約2年間、勤めた会社を辞めた私は大きな喪失感に包まれていた。小さな設計会社だったそこは忙しく、特に後半は社長・部長と私の働く部署は経営方針を巡り激しく対立をしていた。初め私はどちらにもある距離を保って中立的立場だったのだが、あまりに酷い会社側の対応に部署の仲間に組みするようになっていった。 そして、終には8人の部署のうち、私を含め4人が辞めることになった。残ったのは2人の新入社員と2人のアルバイトだった。あまりいい会社とは言えなかったが、仕事は面白く、いっしょに働いていた仲間にも恵まれていて、その2つ同時に失った私の心には大きな穴が空いていた。 北海道・東北地方を1ヶ月近く周り、その穴を少しでも小さくしようとしたのだけど、喪失感は募るばかりで容易に埋まることはなかった。このような状態で就職するのは止めた方がいいと思った私は、当分の間、アルバイトでもして心の回復を図ろうとし、そのことを当時付合っていた女性に言った。 その女性も私と同じ会社に勤め、そしていっしょに辞めていたが、私が旅行に出ている間に就職を決めていた。彼女は私から話しを聞くと、猛然と反対した。「そんなことをしたら一生そこから抜け出せなくなるかもしれない、だからしっかりと就職してほしい。それまで、会わないことにしよう」と。 母親にも強い反対を示された私は、気持ちが乗らないまま新しい職場を探し始め、約1ヶ月後にそれまでの経験が生かせる仕事を求人誌で見つけた。それまでの会社は設計会社だったのだが、そこは設計部門のほかに、生産部もあり自社で製品を作っていて、業界でも10本の指に入るか入らないかといった規模だった。 早速、電話で応募し面接日を決めたが、私の気持ちは落ち込んだままだった。面接日当日、それまでは所在がわかりづらいところにある会社は予め、下見をしておくのだけど、それをしなかったため道に迷ってしまい、そのうちどうでもいい気持ちになり、担当者に電話も入れず、約束をすっぽかしてしまった。 これでもう終わりと思っていたら、夕方にその会社の担当者から電話があった。就職する気持ちがないのなら、きっぱりと断るのが筋なのだが、私はそれもせず適当な理由を上げて誤魔化し、再度面接ということになった。しかし、私には就職したいと気持ちはあまりなく、できれば落ちることを望んでいた。彼女と母親に、真面目に就職活動をしているという形を見せたかったに過ぎない。 面接日、今度は事前に道順を確認していたため、すんなりと会社まで行けたが、生産部門があるため、思ったより大きな社屋で私は気後れした。受け付けで用件を述べるとすぐに担当者が来てくれて、私は会議室のような部屋に通された。 午前中は面接と社内を案内された。そこでわかったことは、この会社はいままで中途採用をしたことがなく、今回が初めての試みだということだった。私は少なからず重圧を感じた。自分によってこの会社の今後の採用計画に変化が出るかもしれないと思ったからだ。もし、私が採用され、それなりの成果があれば中途採用枠は広がるかもしれないし、その逆だったら‘やはり中途はだめか’ということにもなるのではないかと思ったりした。 昼食は担当者と社内食堂でとり、午後からは筆記試験と適性検査、さらに作文に設計のレベルを知るための簡単な実技試験があり、4時過ぎに終わった。帰りの電車の中、私は不採用になることを望んでいたし、またそうなるものと思っていた。就職先を探し、応募したが不採用、彼女と母親に言い訳も立つ。 ぽっかりと空いた喪失感という心の穴はまだ埋まらず、常に寂しい風が通り抜けていた。そのような状態のまま、新しい会社で働き出すというエネルギーのいることができるとはどうしても思えなかった。しかし、そんな私の心情とは裏腹な結果が待っていた。入社試験から数日後、採用の連絡があったのである。つづく…(2005.7.7) |