父方の祖父は酒乱だった。朝からよく日本酒を呷っていた。酒乱の人の典型で、お酒が入っていないときは借りてきた猫のように大人しい人だったが、ひとたびお酒が入ると周囲の迷惑も考えずに荒れ、家族は腫れ物に触るように祖父と接していた。 お酒がなくなると、夜遅くでも家のものを酒屋に走らせ、それがほとんど日常化していたため、酒屋の人もその事情を知っていたらしく、哀れんだような顔をして、お酒を分けてくれたのを憶えている。そして気に入らないことがあると、ちゃぶ台をひっくり返したり、父と取っ組合いをしたりと大いに荒れた。深夜2時頃に、「俺は毒を飲んできた。もうすぐ、死ぬ」と外から帰ってくるなり大騒ぎをしたことが今でも僕の記憶にはかなり鮮明に残っている。家族の者は心配して、どのような種類の毒を飲んだのかを問いただしたら、さらに本人は荒れ狂ってしまい、収拾がつかなくなりかかったが、どうも飲んできたのは毒などではなく、ウイスキーだということがわかり、みんな一様に胸をなで下ろし、正体のなくなった祖父を父が部屋まで運んで落着したのだった。 父はそんな祖父を間近に見て育ったため、日本酒にある種の憎悪を持っていたことは確かのようで、それを一切口にしなかった。飲むのはもっぱらビールばっかりで、それも量が過ぎないようにと、大瓶2本くらいと決めていたようである。ただ、酒乱というわけではなかったが、父も酒癖がいいとは言い難く、僕もずいぶんといやな思いをした。 普段は子供にほとんど関心を示さない人だったが、お酒が入るとそれが変わり、やたらしつこくなって子供のいやがるスキンシップをした。特にいやだったのは、不精髭を顔に押しつけて擦ることで、それをやられるとほっぺたが赤くすれたようになり、痛みが数時間消えないこともあった。今、考えると寂しさがあったのかなとも思うが、当時はとてもそこまで思いは及ばず、ひたすら嫌悪するだけであった。 また、祖父は父に酒の好みだけでなく、その性格にも影響を与えていたようだ。家は祖父の代から塗装業を営んでいたが、祖父は酒に溺れた気難しい職人気質という感じの人だったのに対し、父も祖父の後を継ぎ、塗装職人となったがとても職人には思えないような性格で、会社員に近かったように思う。祖父は外で飲み歩くのが常だったが、父は外で遊ぶということを一切しない人で、たまに雇っていた職人さんとかに誘われても、それに応じたことがなかったようで、「おやじさんは固過ぎる」などとよく陰口を言われたりしていた。 しかし、その「固過ぎるおやじ」は子供の僕にとって好ましいものではなかった。仕事一途などというとかっこよく、渋い父親像が浮かんでくるかもしれないが、父に興味があったのは仕事だけだった。音楽を楽しんでいる姿も、静かに本を読んでいる姿も、見たことはなく、家にいるときはいつもただTVを見ているだけで、遊びに来る友人も、遊びに行ける友人宅もなかったようである。 … 友達の父親で全く僕の父と正反対の人がいる。その人は仕事など全くといっていいほどせず、奥さんのヒモのような存在になっていて、遊んでばかりだったらしい。奥さんの稼いだお金で自分だけアフリカ旅行に行ったりとか、やりたい放題だったそうだ。それでも、まだうちの父に比べれば、人間的でましのような気がしていたが、その子供としては許せない存在らしく、「もし、母が父より先に死ぬようであれば、俺が父を殺す」と友達は言っていた。「過ぎたるは及ばざるが如し」といういい古された諺が思い浮ぶが、確かにその通りのようで、何事もバランスなのかもしれない。 … 遊びは言うに及ばず、家族でさえ父の愛情の対象にはならなかった。子供のとき父から優しい言葉をかけられたとか、何処かに連れて行ってもらったとか、勉強を教えてもらったとか、父との心温まる出来事などというものの記憶が僕には全くない。こういった文章を書くにあたって、ひとつでも楽しかった父との交流というものを思い出そうとしたのだけど、結局そういった想い出といったものは何一つ脳裏に浮かんでこなかったのである。父は僕にとっては、生物学的な親というだけで、父に人間らしさを感じたことはなく、まるで機械のようだった。 そのような父を見て育った僕は、お酒を飲める年になっても、あまり積極的に飲みたいとは思わなかったし、未だにビールには拒否反応が出てしまう。飲み会などでは最初はビールから行くのが普通らしいけど、どうもそれがだめで「最初はビールでいいよな」という声を聞くと、「いや、俺は…」とサワーなどを注文してしまう。実際に、ビールよりもサワーなどの方が僕にはおいしく思えるのだけど、ビールが全く飲めないというわけでもないのに、必要以上の拒否反応がでるのは、「父のようにはなりたくない」という思いが、心の何処かにあるのかもしれない。 仕事だけの父の人生も、僕には大きな影響を与え、今の自分の生活にその影を落しているように思える。僕は成人になってから、仕事だけを重要視する人間を嫌悪している自分に気づくようになった。僕は会社の上司とか同僚とか、とにかく会社の常識とか日本の常識とかいって、長時間労働とか滅私奉公の精神とかを植えつけようとする人間を軽蔑し、苦々しく感じて、適当にあしらっておけばいいものを、それらに必要以上に対決姿勢を示してしまい、結局は孤立してしまうのだった。そのような人間を放っておけないのも、彼らが父の代役のような存在だったからで、僕の中で何処かそれを許せない部分があり、ついつい無用の議論をふっかけたりしたのだろう。こうして、僕は仕事以外に価値観を求めるといった方向に強く流されていくことになったような気がする。もし、父が仕事に家庭にと均衡のとれた生活をしていたら、僕も少しは「真とも」な人間になったかもしれず、いまさらながら親の影響というものの大きさを感じてしまう。 お酒では祖父は日本酒を好み、父はその日本酒に拒否反応が出てビールを好み、僕はそのビールに拒否反応がでてそれ以外の酒を、という具合にうちの家系は父と同じ種類の酒をその子供は飲まなくなり、生活面では遊び好き、仕事一途、そして三代目はまた遊び好きと正に隔世遺伝のような因縁ができてしまったようである。父親と同じ種類の酒を飲めないというのは、子供にとって寂しいことのように思う。(2004.6.19) |