来ない馬を追い続けて

 有馬記念はGTらしいレベルの高いレースになった。後続の馬が全く追い込めないペースを作ったタップダンスシチーは、やはり強い馬だった。完調であれば逃げ切っていたかもしれない。2番手からそれをねじ伏せたゼンノロブロイには恐れ入った。かつての頼りない姿は何処にもない。僕が期待したコスモバルクは後方で苦しんでいた。うまく抑えていると思ったが、騎手のインタビューによると馬にいまひとつ走る気がなかったようで、きついローテーションが影響したのかもしれない。距離的にも2000m前後がベストに思えるので、また来年競馬を盛り上げてもらいたい。デルタブルースは好位で追走していたが、末の切れ味の差が出てしまったようだ。ただ、来年の春の天皇賞では中心的存在になるのではないだろうか?

 さて、知人に1日のうちで万馬券を3回も的中させ、100万円以上勝った人がいる。一体、どういう予想をしているのか僕は興味を持ち、訊いて見ると
「ずっと追いかけていた馬を買っただけだよ」
という答えが返ってきた。その日は、彼がずっと追いかけていた馬が出走したので、その馬から買ったところ的中し、それがたまたま3回あり、それがたまたま万馬券になったということだった。よくよく訊いてみると彼にはいろいろなクラスで追いかけている馬が存在しており、出走時には必ず買うようにしているそうだ。

 ある特定の馬を追いかけるということは、それほど珍しいことではない。ただ、買っても、買ってもその馬が来なかったりすると、ついつい「もうやめておこう」という気持ちになるものだし、レースのメンバーによってはまず絶対に来ないなと思うこともある。それでも、いつかは来ると信じて買い続けるのは、なかなかできないように思えるのだけど、ある一線を越えてしまうと逆に買わずにはいられなくなるようだ。

 それは「もしかしたら…」という気持ちによる。買っても、買っても来ない。今度のレースもまず来ないだろう。だけど、もしかしたら…、もし見送って来てしまったら…と思うと買わずにはいられない心境になるのだ。

 もし、追いかけ続けた馬が全く来ないことにもう諦め、その馬を外して馬券を買ったときに限って、来てしまったらどうなるのだろうか?それまで、その馬に賭けてきたお金が死金になるだけでなく、迷いを生じた自分にも落胆して、後悔の念が延々と続き、なかなか立ち直れなくなってしまう。恰好の穴馬を発見して馬券を買い、その馬は来たがヒモを外して落ち込んでしまう気持ちに似ている。そういうことがないように「人気薄からは総流し」という格言?もあるくらいだ。

 では、また買って来なかったらどうなのだろうか?経験からいうと、以外と気持ちはさっぱりしている。「まあ、仕方ないな…」とすぐに気持ちが切り替えられたりする。ということは自分の信じたように行動すれば、たとえ結果が裏目に出たとしても、人間というものはまあまあ納得してしまうものらしい。客観的情勢と主観的情勢を天秤にかけ、客観的情勢をとってしまい、それが外れたとき、心の中には後悔という重りがずっしりとかかる。

 「信じる者は救われる」とは何処かで聞いたフレーズだけど、競馬の場合は救われることは少なく「信じる者はたまに救われる」といったほうが正確だろう。その「たま」が永遠に来ないことも多いわけだけど、それでもそれが今であることを信じて僕たちは馬券を買っている。

 上記に知人に
「100万も勝ったなんて、うらやましい」と言うと
「まあ、これでやっとトントンくらいだよ。別に競馬は金儲けのためにやっているわけじゃなくて、楽しみでやっているんだから、トントンだったら御の字だよ。だって楽しんで、そんなに損もしてないんだから」という応えが返ってきた。(2004.12.27)


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