二輪と四輪

 僕がバイクの免許を取ったのは25歳のときだった。それまで免許を取らなかった理由はお金のなかったということもあるが、その必要性をかんじなかったからだ。旅行好きだった僕は自転車を使って旅をしていた。それで充分だったのである。

 自転車でする旅が自分には一番合っているように思った。ゆっくりと周りの風景を愉しめる、宙を舞っている蝶や道端に咲いているタンポポでさえも心に刻み込める速度が最適だったのだ。また、他人の同情を引き、人情にすがるということも容易で、そういった知らない人との関わり合いが増えるということも、そういったことがめっきりと減ってしまった都会に住んでいる僕には新鮮だった。燃料代もかからず、多少の故障なら自分で修理することもできるから自転車を使った旅は最強だと思っていた。

 そんな僕がバイクの免許を取ろうと思ったきっかけは、会社を退職することが決まったことによる。3月末で会社を辞めた後、しばらく旅に出ようと思った。今まで通り自転車で行ってもよかったのだけど、バイクだったら同じ期間でより広範囲を周れると考えたのだ。そしてその時期に会社の後輩がバイクの免許を習得しようとしていたことが、それでは僕も…という気持ちにさせたのである。その頃は働き始めて4年目に入り、二輪免許を取りバイクを買うくらいの貯えができたのである。

 会社を辞めた後、桜の開花に合わせたように信州にバイクで旅に出た。まだ、免許取りたてだったため、旅の前半は何とか事故らないで走らせているという感じだったが、後半になるとかなりバイクに慣れて来て楽しくなった。ほんとに自分に翼が生えたように思え、自由の風を感じた。自転車で3日かかった会津若松も、バイクなら日帰りできるのだから…。

 そして、僕はバイクでよく旅に行くようになった…と続くのが話しの流れなのだけど、実際は少し違った。確かに週末を中心にバイクにはよく乗った。そして、見知らぬところにもよく行った。しかし、それは全て日帰りできる範囲に限られていた。その理由はいくつかあった。

 まず、バイクに乗るということは意外と面倒臭いということがあった。一見するとひょいと跨るだけで手軽な印象のバイクだけど、実際に乗るとなるとヘルメットをかぶり、手袋をつけ、夏でも長袖の丈夫なジャケットを着て、さらに雨の備えてレインコートやブーツカバーの用意もしなくてはならない。また雨の時、レインコートやブーツカバーを着けたままでは店に入れないので、それを脱いで食事をしたりして、外に出たらまた着用と面倒臭いことこの上ないのである。

 そして、身近にバイクに乗る友人がいなかった。バイクの免許を取るきっかけになった会社の後輩とツーリングに行ったことはあるが、彼はもともとツーリングというものが好きでなく、ゆっくりと長い距離を走るのが好きな僕とは反対に速いスピードで飛ばすのが好きというタイプだったので、それが最初で最後になってしまった。

 転職して一年後くらいに僕は自動車の免許を取った。それは当時、よくいっしょに旅に行っていた友人からの要請だった。その友人T君とはもともと自転車仲間だった。僕がバイクの免許を取ってしまったため一時は疎遠になりかけたが、旅の感性が似ていたのでよく彼の車でいろいろな所に出かけた。彼の車で旅行に行くときは免許を持っていない僕は専らナビゲーターをやっていたのだけど、ただ助手席に座って「そこを右だ、左だ」と言うだけで、疲れたらウトウトしている僕にT君は不満を募らせていたようで「早く免許を取ってくださいよ」と強く言い渡されてしまった。そういう事態に負い目を感じていただけに、この際取っておこうと思ったのである。しかし、本当は車の免許をそんなこととは関係なく心の中では取りたいと思っていたように感じる。T君の一言は、そのきっかけを与えてくれただけだった。

 車の免許を取り、それを買ってからバイクに乗ることはほとんどなくなってしまった。それは彼女ができたということもあったけれど、とにかく車は快適だったからだ。天候にほとんど左右されず、どんな服装でもかまわないし、ジュース片手にFMラジオを聞きながら運転できるし、疲れればちょっと止めてシートを倒して気楽に一休みできる。それにバイクに比べると体力の消耗も雲泥の差がある。車だと青森へ行くにも遠いとは思うけど、それほど苦に感じないが、バイクではまず一日で青森まで行こうなんて思わない。そんなわけで、彼女と別れ、T君と疎遠になっても車での旅はしばらく続いた。

 車での旅行は楽だった。泊まるところが見つからなくても、車の中で寝ることはできるし、それは宿代を節約することにもなった。より気楽に旅に出られるようになったのである。しかし、徐々に僕は車での旅がつまらないものに思えてきた。それは、それまで車での旅行の長所がそのまま短所になっているように感じたからだ。

 天候や気温に左右されず快適な旅ができるということは、その反面、自然を感じることができないということだった。快適ということが、感性を殺しているように思えてきたのだ。そして車の空間というのは閉じているため、他者との繋がりが出来難い。バイクや自転車であればの清涼飲料水の自動販売機前の縁石にでも腰掛けて、ジュースを飲んでいたりすると声をかけたりもするが、車ではそういったことはまず期待できない。人が近づけないし、また、自分からも近づき難い。

 こうして車を買ってから、約二年間全く乗っていなかったバイクでまた旅をするようになった。以前の面倒臭いという気持ちは薄まり、バイクでの旅の面白さが深まったように思う。ただ、以前を違うのは車を使っての旅も数年前に経済的理由で車を廃車するまで、それなりに継続していたことだ。車での旅は快適であり、バイクでの旅は旅情を強く感じた。それぞれの良さがわかったせいだろう。

 自転車からバイクへ、バイクから車へ、そしてまたバイクに。ここのところ夏の北海道をバイクで旅していると、自転車に乗って周っている高齢者によく出会う。本来、僕に最も合った乗り物は自転車だったように思う。いつの日か、もっと自由になれたなら、また自転車で北海道を走ってみたい気がした。(2007.3.23)


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