価値観の転換 

―‘何者かの自分’から‘そのままの自分’へ―

 このサイトに来るメールや他のサイトの掲示板や管理人さんが書かれた文章を見ると、再就業をしようとしている多くの人の前にそれまでに培われた価値観が立ち塞がっていることを感じる。このサイトでもそのことについてはたびたび書いてきたように、これは他人事ではなく僕自身の問題でもある。しかし、最近この価値観というものに足を引っ張られているのは男性の方がはるかに多いということに気づいた。

 ある知り合いの女性は短大を卒業した後、編集の仕事がしたくていくつかの出版社を受けた。しかし、その全てに不採用となってしまった。それでも彼女は編集の仕事が諦めきれず、ある比較的有名な出版社にアルバイトとして入った。しばらくその仕事を続けたが、今度はデザインの仕事がしたくなり、ある雑誌のデザインをしている小さな編集プロダクションにアルバイトをしていた出版社の人の紹介で転職した。しかし、他の同僚や特に経理を行なっている社長の奥さんとうまくいかず、1年足らずで退社することになる。その後、結婚そして妊娠し、出産・育児にしばらく専念する。

 しかし、結婚生活は長くは続かなかった。2人目を出産した直後、彼女は離婚する。編集の仕事がしたかったが、幼い子供2人抱えて時間が不規則な仕事はできない。さらに、編集の仕事もPCが中心となっていて、PCの全くできない彼女を雇ってくれる会社はなかった。彼女は自分のできる仕事なら何でもしようと決意する。コンビニの店員に始まり、埃っぽい倉庫でのダンボールの仕分け、ホテルの客室係などいろいろな仕事をする。

 本や雑誌を編集する仕事をやりたかった人が、倉庫やホテルでの仕事に就かざるをえなくなったとき、何か心に引っかかりがなかったのと訊いたら、そんなものは全く感じなかったと彼女は言った。目の前にある自分にできそうな仕事なら何でもやるという。また以前、僕が勤めていた会社でアルバイトをしていた女性はスペイン語の通訳の資格を持っているのに、倉庫での深夜の仕分けの仕事をやりたくて応募したことがあると言った。結果は深夜作業に女性は採っていないといわれてダメだったが、いつかはやりたいそうだ。このふたりからやれる仕事、やりたい仕事はやるといったたくましさを感じる。会社の規模や勤務形態などほとんど気にしていないのだ。

 このふたり以外にも、僕の周りにいる人間でははるかに女性の方がたくましく、いきいきしているように見える。つまらないプライドがない。彼女たちをたしましく、いきいきさせているのは生活力とそれに根付いている好奇心のように思える。

 ホームレス、自殺者の男女比率は圧倒的に男性の方が多い。ところが、命の電話など自殺志願者の窓口に相談してくるのはそのほとんどが女性だそうだ。男性の場合は何かあっても誰にも相談できず、孤独にホームレスになったり自殺してしまっているのに対して女性の方ははるかに社会性がありいろいろな窓口に相談し何とか決定的な情況を回避している。その差が出ているように思う。

 その差はどうしてうまれるのだろうか?男性の生活はいつしか会社に行くだけになっている。朝、会社に行き、夜、家に帰ってくる。それの繰り返しで毎日が終わる。独り暮しならまだ生活に関ることをいろいろとしないといけないから生活力はつくわけだけど、もし親と同居していたり、結婚している場合はほとんど家のことなどしないはずだ。そんな生活を何年も何十年も繰り返していれば、生活力などつくはずもなく、好奇心も磨耗して、休みになっても家でごろごろしているしか能のない人間になってしまう。会社に生きていくエネルギーのほとんどを吸い取られているのだ。

 ほとんど全てのエネルギーを注いでいる会社が男性の価値観のすべてとなる。したがって、自己都合または会社都合で会社を退職した場合、なかなか別の価値観を見出すことができない。女性はそのままの自分に価値観を見出せるが、男性は何者かの自分にしか価値観を見出せない。‘巨人の星’や‘あしたのジョー’から‘ドラゴンボールZ’に至るまで実に多くの少年マンガは主人公が何者かになることによって成り立っている。それらを子供の時から読んでいる男性には自然と何物かにならなければと刷込まれているように思える。

 もちろん何者かになるということは、それはそれで価値のあることだとは思う。しかし、それだけにしか価値観を見出せなくなってしまうと、何者にもなれなかった時、または何者かでなくなった時に受ける喪失感は計り知れない。会社員でなくなったとき男性が無力感に囚われ、翼を失った鳥のようになってしまうのも何者かの自分にしか価値観を見出していないからであり、特にエリートが弱いというのも、1つの挫折によって全ての価値観が喪失してしまうからで、上記の女性たちのようなしたたかさがないからだ。

 会社員というのはその人間の1つの側面でしかない。そのたった1つの側面だけに価値を感じ、本来の自分を見失っている。それは海の上に出ている氷山のようなもので、海の下にはそれよりはるかに大きい氷の塊があるはずだ。その大きな氷の塊がそのままの自分なのだ。それに比べれば海の上に出ている部分など正に氷山の一角にすぎない。

 ‘何者かの自分’から‘そのままの自分’に価値観の転換が必要のように思う。そして大切なのは‘そのままの自分’に向き合うことだ。そうすることによって新しい生きかた、そして新しい自分が見えて来るかもしれない。スマップも歌っているではないか、誰でもナンバーワンにはなれないけど、誰でもオンリーワンであることは確かなのだ。(2004.2.25)


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