優先順位

 忘年会のとき、「お金は大事だよ」という話しで盛り上がった。体臭のきついTさんが「世の中、やっぱりお金ですよ」と言ったことに対して、社員のNさんが「何言ってるんだ、お金じゃないんだよ」と返したことに、それぞれ周りから意見が続出し始めた。

 「お金は、いくらあっても邪魔にはならない」という女性陣の意見に対して、僕は「いや、お金は邪魔になるんです。だから、暮していけるギリギリくらいが一番なんです」と言ったため、さらに周りからは異論続出となった。

 Nさんは、僕の意見に同意して「そう、そう、俺だったらまあ何とか生活できて休日にゴルフが楽しめるくらいがあればいいし、Hさんは競馬ができるくらいあれば満足っていうことなんだよ」と言ってくれたが、「奥さんが可愛そう」とか「もっと稼いできてっていわれない」などと集中放火を浴びることになってしまった。だけど、僕がほんとに言いたかったのは、ちょっと違うことだった。

 「お金がいくらあっても邪魔にはならない」確かにそうかもしれないと僕も思っている。しかし、周りの人間の話しを聞いていたら、天邪鬼の僕としてはついそう言いたくなってしまった。お金は大事ではある、だけど、自分の中で大切なものの優先順位をつけたとき、それほど上位にくるものでもないような気がする。これは僕だけでなく、意外と多くの人がそうなのではないだろうか?

 子供が一番大切という人もいれば、親という人もいるだろうし、恋人という人もいるだろう。また、健康とか、時間とかが最上位にくる人もいれば、自分の趣味あるいは仕事を上げる人もいるのではないだろうか?自分の中で、大切なものを上からあげていけば、意外とお金の順位が低いことに気づくと思う。

 それにもかかわらず、人はお金ばかりを欲しがる。今、世の中で起きている事件、不祥事のほとんどは必要以上にお金を求めた結果なのではないだろうか?ここのところの耐震偽装の疑惑だって、JR西日本の脱線事故だって、コスト削減とか効率化などときれいな言葉で誤魔化してはいるけど、結局、‘もっとお金が欲しかった’ということだろう。

 ‘もっと、お金が欲しい’この心理は「お金はいくらあっても邪魔にならない」というところから来ているように思う。お金はいくらあっても邪魔にならない、つまりいくらあってもいいということで際限がなくなる。そして、それが高じてくると、本人ですら気づかぬうちに全てに優先するようになってくるのではないだろうか?コストや効率が安全に、つまりお金が命に優先してしまうのだ。そして、これは個人レベルでも起きることのように思う。

 ほんとに大切なものを見失い、或いはないがしろにして、気づかぬうちにお金が最優先なってしまっているのではないか。‘お金があれば全てうまくいく’といった幻想の沼に知らぬうちに入り込み、深みにはまっていく。そして、気づいたときには、もう遅過ぎる。耐震偽装の関係者だって、JR西日本だって、お金と命どちらが大切と訊かれれば、正しい選択ができたはずだ。

 さんざんテレビでアナウンスされている勝ち組、負け組だって結局は、お金の話だけでしかない。利潤を追求する会社だったら有り得る概念かもしれないが、個人の人生で勝ちや負けなど、そう簡単に結論できるのだろうか?そもそも、人生に勝ちや負けがあるのだろうか?全く下らないことで、そんなものに振り回される必要は全くないように思う。

 そう、だからお金は生活できるぎりぎりくらいでいいと考えたほうがいい。もちろん、多くをもらえれば幸せだけど、とりあえず生活ができるくらいあればいいんだ。大切のものは他にいっぱいある。そういったものを優先できる生活を送れれば、それはそれでもう充分に幸せだ。(2005.12.31)


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