同調圧力

 友人のお子さんが推薦で大学に合格した。本来なら大変おめでたい事なのだけど、学校内での周りからの圧力にその子は悩んでいるという。

 本格的な大学受験シーズンはまだまだ先であり、この時期に大学が決まっている人はほとんどいない(ちなみにその子の学校では現時点で学年で8人だけだそうだ)。そのため、周りはぴりぴりしていて、何かをしても、またしなくても嫌な目で見られたりして、どうしていいかわからない状態だという。担任からも態度に気をつけるようにと言われたそうだ。

 世界史の先生からは授業中に発言することを禁止されたそうである。何故、そんなことをするのかわからなかったが、よくよく訊いてみると質問に対してすでに大学の決まった者が意気揚々と発言することは、周りの生徒たちにとっては目障りになると考えているようだ。かといってまるでやる気のない態度でも、これまた目障りということになり、結局は目立たず静かにしていろということらしい。

 その子は大学の決まった現在でも大学入学後のことを考えて塾に通っているそうだが、帰りがけにその塾の講師から「早くに大学が決まってしまうと、周りの圧力とか大変じゃない」と言われて驚いたという。どうもこういうことは彼女の高校だけでなく、何処でも起きていることらしい。

 まだ大学の決まらないクラスメートからすれば、もうすでに合格してしまった人は何かと気に障る存在なのかもしれない。受験生の精神状態では、「他人は他人。自分は自分」と考えられるだけの余裕はないだろうし、ちょっとした態度や言葉を誤解したり、深読みしたりして、ムカつくということはあるかもしれない。まあ、あと2〜3か月の辛抱なのだから、嵐の過ぎるのをじっと身を屈めて待っていればいいと思う。

 彼女の場合は学校を卒業すれば、いや、恐らく受験シーズンが終われば今のいやな圧力から解放されるだろう。しかし、こういった類の圧力が延々と続く場所がある。会社である。

 会社での圧力も、この高校生の場合とよく似ている。一言でいってしまえばどちらも「みんなと同じにしろ」ということなのだ。彼女の場合は、他の生徒はみんな受験を控えて神経質になっているのだから、自分が受かったからといって、浮かれていないで周りに合わせろという圧力である。会社の場合、みんな遅くまで残業しているのだから自分だけ早く帰ろうとするなとか、みんな休日返上で出勤しているのだからお前もしろとか、有給休暇なんてみんな使っていないのだからお前も使うなというようなもので、結局「みんなと同じ奴隷になれ」ということだ。

 とても自分には合わないと従わなかったりすると、陰湿ないじめの対象になってしまったりするから厄介である。対処法としては、まず、自分もどっぷりと会社に浸かった仕事人間になってしまうということがある。長時間労働、滅私奉公の精神、そういったものを厭わず、受け入れてしまうのである。彼らと同じ種族の人間になってしまえば、圧力も圧力と感じなくなるかもしれない。

 しかし、僕にはそれがどうしてもできなかった。僕の行った対処法は彼らと距離を置くというものだった。残業や休日出勤は極力せず、夏休みはたっぷりとり、仕事も淡々とするという態度をとったのである。仕事上、特に問題が発生しなければ表立っては何も言われなかった。特にがんばった様子を示さなくても、結果は出るものだ。しかし、陰では散々に言われていたようである。残業時間が少ない、みんなが休日出勤しているのに何故しないのか、夏休みが長すぎる、そしてやる気があるのかないのかわからない等々…。そして何か少しでも問題が起きると、決まって勤務態度のことを言われた。お前は頑張りが足りないからだと。

 しかし、何処まで頑張ればいいのだろうか?僕は働くことが嫌いではないが、働き過ぎるのは嫌なのだ。働き過ぎている周りの人間に合わせるのは辛いものがあった。どうも日本人はみんな同じでないと、気がすまない民族らしい。他人というものを自分と同一視してしまうようだ。個別性というのを尊重しない。

 他人の人間性を尊重しないということは、裏を返せば自分の人間性も尊重していないということである。滅私奉公の精神で働いていたら、そこには自分などなくなってしまい、いるのはただの会社のロボットのような存在になってしまう。会社のロボットが他の人のことを考え、思いやるなどということもできるはずはない。自分と同じようになれと言うのも無理はないのかもしれない。

 パートになって、やっと同調圧力から解放された。社員は会社の都合が優先されるが、パートは自分の都合で働くことができる。忙しくても、「今日は私用があるので、お休みします」ということも言えるわけである。

 同調圧力の強い集団というのは、それに馴染めない者にとっては息の詰まるような思いをするものである。特に真面目な人は知らず知らずのうちに自分を追い込んでいってしまったりする。「忙しいのに風邪くらいでは休めない」とか考えだしたら、もう危険な兆候だ。健康を害してまでやらなければならないことなど、会社にはないのだ。

 自分で自分自身を見つめ直すことが、個の確立の第一歩のように思う。自分を尊重し、他人も尊重する。みんなが息苦しい圧力など感じず、自由にのびのびと働けるような社会になれば心療内科の受診者もかなり減るのではないだろうか。

 リロイ・ジョーンズの名言を紹介して終わる。

 奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢を、お互いに始める。どっちの鎖が光っていて重そうで高価か、などと。そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
 だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。
 過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、奴隷になっても決してその精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、肥え太った主人を血祭りにあげた。
 現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。そして、何より驚くべきことに、現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの唯一の誇りを、見い出しさえしている。
(2007.12.1)


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