前編 ギリシャ神話に「パンドラの匣」という物語があります。好奇心から開けてはならない箱を開けたばかりに、その中から虚無、病苦、飢餓、貧困、悲哀、嫉妬、強欲、陰険、猜疑、憎悪など、あらゆる災厄が這い出してきて、空を飛び廻り、世界に広がり、それ以来、人はそれらに苦しまなくてはならなくなってしまったという話です。 人生においても、後から考えて「パンドラの匣」を開けてしまったなと、思われるようなことがあると思います。それは決して、ネガティブなことをした場合だけでなく、前向きな行動と判断して行なったことでも、後で考えもしなかった方向に事態が転がり出して、そのような思いに駈られる場合も多いように思います。例えば、恋人ができたとか、結婚したとか、宝くじに当ったとか、普通に考えれば幸せに思われることでも、その後、予想もしなったことが次々と起こり、いろいろな災厄に見まわれ、運命的なものを感じてしまうこともあるかもしれません。また、「もしかしたら、まずいことになるのではないか」と思いながらも、行動を起し、それが想像の範囲を超えてしまい、苦しむといった場合もあるでしょう。 つまり、何か行動を起したり、決断をすれば、それがどのようなことであれ、いい方向にも、悪い方向にも転がる可能性があるのです。一見幸せを呼びこみそうな行動でも、それが必ずしも幸せに繋がるとは限りません。明るい光が差したからといって、いつまでも明るいとは限らないのです。しかし、裏を返せば、ネガティブな後向きな決断であっても、それが必ず悪い方向に行くかというと、そんなこともないように思います。そう、今が暗いからといって、この先もずっと暗いということもないのです。 考えてみれば、この世に生まれて来たということが、最初でしかも最大の「パンドラの匣」なのかもしれません。おぎゃーと母の胎内から生まれ出た瞬間から、人の周りにはありとあらゆる災厄が薮蚊のように飛び廻っていて、何か行動を起すたびに、その匂いを嗅ぎつけて私たちに忍び寄ってくるのです。しかし、実際に「パンドラの匣」的なものを感じるのはある程度の年齢になってからのように思います。 私は一昨年、それまで11年間働いていた会社を辞める時、「もしかしたら、とんでもないことになるのではないか」という予感がありました。しかし、その予感よりも好奇心の方が勝っていたのでしょう、結局「パンドラの匣」を開けることになってしまったのです。「パンドラの匣」を開けたからといって、すぐに災いが這い出し、私を襲うということはありませんでした。しかし、それらはじわじわと時間をかけて、私に這いよっていたのです。 会社を辞める前後、確かに不安と恐怖はありましたが、私は前向きで「まあ、苦労はするだろうけど、何とかなるさ」安易に考えていました。失業手当の申請に行った時も、3ヶ月の給付制限期間中には次の仕事をみつけ、働きはじめるつもりで、受給するつもりは全くありませんでした。というのも私が次の仕事を探す上での職場の条件は「時間がある程度自由になる」ということと「何とか暮せるくらいの賃金」しかなかったからです。この2つの条件をクリアーする職場は比較的簡単に見つかると思っていたのです。そして、1週間程度、東北地方に旅に出ました。そして、この旅の半ばあたりから、不安と恐怖がその影を私の心に落し始めたのです。 この旅行は行きたくて行った旅行ではなく、自分の気持ちに区切りをつけるためのものでした。会社を辞める、旅行に行き気持ちを切り換える、そして晴れ晴れとした気持ちで仕事探しという流れになるはずでしたが、現実は気持ちを切り換えるどころか、自分にあった仕事が見つかるのだろうかとか、仮に見つかったとしても新しい職場でうまくやっていけるのだろうかとか不安が暗雲のように次々と心にわき、深いところに落ち込んでいきました。 旅行から帰った私は、職安で仕事探しを始めました。しかし、気持ちが全然前向きになっていない自分がそこにはいたのです。探しはしているけど、ほんとに自分にあった仕事を見つけようという気持ちより、わけのわからない不安が先に立ち、半歩も前進することができず、じりじりと後退してさえしているようでした。働いている友人たちへの羨望や嫉妬、そこからはみだしてしまった自分への嫌悪や劣等感、そして再び職を見つけることができるのだろうかという不安、また働き出してもうまくいくのだろうかという恐怖などが、開けてしまった「パンドラの匣」から次々と這い出し、私を蝕んでいったのです。 そして私は自殺願望というより、事故や病気で死んでしまいたいという気持ちに度々襲われることになります。それらは夜、床に横になった時や、友達と何処かに出かけた時、競馬場に向かう時などのふっと周囲から自分の中に落ち込んで行くわずかな時間の隙を縫って私に忍び寄って、暗澹たる気持ちにさせました。 さらに就職活動がうまく行かないことがそれに拍車をかけました。職安や求人雑誌、ネットで探しても、興味がわくような仕事になかなか出会うことはなく、また、たまにそういったものを見つけ応募してみても、面接さえ受けられず、送った履歴書が不採用通知ととも戻ってくるという日々が続き、私は絶望感と劣等感に支配されるようになっていき、焦れば、焦るほどがんじがらめになっていったのです。(2004.7.1) ― つづく ― |