キレる人たち

 橋下大阪府知事がNHKにキレた。2月8日、橋下知事は石原都知事との会談など東京での公務により、NHKの関西ローカル番組に30分遅れて出演、その際、同番組のアナンサーから「30分の遅刻」と言われて頭に来て、「今後一切、NHKのスタジオには行かない」と発言した。

 橋下知事は「頭にきた」理由としてだいたい以下の3点を挙げている。番組側が公務を切り上げて出演するように強く要請してきたこと、NHKに到着したとき職員から何の挨拶もなかったこと、そして、番組内で‘遅刻’呼ばわりされたことである。

 問題の場面をYou-Tubeで見てみたが、橋下知事とは大阪府立北野高校の同級生でもある司会の藤井彩子アナウンサーは少ししつこかったような気はするが、軽い感じで「橋下知事、ちょっと遅刻ですけれども、凡そ30分遅刻で到着されました」と言っており、橋下知事を非難するという感じではなく「場を和ませようとして言った」というその後のNHK側のコメントの通りのように思う。

 それに対して橋下知事は、番組内で何回か「遅れることは前もって伝えてあった」「遅刻は自分の責任じゃない」「公務を優先していた」と遅刻と言われたことに対しての不快感を示し、きつい質問が出ると「NHKのインサイダー問題はどうなっている」と論点をすり替えたりしていて、そのあまりにも子供っぽい態度に他の出演者は苦笑している。

 橋下知事のその後のインタビューを聞くと、番組内で「遅刻」と言われたことより、その前のNHKに到着したときに「御苦労さまです」の一言の挨拶のなかったことの方が不快だったようである。‘挨拶’といえばそれでキレた人がいる。横綱審議委員の内舘牧子氏である。

 彼女は横綱の朝青龍に対してキレていた。朝青龍の度重なる自由な行動や言動が頭にきていたようで、「私の中では引退した人」とまで発言していた。その内舘氏がモンゴルから帰国した朝青龍の稽古を見学しに抜き打ちで高砂部屋を訪ねたときのことである。稽古の見学を終えて部屋から出てきた内舘氏はかなり不機嫌だった。

 まず、肝心の朝青龍は当日、稽古を休んでしまった。それも内舘氏の機嫌を損ねた理由のひとつだったが、もっと頭にきたこととして、高砂親方からろくに挨拶のなかったことをあげたのである。高砂親方は軽く会釈をしたらしいが、それは通じなかったらしい。「突然来られても」と親方は困惑気味だった。

 橋本知事と内舘氏、このふたりのキレ方にはいくつかの共通点がある。橋本知事は「もうNHKには行きません」と言い、内舘氏は「朝青龍は私の中では引退した人」と言った。ふたりともキレた対象となったものを自分の中から消し去ることで安定を得ようとしたのである。ちょっと前になるが‘おふくろさん’を巡っての森進一と川内康範氏の騒動もほとんど同じである。川内氏も森進一に‘おふくろさん’を含む全ての作品を「金輪際、歌わせない」と絶縁宣言をしたのだった。

 不愉快だから、その存在を完全に無視をする。中学生くらいのとき、シカトといういじめの流行ったことがある。シカトとは対象になった人物を無視するものである。このふたりのNHKと朝青龍に対する態度はまさにこのシカトと変わらないように思う。

 そして、次に共通するには一度嫌いになったら、ずっと嫌いということである。橋本知事のNHKにキレたのはごく最近のことだから、まだわからない面もあるが、彼の今までの言動を聞いているとこれからも何かにつけNHK批判をするように思われる。内舘氏は朝青龍批判を繰り返している。一度嫌われたら最後、評価の逆転することはないのである。

 彼らは相手の立場に立ってみようとか、歩み寄ろうとか、理解しようとかいう努力が著しく欠如しているように思える。プライドが高く、自分は間違いはないと無意識のうちに思っているため、自身を省みるということのあまりないように感じる。端的にいってしまえば子供っぽいということなのだろうけど、自分の周りを見回すとこういう人たちは結構いるのである。

 例えば社員のNさんは‘一度嫌いになったら、ずっと嫌い’というタイプらしく、常に上司のAさんの悪口を言っている。客観的に見たらAさんが正しい判断をしたと思えるときでも、批判的なのである。彼の中では間違うのは常にAさんということになっているらしい。上司だから無視するというわけにはいかないが、極力話をしないようにしている。こうなってしまうと当人たちだけでなく、周りにもその影響が出てくる。

 まだ若いY君もよくキレる男性である。しかし、彼のキレ方は上記の人たちとはまた違う。彼のキレ方は一見、橋本知事がNHKにキレたのと似ている。自分のしようと思っていた仕事を誰かがやってしまったとか、もっと早く仕事をあげてくれと言われたとか何か自分にとって不愉快な事態が起こったときに彼はキレる。彼の橋本知事と違うのは、キレるのはその時だけで、それが持続しないということだ。

 だから、キレた相手に対して無視もなければ、嫌いな気持ちが固定化するということもなく、数時間ないしは数日経てばもう何もなかったように振る舞うことができる。彼のキレ方は上記の人たちよりも、はるかに子供っぽいのであるが、その子供っぽさにまだ救いがあるように思う。

 自分を何者かと思っている人ほど、キレた相手に対して厳しい態度をとる傾向にあるように思う。自分を何者かと思うことによって、心が固まって柔軟性がなくなってしまうのではないだろうか。自信のあるため、何でも決めつけたがる。

 社会全体として間違ったことや曖昧なことに対して寛容でなくなってきているような気がする。キレた人は面白いからマスコミも取り上げる。そして、彼らは決まってキレた側に立って、燃えているところにさらに薪をくべる。どちらが正しいかということは問題でなく、どういう展開が面白いかということが重要なのだ。

 キレた人間に馬鹿踊りを踊らせるのが彼らの役目のようである。ワイドショウにおける朝青龍に対しての連日のバッシングを見ればわかると思う。公正中立な客観報道とは程遠い姿勢である。それがさらに緊張度の高い息苦しい社会を再生産してしまう。人を切り捨ているのではなく、救いあげる社会になってほしいと思う。

 NHKにキレた橋本知事のところには「大人げない」という批判が多く寄せられているようである。(2008.2.23)


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