだと思う。初めはそれによって結びつき、相手に共感を示すことで持続させてきたのだ。僕たちのメールの内容は多岐に渡ったが、結局は「あなたのことを大切に思っています」といった実の伴わないメッセージをお互いに送り続けただけのような気がする。そして、それが義務のようになっていった。

 メールの自然消滅はお互いの事情の変わったことによる。Mさんは僕とメールを始めてから1年くらい経った頃、サザンオールスターズのファンクラブに入会し、やがてそちらの活動が楽しくなっていく。そして、ボランティアで休日に老人ホームにいる老人のヘアーのカットを始めてから、めっきりメールのやり取りはなくなっていった。ちょうどその頃、僕も11年勤めた会社を辞めて、その後の身の振り方に悩んでいて、自分のことだけで精一杯になっていた。そしてどちらともなく、メールを出さなくなってしまった。


 僕たちはメールを続けるため、お互いに共感ゴッコをしていたように思う。冒頭に書いた女性はメールを続けるためにお金を送り続けた。初めてMさんと会った時、メールのおかげかそれ程戸惑うこともなく、話すことができた。しかし、同時に或る違和感を覚えた。

 それはメールによって出来上がった想像のMさんと現実のMさんとの違いといった漠然としたものでなく、もっと生々しいものだった。無色透明で僕の中で勝手に理想化されたメールの中のMさんは、女の肉体を持った現実のMさんによって葬られてしまった。しかし、生身のMさんと会ったことで、僕は平衡感覚を保つことができたように思う。

 会ってもいないメル友の男性にお金を送り続けた女性の中にも、理想化された彼が存在していたのかもしれない。メル友の怖さはメールが来なくなったら終わりだということだ。ある日、突然、一方的に関係を終わらせることができるのである。切る方はいいが、切られた方は深い傷を負う。

 メールでの関係は細い一本橋の上を左右に揺れながら歩くようなものである。顔の見えない相手ゆえ、深いことまで話すことはできる。しかし、その関係は或る日突然、終わってしまうかもしれない。それを回避するため、僕は彼女に会いに札幌まで行った。その恐怖から逃れるために彼女はお金を送り続けたのかもしれない。(2008.3.22)


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