旅行用に銀塩カメラを買うことにした。そこで会社近くのヨドバシカメラに行った。カメラ売り場はほとんどデジカメに占領されていて、銀塩カメラはわずかなスペースに申し訳程度で並んでいて、選択の幅は狭い状況だったが、カメラを買うというのは約20年振りなので何を選んでいいのかわからない。店員さんの意見を求めたいところであるが、何を訊けばいいのかもわからない。
それでも勇気を出して、近くにいた若い店員さんに「すいません」と声をかけたが、なかなか次の言葉がでない。
しかし、そのカメラのカタログがなかなか見つからず、違うものを手に取ったりしていたので、その場所を知っていた僕が「これではないですか?」と教えたため、ますます気まずい雰囲気になってしまった。しばらく難しい顔をしてカタログを読んでいたが このまま「それじゃーこれにします」と決めてしまうのも、何か格好悪いような気がしたので、買うつもりもない下位の機種についていくつか適当に質問をして、「やっぱり、これの方がいいようですね」と初めから目をつけていたものに決めた。それにしても、カメラ一台買うのに必要もない気ばかり使って、自己嫌悪に堕ちってしまった。気を使うのがイヤなら、「これください」といきなり言ってしまえばいいのだけど、それも何かきまりが悪く、無理やり質問することを探すうちに疲れてしまう。 どうも僕は買い物が苦手である。本とかCDとか、あるいはコンビニでの買い物とか商品を選んで、そのままレジへというスタイルの店では、それほど苦にはならないのだけど、例えばミニコンポとかカメラとか、あるいは洋服とか店員さんと会話を交わして商品を選んでいく対面販売だと物怖じしてしまう。 銀塩カメラを買いに行ったとき、自分が対面販売で物を買うのを煩わしく感じている理由がわかったような気がした。要するに商品知識がなく、そこにいる店員さんに何を質問していいかわからないからなのだ。僕はほとんど物に関心がないタイプで、車だったらとにかく走ればいい、オーディオだったら聴ければいい、カメラだったら写ればいいと思っているようなところがある。もちろん、走ればいい、聴ければいい、写ればいいの前に‘よく’という言葉が入ることは入るのだけど、その程度なのだ。細かい機能だとか、特性だとかそういったことになると、どうでもいいとまでは思わないにしても、あまり関心がない。 したがってその商品に対して店員さんと突っ込んだ話などできるわけもなく、そのことにある種の劣等感を感じて、対話というものに苦手意識が芽生えていったように思う。当然、そこには「俺はモノに詳しいのだぞ」といった自分をよく見せたいという、いやらしい気持もあり、そうでない自分が恥ずかしくて引け目を感じてしまい、店員さんを避けてしまうのだ。 モノの詳しくないのだから、もっと自然に教えを乞うような気持ちで店員さんに接することができれば楽になるのだろうけど、自尊心が邪魔をしてなかなかそういう心境になれないでいる。そもそも、他人と接することがあまり得意でないのだから、余計に始末が悪い。 それでも電気製品などは事前にある程度、下調べをしておけば何とか格好をつけることはできるが、衣服だとそういうわけにもいかず、恥ずかしい話ではあるが、誰かについていてもらわないと不安で仕方ないのだ。まず、何が自分に似合っているのかもよくわからない。だから、「これなんかいいんじゃない?」と決めてもらわないと、自分でもどれを選んでいいかわからなかったりするし、そのことを店員さんに相談する勇気もないから、結局わずらわしくない通信販売であまりサイズの合わないようなモノを買って着ることになってしまう。 もっとモノに対して興味を持てばいいのかもしれない。貪欲になれば、多少の知識も身につくかもしれないし、余計なことを考えなくなる。ただ、対人恐怖症気味のところはどうしようもないような気もする。 対面販売の買い物を苦痛に感じるのは、或いは無言の経済に慣れ過ぎてしまった影響かもしれないし、モノが溢れそれらに情熱を持てなくなってしまったからかもしれない。(2007.8.18) |