傲慢な男

 25歳の頃、僕はある女性と付合っていた。その女性は僕より3歳年上でバツイチだった。ふたりでよく車でドライブしたり、お酒を飲んだり愉しい日々だった。僕は彼女との関係を進めようか、どうしようかと迷っていた。関係を進めるとは、結婚を視野に入れるということである。迷っていた理由は、彼女に原因があったのではなく、僕に彼女を幸せにできる自信がなかったからだ。そんなある日、ふたりで居酒屋で飲んだときのことだった。

 その酒の席はそれまでのように愉しいものにはなりそうになかった。というのも今まで意識的に灰色にしていたことを、白黒はっきりさせなくてはいけないような雰囲気だったからだ。そして、だんだんと雲行きが怪しくなり、別れ話になりそうな感じになっていった。

 僕は彼女のことが好きだった。いや、正確にいえば好きだと思っていたから、彼女とは別れたくはなかった。しかし、決定的な関係になることにも躊躇があった。そして僕は 「もし、君がよかったら、僕について来てもいい」というようなことを言った。彼女とは別れたくない、しかし、幸せにする自信はない。僕は彼女の判断にこれからのふたりの行方を放り出してしまったのだ。

 それに対する彼女の応えは‘傲慢な男’というものだった。彼女は怒っていた。そして、さらにこう言った。
「どうして‘俺について来い’って言わないの。‘ついて来たかったら、ついて来てもいい’なんて言われて、ついて行く女なんていないわよ。‘俺について来い’って言ってみなさいよ!」

 しかし、僕にはどうしても「俺について来い」とは言えなかった。それは完全な嘘になるからだ。僕には自信がなかった。彼女を幸せにする自信が、いや、それ以前に自分自身に対する自信がなかった。僕は彼女の幸せを最優先に考えているつもりだった。もし、彼女が僕と一緒になることが幸せと考えるなら一緒になろうと思っていたし、そうでなければそれはそれで仕方ないと思っていたのだ。

 彼女のことを考えて言った言葉を非難されて、僕は戸惑った。一体、僕の何処が‘傲慢’なのかわからなかったのだ。彼女の幸せを考え、身を引くことまで覚悟しているのに納得できなかった。‘傲慢’ではなく、‘謙虚’ではないのだろうか?僕には彼女の言っていることが、よく理解できなかった。

 結局、この日以降、彼女から連絡が来ることもなかったし、僕もしなくなった。そして、彼女との付合いは自然消滅をした。

 それから2年くらい経った夏に僕は北海道をバイク旅行をした。その帰りのフェリーの中で渥美清の‘男はつらいよ’が上映された。それまで‘男はつらいよ’シリーズには何の興味もわかず、まともに観たものはひとつもなかったのだけど、この時はフェリーの中で他に何もすることもないし惰性で大型モニターの前に座ったのだった。

 正確な題名は覚えていないが、マドンナ役として後藤久美子、寅さんの甥っ子の満男役で吉岡秀隆が出演していた。そして、その最後の場面は、2年前に僕と彼女の間で起きたことと同じようなことになっていった。

 後藤久美子に想いを寄せる吉岡秀隆は自分の気持ちを告白しようかどうか迷っている。それを決断できない理由は、彼女を幸せにする自信が、つまり自分自身に自信が持てないからなのだ。彼は寅さんにそのことを相談する。すると、寅さんは次のようなことを言うのだ。
 「男は女の幸せを一番に考えるべきなんだ。お前は彼女を幸せにできるのか?その自信はないんだろ。だったら、潔く身を引け。自分が身を引くことによって彼女が幸せになれるんだったら、そうするのがほんとの男だ」

 当時の僕とほとんど同じ考えだった。僕は心の中で‘やっぱり寅さんはいいこと言うな’と思った。ところがそれを横で聞いていた夏木マリは烈火の如く怒り出す。
 「カッコつけてるんじゃないわよ。ふざけんなっていうの!女はそんなカッコつけた男の言葉なんて聞きたくないんだよ。彼女のことを考えて身を引く?ふざけんな、あなた彼女がほんとに好きなんだろ?好きなら好きだって言え。振られてカッコ悪いことになっても、自分の気持ちをはっきりといいな。女はどんなにカッコ悪くても、男のほんとの気持ちが聞きたいんだよ」

 情けないことだが、僕はこの寅さん映画を観て始めて彼女が僕のことを‘傲慢’と言った意味がわかった。相手の気持ちを考えていたつもりが、実は自分のことだけしか考えていなかった。相手の幸せではなく、自分がいかに傷つかないかで済むかを考えていたのだ。

 そして僕がどうして「俺について来い」と言えなかったかといえば、相手の幸せのため身を引くといったものではなく、ただ単にそう言って振られるのが怖かっただけだったのだ。

 相手のことを想うとき、一番大切なのは相手の気持ちではない。自分の気持ちなのだ。自分が相手のことをほんとに愛しているかどうか、相手の気持ちは相手に任せるしかなのである。僕は相手の気持ちを聞くのが怖くて、それを回避するための偽善的な理由を思いついたに過ぎない。

 しかし、理由はそれだけではない。「俺について来い」と言い、もし彼女がそれを受け入れてしまったら…。「幸せになる覚悟はある」と深田恭子が言っているCMがあるが、僕にはその覚悟がなかったのである。そうなのだ、幸せになるのにも、覚悟は必要なのだ。

 「俺について来い」と言い、どちらに転んだとしても、それに対する覚悟が僕にはなかった。僕はふたりの関係を曖昧のまま漂わせておきたかったのかもしれない。一言で言えばモラトリアムということになるのではないか。これは恋愛だけでなく、仕事に関しても同じような気がする。

 そして、このことから10年以上経った今でも、あまり変わらないような気がするのである。(2006.3.25)


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