春休みを利用して大阪から東京に遊びに来ていた6歳の男児が六本木ヒルズ内にある森タワーの自動回転ドアに頭を挟まれて死亡するといった痛ましい出来事があった。そしてそれにともなって、TVや新聞で回転ドアの特徴がよく取り上げられている。 回転ドアは戦後欧米化するビルのエントランスとして採用されはじめたが、当初は高価であることや事故が起こりやすいとの理由でそれほど使われなかったようである。ところが最近、ビルのハイテク化が急速に進み、省エネルギーの観点から多く使われるようになってきた。 従来の両側に開くスライドタイプの自動ドアでは通常ある一定の距離をおいて2つのドアを付ける事により風除室をつくり、空調されたビル内の空気が外に出ないようにしている。しかし、実際には、皆さんも経験があると思うけど、人の通行量が多かったり、また少なくても人の通過するタイミングによって距離を隔てた2つのドアが同時に開いてしまうことがよくあるのだ。つまり換気が頻繁に起こることになり、省エネとしては効率がよくない。さらに、2つのドアの位置が近過ぎれば意味がないため、ある一定の広いスペースが必要になってしまう。 しかし、回転ドアだと4枚の扉のどれかが常に内外の空気を遮断しているので、省エネには最適で、さらに外からの騒音やほこりもシャットアウトできる。また、スライドタイプの自動ドアのような風除室が必要ないため、設置するスペースも小さくすみ、外観も美しくみえるといった利点があるようだ。 省エネという立場からは申し分ない自動回転ドアだけど、実際に利用してみてその経験からいうとあまり人間工学的に優れているとはいえないように思う。というのもスライドタイプの自動ドアの場合、入ろうと前に立てばドアは開き、そこに立ち続ける限りドアは開いたままになる。人がドアから入ろうとする時、常にドアの開きは大きくなる。しかし、自動回転ドアの場合はそうではない。 自動回転ドアの場合、ドアはある一定の速度で常に回っているため、人が入ろうとするとき、その入口は徐々に広くなり、そして狭くなっていくということを繰り返すことになる。乗るタイミングが合わなければ比較的簡単にドアに挟まれることになってしまう。僕自身も何回か回転ドアを使ったことがあるが、ぎこちなくなってしまうことがほとんどのように思う。しかし、今回の痛ましい出来事―あえて事故とはいいません。事故というよりも犯罪に近いような気がするからです―は自動回転ドアが持つ、構造的な問題が原因ではない。 事故が起こりやすい自動回転ドアには当然、安全対策が施されていなければならない。それが‘挟まれ防止センサー’でこのセンサーは障害物を感知するとドアの回転に急制動がかかり止まるようになっている。森ビルはこのセンサーを「ドアが停止することが多くて困る」との理由で故意に、基準の地上80cmから感知できるものを120cmまで上げた。これには次のような経緯があったようだ。 昨年の12月にヒルズ内の別の回転ドアに6歳の女児が挟まれる事故が起きた。その対策としてビルを管理する森ビルが回転ドアの入口に駆け込み防止用の柵を設置した。柵は高さ約85cmの2本のポールを赤いベルトでつないだものだったが、このベルトがビル特有の強風により激しく揺れてセンサーに感知され、誤作動が相次いだそうだ。その誤作動をなくす目的でセンサーの設定の変更が行なわれ、死角を増やすことになってしまった。さらには、人の回転をよくしようと、回転速度は最速に設定されていたそうだ。 自動回転ドアに挟まれた女児のけがは軽いものではなく、頭を数針縫うようなものだったにもかかわらず、とった対策といえば柵を設置しただけ。しかもその柵のベルトが自動回転ドアを度々止める原因になれば、止まらないようにセンサーの死角を増やしてしまう。さらに、30数件の同様な事故が起きているにもかかわらず、何の対策もとっていない。 このビルの管理者は自動回転ドアの安全性をいかに高めて確保するかなどということは全く頭になかったように思える。ドアの回転速度を最速にし、簡単に止まらないようにセンサーに死角を増やしたのは、いかに効率的にドアを回し続けるかということだけしか頭になかったからではないだろうか?システムを効率よく回すことだけにしか関心がないといった視野狭窄に陥り、大切のものをわきにわきにと押しやり、ひたすら前へ前へと進もうとする現在の日本の姿と重なるものがあるように思える。 もうかなり前にポール・ニューマン、スティーブ・マックウィーンが主演した「タワーリングインフェルノ」という映画があった。最新の高層ビルを建設し、その完成のパーティを最上階のラウンジで開催中に火災が起こり、パニックになるというものだった。火災が起きた原因は最新の高層ビルの外観とは裏腹に、その内部は建設費を安くあげるため手抜き工事が行なわれており、電気配線の杜撰さから出火してしまったのだ。 まさに今回の事故は「現在のタワーリングインフェルノ」といえるような気がする。どんなに立派なものを作っても、それを管理する人間がいい加減なら意味はない。それが人を傷つける凶器となることさえある。高層ビルを見上げるだけではなく、もっと私達は自分の足元をじっくりと見つめる必要があるように思う。(2004.4.10) |