外で遊ぶ子供が少なくなったような気がする。昨今はテレビゲームが全盛だし、都市部では子供が遊べるような広場そのものがあまりなかったり、最近の治安の悪化なども影響しているのかもしれない。 僕が子供の頃は、学校が終わって家に帰ると玄関からランドセルを投げ入れ、すぐに外に遊びに行くことが多かった。そして、友達といろいろな遊びをした。そんな遊びの数々が何故か懐かしく思い出された。 子供の頃、学校の昼休みや放課後の校庭でよくした遊びは‘ドッジボール’と‘ケイドロ’だった。ケイドロとは恐らく警察官と泥棒の略だろうが、2つのチームに分かれて片方が警察、もう一方が泥棒になり、逃げ隠れしている泥棒役の子供を警察官役の子供が捕まえる遊びで、泥棒側の子供が全員捕まった時点で、攻守が入れ替わる遊びだ。東京ではこの遊びをケイドロと呼んでいたが、生まれも育ちも埼玉県の友人たちは泥棒の方を先にしてドロケイといっていたという。また、僕の親戚がいる群馬でもドロケイで、或いはケイドロと呼んでいたのは東京だけなのかもしれない。 この2つの遊びに共通するのは、大勢で遊べるということだ。そのため学校の校庭は最適だった。チーム分けの仕方も同じだった。まず、リーダー役が決められる。リーダー役は体力的に優れた人気者の子供のことが多かったが、たまには僕のような冴えない子供がその役を任されることもあった。 リーダー2人がジャンケンを行ない、勝った方がひとりを指名する。次に負けた方がひとりを指名し、そして勝った方がまた選びということを繰り返す。こうすると大袈裟にいってしまえば、「戦力の均衡」がはかれ、だいたい両チームとも同じような力になる。今のプロ野球が各チームのエゴによってなかなかできないことをやっていたのだ。僕たちは知らぬ間に、遊びを面白くする知恵を持っていたのである。 学校からの帰りも、いろいろな遊びをしていた。ただ何故か、下校中というのはアウトロー的なものが多かったように思う。まず、‘石投げ’である。川に架かっている水道とかガスとかの配管めがけて橋の上から石を10回投げ、一番数多く当てた人が勝ちという単純な遊びだが、石が鉄製の管を叩く音が心地よくてよくやっていた。当然、通りかかった大人に怒られることになる。 さらにアウトロー色が強かったのは‘ピンポンダッシュ’だ。他人の家の呼び鈴を押して逃げる遊びだが、僕が子供の頃は‘ピンポンダッシュ’という言葉はなく、‘ベルマン’とか、‘ベル魔’とか呼んでいた。スリル満点で小学校1年生の頃から中学校に入学するまで続けていたように思う。当然、呼び鈴を押した家の人に捕まれば、きついお説教を聴くはめになる。 危険を伴なうものとして、川に架かっている鉄格子などを伝わって反対側まで渡るという遊びもあった。僕はやったことはないが、よく仲のいい友達がやっていて、彼は「名物男」などといわれ、周りから人気があった。しかし、鉄格子に両手両足をかけ、川を渡っている最中に巡回中の警官に見つかり、大目玉を食らってしまった。 学校から帰ってする遊びは野球から派生したものが多かった。というのも都会では野球そのものをできる広場というのはほとんどない。あったとしても早朝とか人があまりいないときしか使えなかったり、許可を得ないとだめだったりして、学校から帰ってすぐ「これから野球しよう」というわけにはなかなかいかなったのだ。そのため近所の歩行者天国でゴムボールを使った‘ゴロベース’とか‘角ぶつけ’、‘はさみ’や‘フライ取り’などの遊びを野球の変わりとしてすることが多かった。 ‘ゴロベース’とはピッチャーがゴムボールを道路の上に転がし、それをバッターが手で打つという遊びで、それ以外は野球と変わらない。‘角ぶつけ’は、階段などの角に攻撃側がゴムボールをぶつけ、守備がそれを取るというもので僕たちはが最もよくやっていた遊びだった。‘はさみ’は盗塁を遊びにしたもので、野球における挟殺プレイを複数の走者でやるものである。タッチされアウトになった走者が今度は守備側になり、誰かにタッチにするとまた交代ということになる。ひとりがボールを高く投げ上げ、数人でキャッチを競うのが‘フライ取り’だ。 女の子が加わると、‘影踏み’や‘高オニ’、‘カンケリ’、‘だるまさんが転んだ’などのややソフトな遊びになる。僕が小学校5年生くらいまでは、学校のクラスメートというよりも、近所の子供同士で遊ぶことが多かった。したがって、女の子や年少の子供が遊びに加わることがよくあったのだ。年少の子供が遊びに加わるときは‘みそっかす’という決め事があった。幼い子は体力的に年長の子供たちと対等には遊べない。しかし、彼らはいっしょに遊びたい。そこで遊びには参加させるが、オニになったりなど、難しい役回りはさせないというルールだ。これだと幼い子が足手まといになるということもなく、彼らも遊びを楽しめることになる。 ‘メンコ’や‘ベーゴマ’などの伝統的な遊びもよくやった。メンコでは苦い想い出がある。僕が小学校2〜3年生の頃だったと思う。クラスのSという友達と差しで勝負した。彼の持っていたメンコでどうしてもほしいものがあったからだ。それはウルトラマンに出て来る古代怪獣ゴモラが絵柄になっているもので、僕が何故ゴモラを好きになったかというと、理由は単純で普通の怪獣なら1週で終わりのところ2週にわたってウルトラマンを苦しめたからである。 勝負は僕が一方的に勝ち続けた。ただ、Sは僕の気持ちを知ってか知らずか、なかなかゴモラのメンコで勝負してこない。彼のメンコの大半を取り、あと一歩というところで彼の兄がやってきたのだ。彼は弟の惨状を知ると、弟に代わり参戦してきた。そして、今度は僕が一方的にやられ負け込んでいった。Sから取ったメンコのほとんどを取り返されたあたりで彼は年少の子供とのメンコ勝負に飽きたのか去っていったが、結局僕はゴモラのメンコを手に入れることはできなかった。 ベーゴマは僕が小学校5年生のときに爆発的なブームになり、男の子が数人集ればベーゴマという状況だった。僕もベーゴマに凝り、バランスをよくするため上面の文字の間にロウを流し込んだり、よく回るように手を鉄臭くしながら側面を研いだりした。さらに、相手の駒をよく弾くようにと、近所のバイク屋さんに頼んで角の部分をバインダーで削ってもらったりした。子供が遊びにかける情熱というのはすごいものがある。 子供のときした遊びを考えると、知らず知らずのうちに役割分担をしていたことに気づく。遊ぶ側と遊ばせる側、子供の側と大人の役割をしている側に分かれている。‘ケイドロ’では追う方より逃げたり隠れたりする方が断然面白い。つまり、警官役が大人になり、泥棒役の子供を楽しませていたのだ。‘オニゴッコ’も‘カンケリ’も‘だるまさんが転んだ’もオニ役になった子供が大人の役割をしていて、みんなを遊ばせていたのだ。そしてそれはあるルールの中で自然と持ち回りになるようになっていた。遊びの中で、オニ役は基本的にあまり面白いものではない。しかし、それを順番にやることによって、僕たちは社会性を身につけていったのかもしれない。 昨今全盛のテレビゲーム。テレビゲームには、鬼役はいない。大人の役割はコンピュータがやっている。それがちょっと気がかりだ。(2005.4.23) |