正社員として働いていた頃、毎月、貯金が出来ていた。特にそういうつもりはなかったのだけど、もともと自分はあまり物に興味がなく、また生活も意識せずとも質素なものになっていたため、そういうことになっていたのだろう。 バイクは25歳のときに買ったものを12年間、車は26歳のときに買ったものをこれまた12年間も乗り、ミニコンポにいたっては22歳のとき買ったものを左のスピーカーから音が出なくなるまでの15年間も使っていた。服も靴も万事このような調子だった。 これは子供のときからそうで、中学校時代に買った布製の筆箱は破れたところに継ぎを当てたりして、専門学校を卒業するまでの12年間使いつづけたりしていた。自分では物を大切に長く使おうという意識は特にないのだけど、基本的に不精で新しいものを買うのも面倒臭いということで、ついついこのようになってしまう。定期的に買っているものといえば、本とCDだけど、これだってそうそうお金のかかるものではない。 また遊興費も1年に数回、旅行に行ければ満足だったし、競馬も遊びの範囲で、仕事関係や友達との飲み会も年に数回だし、彼女がいた時期は例外的にしか存在しなかったため、それほど大したものにはならなかった。 一番無駄にお金を食っていたのはたぶん月3万円だった車の駐車場代だった。付合っていた女性がいたときは、車を頻繁に使っていたが、それ以外の時期は駐車場で眠っていることが多かったからだ。しかし、月々ある程度のお金が自然と貯まっていく状況では、差し迫ってどうにかしようという気持ちも起きなかった。 正社員として働いていた時、自分にとっては生活するのに十分のお金をもらっていたといえる。お金は邪魔になるものではないし、あればあるほどいいことは確かである。しかし、必要とする以上に、それを得るため、長時間労働と過度のストレスに曝されていたとしたら…。平日に自分の時間を持つことはほとんどできず、休みはただ疲れを癒すためだけの日になっていたら…。 僕はだんだんとそんな日常に嫌気が差したというより、怖さを感じるようになった。ただ、会社に行って機械のように働く毎日、そんな日々がずっと続くことが怖くなっていった。自分の生活に必要なだけ働いて、空いた時間は自分の好きなことができたら…。 正社員では労働時間を、自分の好きなようにコントロールするのはほとんど不可能だ。日本の会社は残業は当たり前といった風潮だし、有給休暇でさえ取り辛い雰囲気が支配している。だけど、アルバイトなら、自分の都合に合わせて働くことができるのではないかと思った。残業だってしたくなければしなくてもいいだろうし、休みだって思うままにとれるだろし、遅刻や早退だって自分の都合に合わせられる。 では、現実はどうだったか?パートとして働き始めて、確かに時間の自由度は正社員時代とは比べものにならないほど高くなった。今日は5時で上がりますと朝に伝えれば、さっさと帰れるし、休みだってほとんど事務的なやりとりで取ることが出来る。休日出勤の要請だって、「その日はちょっと用事が…」といえば、文句を言われることもない。僕にとって特に大きかったのは、夏の長期休暇だ。今年は3週間、日数にすると23日取ることができた。こんなことは、正社員時代では絶対に不可能なことだった。 しかし、当然いいことばかりではなく、大きな問題もある。これはアルバイトやパートといった形態で働いている人に共通することだと思うが、賃金の低さと不安定さである。 月収は正社員時代の概ね6〜7割くらいで、月によっては5割以下に落ちることもある。年収にいたっては、ボーナスの影響が大きく、半分程度になってしまった。しかし、このことは予め覚悟していたことであり、また収入の低さにより、今の生活に何か深刻な支障を来たすようになったかといえばそんなこともなく、ただ月々の貯金がほとんどできなくなったくらいだ。ただ、パート・アルバイトの賃金が不当に低いことだけは間違いない。社会保険を含めたパート・アルバイト等の待遇改善は、政治に性急に解決してもらいたい問題である。 さらに大きいのは不安定さである。今の職場で、不安定さというのは2つある。1つは労働時間であり、もうひとつは雇用だ。仕事量が少ない時期、休みたくないのに休んでくれと言われたり、また早い時間で帰されたりする。自分で休みを申請する場合は、減収は折り込み済みであるからいいが、会社側の都合となると辛くなってくる。そして、それは解雇へと繋がる可能性もある。 また、将来、いつまでここで働けるのだろうといった漠然とした、しかし、非常に現実的な思いも強くある。正社員であれば、定年まで面倒を見てもらえるだろうが、パートやアルバイトであれば、年をとり働きが悪くなれば、お払い箱になる可能性は高い。 しかし…とまた思う。果たして今の社会で、生活に余裕のある収入が得られて、身分も安定していて、さらに時間的に自由がある職場があるのだろうかと。その全てを得ることができないのなら、結局は自分で、自分のライフスタイルにあった生き方を選択するしかないのではないか。 正社員であることは、僕にとって自由を棄てて、安定を得ることだった。僕は定年になるまで、そのような生活を続けることを止めた。今は将来の不安を遠くに見ながら、束の間の自由を生きている。(2005.11.3) |