人が人間になれない社会

 元モーニング娘の辻希美さんと俳優の杉浦太陽さんとの婚約会見がテレビで流されていた。辻さんは妊娠2か月ということだった。この会見を見ていて不思議な気分になった。本来ならおめでたいことなのに、芸能レポーターから次々と辛辣な質問が浴びせられたからだ。

 避妊ということは考えなかったのかといった下世話なものから、仕事への影響、周りの迷惑をどう感じているのかといったものまであり、ふたりの謝罪から会見が始まったというのも異様だった。また、所謂‘芸能評論家’なる人たちも最近の若い芸能人は自分が商品との自覚が足りないとコメントした。

 辻さんは「ギャルル」というユニットを結成したばかりであり、「何日君再来」という舞台も出演も決まっていた。妊娠によりユニットは解散、舞台は降板ということなり、周囲の風当たりが強かったのはその当たりの事情も大きく影響していたように思えるが、結婚や出産を後回しにしなければいけないほど、‘仕事’って大切なものなのだろうか?

 昔から芸能界では親の死に目にも会えないのは当たり前、仕事優先であり、悲しみを堪えて舞台に立ち、引けてから病院に駆けつけて冷たくなった親との対面というようなことが美談として語られたりするが、僕にはどうしても自分を育ててくれた親の最後を看取ることより、仕事の方が大切だとは思えないのである。仕事に代役は立てられるが、親にとって子供の代りはいないし、子供にとっても親の代りはいないのだから。

 こういった場合、一般社会では多くの人が仕事を休んで、病院に駆けつけると思うが、別のレベルで仕事に押し潰されているように思う。

 職場のNさんはここ最近ずっと体調が悪い。めまいがして立っていられないことがあるという。しかし、なかなか病院に行かない。たぶん疲れのせいだろうと自分で診断を下して、しばらく様子を見ると言った。病院に行かない理由は「仕事が忙しいから、休めない」である。しかし、症状はよくなったと思うと、また悪くなったりで、暇なときを選んで病院に行った。だけど、一度の検査では原因はわからなかった。

 本来であれば少しの期間会社を休んで、入院して徹底的に検査したほうがいいと思うのであるが、Nさんは「そうそう休んではいられない」と言って、検査の予約も1週間後に入れたり、出された薬も勝手に止めてしまったりした。その後、また症状が悪化して、薬はきちんと飲むようになったが、体調が悪くても出勤を続けている状態だ。

 Nさんが特別なのではなく、日本人でこういう人は多いと思う。とにかく会社が中心で、自分の健康よりも仕事を優先させてしまう。風邪くらいでは休んでいられないとか、忙しい時期には休日出勤も当たり前になっていて、仕事をするために生きているようにすら感じる。僕には彼らが人間に見えないことがある。会社の意のままに動くロボットのように見えてくるのだ。会社で生きていくことは、程度の違いこそあれロボットになることだと思う。

 しかし、ロボットになりたくない、或いはなれなかったらどうなるのであろう。時給の安いパートやアルバイトで自立するのは困難である。親のパラサイトになるか、狭い格安物件で暮らすか、最近問題になっているネットカフェ難民になったり、ホームレスになったり、これまた人間の暮らしとは遠いところに行くことになってしまう。目標を見出せず、身も心も浮遊している彼らはまるで幽霊のようである。そういった中で、人間らしい生活を見つけて実践している人たちもいるが、レアケースである。

 そして、ここのところ親が子供を殺したり、子供が親を殺したりとそんな事件が相次いでいる。些細なことで殺人を犯し、場合によってはほとんど動機らしい動機がわからないこともある。一昔の犯罪はその背景に強い欲望というものが感じられた。それは金銭だったり、愛情だったりするわけであるが、最近は深い心の闇を感じるものが多くなった。理解不能な彼らはほとんどモンスターのようである。

 長時間労働や低賃金の使い捨て労働が蔓延している今の日本は人間が人間らしく生きるのが困難になっているように思う。昔がよかったとは思わない。昔も悪かったが、今はさらに悪くなっている。効率や利便性ばかりを追求したため、人間性というものがほとんど無視され、とんでもなく歪んだ社会になってしまったように思う。そんな中で人々はロボットになり、幽霊になり、時にはモンスターになったりしている。

 人が人間になれない社会。まずは産まれてくる命よりも、仕事が大事と考えるような歪んだ精神構造を変えなければいけないように思う。(2007.5.27)


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