「非情」の采配

 朝の通勤時、電車の中で何気なく週刊誌の中刷り広告を見ていたら‘落合「冷血采配」でプロ野球は死んだ’との見出しが目に止まった。この週刊誌に限らず日本シリーズ第5戦での落合監督の采配を非難する人は多いようだ。

 日本シリーズ第5戦、ドラゴンズの山井投手は8回までファイターズにひとりの走者も許さない好投をしていた。9回を三者凡退におさえれば日本シリーズでは史上初となる完全試合だった。しかし、落合監督は9回、完全試合目前の山井投手に代え、クローザーの岩瀬投手を登板させた。岩瀬投手はファイターズを三者凡退に抑え、ふたりの投手で完全試合を達成して日本一となったのであるが、「完全試合目前の山井を何故代えたのだ」という疑問と批判の声が方々から上がった。

 交代させた理由は、山井投手の右手中指のマメが潰れたからだったようである。4回くらいにマメを潰し、ユニホームには血がつくほどだったという。中には「それでもヒット一本打たれるまでは、投げさせるべきだ」という声もあるが、多くの人を納得させる説明ではある。しかし、そのようなことは重要ではないように思う。マメが潰れていようが、いなかろうが、勝利のために下した監督の判断が全てなのだ。

 野球に限らず、プロ・スポーツの唯一の目的は勝つことである。プロは何をおいても勝利ということを最優先にしなければならない。「温情」ある采配をして負けるよりも、「冷酷」と言われても勝つことの方が重要だと思う。勝ちに徹底的に拘る、それがプロというものなのだ。僕が最初にそれを痛切に感じたのはサッカーのワールドカップだった。

 僕がサッカーのワールドカップを見始めたときはまだ各組に分かれての予選の勝ち点は勝てば2点、引き分けで1点だった。そのため予選での強豪国同士の対決はどちらとも守備的になり、引き分けになるケースが多かった。ほとんど攻め合わず0-0で終わってしまうような試合も結構あったのである。試合としては全くつまらないものであったが、それを見続けているうちにそれぞれの国の息の詰まるような真剣さというものが感じられるようになってきた。

 それは僕にとってほとんど初めて感じられた真剣勝負で、娯楽性を全く排除した戦いだった。自分たちの実力を出し切って後悔のない戦いをしようといったような青臭い考えをきっぱりと否定していた。とにかく結果が全てであるといった愚直に勝利を目指す姿があった。絶対に負けられないと思っているチーム同士の緊迫した戦いの面白さを僕は知った。

 もし今回の場合、山井投手に代えた岩瀬投手が打ち込まれ試合を落としていたとしたら、落合監督に対する批判の声はかなり強いものになったのではないかと思う。しかし、怖いのはそういった非難の声でなく、それを恐れるあまり指揮官の采配が大衆迎合的、言葉を換えれば無難なものになることである。

 日本シリーズの優勝のかかったゲーム、8回でいっぱいいっぱいになっている投手を代えたいと考える。しかし、その投手はそこまで相手にひとりのランナーも許さない完全試合をしている。代えれば、その後の結果はどうであれ非難の声が上がることは容易に想像される。まして代えた投手が打ち込まれ、その試合を落とすようなことになったら、場合によっては監督の進退問題までに発展するかもしれない。

 冷徹に考えれば抑えのエースにすぱっと代えるのが勝利への方程式である。しかし、非難の声を恐れた監督はヒット一本打たれるまで我慢しようと決断する。続投させた投手はベンチの見立て通りにもう余力は残っていない。そしてヒットを打たれる。そのヒットは長打になるかもしれない。或いはホームランかもしれない。ワンテンポ遅れて抑えのエースに交代する。しかし、勢いづいた相手を抑えられず、チームは逆転負けしてしまう…。

 このような状況は、明らかに監督の采配ミスである。しかし、翌日の新聞にこの監督を非難するような記事はほとんど載らないように思う。何故なら彼はベンチの内情を知らない普通の人が考えるような無難な采配をしたからだ。しかし、そんなことが当たり前になってしまったら、僕らは真のプロというものから遠ざかっていく。

 今回の交代劇を非難する意見の中に「空気の読めない采配」「プロなのだから、大衆の見たいものを見せろ」というものがあった。球場に来ている人、テレビで観戦している人たちは山井投手の完全試合が見たかったのだから続投させるべきというわけだ。一見正論のように思えるが、よくよく考えてみると大衆の望むような采配をしろという全くおかしな意見である。そんな采配でいいのであれば、誰でも監督になれるではないか。

 プロ・スポーツの指揮官は勝利至上主義でなくてはならない。したがって勝つためには、大衆の望まないような采配をしなくてはならないこともある。野球でいえば投手の交代や送りバントや敬遠の指示など、僕たちの思いと違った采配になることもある。今回の落合監督の采配がもし裏目に出ていたら非難の声は相当強いものになっていたのではないかと思うし、その後の結果如何では進退問題にまで発展していたかもしれない。しかし、個人記録よりもチームの勝利に徹した落合監督の采配はプロとして当たり前のものだ。

 それでは‘チームの内情’とやらを知らない人間は、指揮官の采配を批判する資格はないのだろうか?そんなことはない。プロは全て結果で判断される。合理的な采配をしても悪い結果になることもあるだろうし、非合理的な采配をしても結果オーライということもある。采配の順当性がどうであれ、結果の出なかったとき指揮官は批判されるだろうし、場合によっては更迭される。

 しかし、僕は勝利することに最善を尽くした結果、失敗したとしても、その指揮官を非難したくはない。それはただ運の悪かっただけなのだから。(2007.11.11)


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