夏の昼下がり、高原の空いたきれいな道などで車を走らせていると、目の前に水たまりのようなものが見えることがあります。しかし、いくら車を走らせても、その水に追いつくことはできず、近づいたと思ってもすっと消えてしまって、また少し先に現れたりします。そう、逃げ水です。 太陽によって温められたアスファルトの熱により起こる上昇気流と、それに伴なう空気の密度の濃淡、そして陽光によって起きる一種の蜃気楼のようなものです。私たちの人生は、これとよく似た事例に満ちていて、ある意味、逃げ水を追いかけることに終始しているようにさえ思うのです。 今ではかなり状況も変わってきていると思いますが、少なくても私が小学生の頃は毎日、毎日を楽しく過ごしていました。学校から帰れば、家の玄関にランドセルを投げ込んで、友達と遊びに行く日々でした。明日のことなど、あまり考えることはなく、その日、その日、楽しいことを追いかけていました。 時代がそうだったのかもしれませんが、私の住んでいた地域では、私立の中学に行くような子供はほとんどいませんでした。みんながみんな地元の公立中学校に入学したのです。そこに競争などは当然ありません。だから、私たちは気ままな小学生時代を送れたのです。しかし、中学校に入学して、しばらく経って状況が変わって行きました。状況が変化していった理由、それは高校受験です。 中学2年生くらいになると、楽しい中学生時代を過ごすということより、いい高校に入るということの方が誰にも重要になってしまいました。‘今’より‘先’のことに重要性を感じるようになったのです。そして、これがこの後の人生でもずっと私たちについてまわる最初の逃げ水だったのです。 いい高校、その定義は簡単です。偏差値の高い高校です。そのため、毎日、毎日、多くの時間を勉強に当てることになりました。楽しいから、好きだから勉強するのではなく、いい高校に入ることが目的なのです。そして、たとえいい高校に合格できたとしても、それで終わりではありません。今度はいい大学に入るための毎日が始まります。目の前の水は、またすっと遠くにいってしまうのです。 大学受験は高校受験とは比べものにならないくらい、厳しいものです。高校1年の後半あたりから、すでに先を見据えた生活になりました。夜遅くまで勉強して、夏休みは予備校に通い、「日々之決戦」とか「継続は力なり」とか今思うとぞっとするようなことを合言葉にして、厳しい受験戦争を勝ち抜いたとしても、まだそこはゴールではないのです。今度は就職をいうさらにシリアスな逃げ水が見えてくるのです。 就職は受験とはまた違う総合的な試験です。「バイタリティ」とか「ポジティブ」とか「協調性」とか「明るい」とか、そしてなりより「勤勉」とかの気持ち悪いキーワードだらけの世界です。いくつのも会社を訪問し、OBに話しを訊いたり、面接でのテクニックを習得したりと必死に活動をします。しかし、その苦労が実を結び、入社しても、ようやくスタートラインに立ったのに過ぎないのです。今までは近くに見えていた逃げ水さえ、もう見ることはできません。学校に入学したときに見えなかった絶望が、希望の背後に見え隠れするようになります。 私が就職したとき、驚いたのはみんながみんなというわけではありませんが、もうすでに老後の安定を考えている人間がいたことでした。年金の給付額を予測して、豊かな老後を送るにはどのくらい貯蓄があればいいかなどと、20代前半で考えているのです。しっかりしていると私は初め彼らに感心し、自分の自覚のなさを恥かしく思ったりもしましたが、何かが違うというような気がしていました。彼らが見たかったのは長い絶望のトンネルを抜けたところに広がっているはずの安楽な暮しだったのです。しかし、それは逃げ水のように、ありそうでないものなのではないでしょうか。 いい学校、いい会社、そして豊かな老後、こういったものは全て幻想に過ぎないように思うのです。確かにいい学校もいい会社も、そして豊かな老後も存在はするでしょう。しかし、それは‘あなたにとって’という冠が必ずつくように感じるのです。 みんなにとっての「いい学校」は偏差値の高い学校で、「いい会社」は一流企業であり、「豊かな老後」は経済的に恵まれた老後です。しかし、この通りのレールの上を走ったとしても、それを幸せと感じるかどうかというのは、また別のことのように思うのです。 「いい会社」に入社すれば、恐らくほとんどの人は幸せを感じるでしょう。しかし、数年後或いは数十年後、その中でどのくらいの人が、幸せと感じ続けているでしょうか?「いい会社」に入社できず、仕方なく入った会社でも、数年後或いは数十年後、この会社に入ってよかったと感じている人は全くいないでしょうか? お金の心配のない豊かな老後。しかし、お金だけあれば幸せな余生を送ることができるのでしょうか。年をとった時、一番必要なものがお金だとは僕にはどうしても思えません。お金はあるに越したことありません。だけど、それより大切なものはいくつもあるような気がします。家族や友人、健康、趣味や広い意味での仕事、好奇心…etc。 世間で言われているようなことは、ほとんど実体を持っていない逃げ水のようなものです。人生とは複雑です。何が勝ちで何が負けなど、個人、個人によって全く違ってくるのです。「みんなはこう言っているから」とか「世間的には」とか「世の中の常識では」とかは、ほとんど意味ないもののように僕には思えるのです。 そんな実体のないものに支配されて、自分で自分を狭くしてしまうことはありません。結局、自分の頭と心で考え、そして感じ、自分にとっての幸せというものを見つけるしかないように思うのです。他人の人生をまねする必要はないのです。 夏の昼下がり、高原の空いたきれいな道などで車を走らせていると、目の前に現れる逃げ水。そんなものに気をとられるより、車の窓いっぱいに広がっている高原の美しい風景を楽しみましょう。その美しい風景は幻想ではありません。(2005.6.18) |