そんなの関係ねぇ

 昨年、強烈なインパクトで一度見たら忘れられない芸人が現れた。小島よしおである。彼のギャグ‘そんなの関係ねぇ’は流行語大賞のトップ10にも選ばれた。この小島よしおという人、昨年、大学生になった妻の甥っ子に何となく似ているので親近感を覚えてしまう。ただ、当の本人は「似ている」と言われるのはあまりうれしくないようである。小島よしおの母親は沖縄出身で、妻の甥っ子の両親も元を辿れば沖縄出身者なのだから雰囲気のある程度似ているのは、そういうことなのかもしれない。

 彼はDj TasakaのミックスCDに収録されている「hype ‘o’ tek」という曲に合わせて海パン一丁で踊りながらネタ言い、それを‘そんなの関係ねぇ’と否定するのであるが、この‘そんなの関係ねぇ’というギャグ、よく考えてみると意外と深いように思う。流行ったギャグというのは、その時代とリンクしているものである。

 牧信二という漫談師がいる。1950年代後半、彼はウクレレを片手にハワイアンソングをアレンジした「やんなっちゃった節」で人気を博した。小噺をこのメロディーに乗せて歌った後に「あー、あー、やんなっちゃった。あー、あー、あん、驚いた」でしめるのだが、当時のものを聞くと牧歌的であり、普通に生活している庶民の滑稽を題材にしたほのぼのとしたネタが多い。変わりゆく日本や庶民の暮らしを「あー、あー、やんなっちゃった。あー、あー、あん、驚いた」と表現したのである。

 50年代後半から60年代前半は日本の高度成長に向かう時期であり、新しい生活や物が一般に広まり始めた。その中、ウクレレに明るいハワイアンソングが新しいものとして庶民に広く受け入れられたように思う。

 僕が子供の頃、大流行したギャグは松鶴家千とせの「わかるかなぁー、わかんねぇだろうなぁー」だった。「俺が昔、夕焼けだった頃、弟は小焼けだった。母さんは霜やけで、父さんは胸やけだった。わかるかなぁー、わかんねぇだろうなぁー」という感じである。今、考えてみるとシュールな漫談のはしりだったのかもしれない。そのほとんどが単なる言葉合わせであり、その妙や韻の面白さを楽しむものだった。

 このギャクの流行った70年代前半はしらけ世代といわれ、「無気力・無感動・無関心」の三無主義の風潮だった。したがって社会性の強いものは避けられる傾向にあったように思う。暑苦しいものに対して、みんな嫌気がさしていたのである。何の意味も持たない彼の漫談が流行ったのは、そのような背景があったからのように思う。しらけた時代の気分に乗ったのだろう。

 80年代に入ると価値観の多様化が顕著になってきたせいか、所ジョージの「すごいですねー」とか片岡鶴太郎の「プッツン」とかはあったが、この手の流行語は影を潜めてしまう。

 90年代後半には前かがみになって胸の谷間を強調しながら発するパイレーツの「だっちゅーの」が流行る。ひとしきりつまらないネタをした後、「だっちゅーの」で落とすのであるが、しらけ切った雰囲気にして、刺激的なポーズで決めるというのはネガティブな水戸黄門的面白さがあった。彼女たちの胸の谷間は水戸黄門の印籠だったわけである。この頃からつまらないことが面白いという倒錯したお笑いがぽつぽつと出始めた。お笑いの退廃が始ったように思う。

 そして、2000年に入り、時代が数十年も戻ってしまったようなギャグが流行った。テツandトモの「なんでだろう」である。トモのギターに合わせながらテツが手を交差させながら、日常生活の素朴な疑問や矛盾をネタにして、「なんでだろう」と観客に問いかけるものだった。

 牧信二が等身大の庶民をネタにしたのに対して、テツandトモは生活や人間のちょっとしたことを顕微鏡で見るように拡大させ、その疑問や矛盾を強調して笑いにした。ここではもう牧信二の頃にはあった庶民という感覚はほとんどなくなり、一人一人の人間に分解されている。したがって自分を含めた庶民ではなく、自分であるかもしれない一人の人間を笑うという感覚になった。しかし、これはテツandトモに限ったことではなく、ほとんど全てのお笑いに共通する傾向のように思う。

 テツandトモと小島よしおのネタはどちらとも日常や人の行動の些細な部分を拡大し提示するものであるが、テツandトモのネタは他者性が強いのに対して、小島よしおは自分自身を投影したものが多い。それは当然でテツandトモは「なんでだろう。なんでだろう」と他者を突っつくことでの笑いであり、小島よしおは、それに対して「そんなの関係ねぇ」と開き直ったのである。

 小島よしおは、ここ最近のお笑いに対するカウンターとして出てきたように思う。今、主流のお笑いは極端にいってしまえばバカをバカということでうけを狙うものだが、それに対して小島よしおは俺はバカだと認めることによって生まれる開放感の心地良さがある。

 緊張が高くストレスの強い社会で今のお笑いの主流はさらにそれを高める方向にあったが、小島よしおはそれをぶち壊した。今の日本は非常に緊張の高い社会になってしまった。仕事も生活もほとんど絞り切った果実からさらに果汁を搾るような閉塞感に包まれている。彼の「そんなの関係ねぇ」は小さなことまで穿り返して、あーだ、こーだと神経質になっている社会への叫びのように思える。

 海パンひとつで踊る彼の姿を見ると、変に気取っていても仕方ない、結局、自分は自分なんだというメッセージが聞こえてくるようである。ただ、心配なのは上記に挙げた芸人のほとんどが一発屋として一年持たずにテレビのブラウン管から消えてしまったことだ。インパクトが強くて、テレビの露出度が高い者ほど飽きられるのもまた早い。結局最後は本人がどれだけ多くの引き出しを持っているかということになるのかもしれない。

 小島よしおもこのままの姿で突っ走ることは無理だろう。次はどんな姿を見せてくれるのか、楽しみでもあるし、また怖いような気もする。(2008.1.26)


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