白と黒

 昔、子供向けの科学の本で光りはいろいろな色で構成されており、白はそのすべての色を均等に反射するから白く見え、黒はすべての色を吸収してしまうから黒く見えると読んだ記憶がある。科学の世界ではこのようにまるで正反対の性質を持ち、最も遠い距離にある白と黒ではあるが、私達の身の回りを見まわすとそれはほとんど隣同士で存在し、一歩踏み出せば片足は白に、もう片足は黒に乗っていたりする。

 まず白と黒といって思いつくのはゲームの世界だ。チェスや囲碁など白と黒にわかれて戦う。しかし、白と黒が本質的な意味を持つのはオセロゲームだ。まずひとつのチップが片面は白、そしてもう片面は黒になっている。そしてゲーム自体も白と黒が瞬時に変わり、今まで白が多数を占めていた盤面が1手によって黒が多数を占めるように変わってしまったりする。まさに白と黒とは遠い存在ではなく、表裏の関係である。

 スポーツの世界でも白と黒はなくてはならない存在だ。その中で最初に思いつくのは日本の国技である相撲だ。直径4m55cmの土俵の上で行なわれる数秒の勝負により、力士には白星がついたり、黒星がついたりする。力士の白星と黒星は隣り合わせに存在している。

 個人あるいは団体による一対一の勝負事ではほとんどの場合、その勝ち負けは白と黒で表される。そして多くの場合、その白と黒を分けるのはほんの僅かな力の差だったり、運だったりする。しかし、ほんの僅かな差によって決まる白と黒の差はこれまた多くの場合、天と地ほどの差がある。

 女と男を白と黒と表現する場合もある。それほど詳しくはないけれど、ストリップ劇場で白黒ショウなどというものがあったようである(今でもあるのかもしれないが)。女を白、男を黒と表現するところからこのショウがどのようなものかは容易に想像がつく。この‘伝統’に従うと大晦日に行なわれるNHKの紅白歌合戦は白黒歌合戦になり、しかも女性が白組ということになる。しかし、白黒歌合戦ではいかがわしい響きもあり、何か縁起も悪そうなので紅白としたNHKは賢明だったかもしれない。

 横溝正史の金田一耕助シリーズの中で「白と黒」という作品があるが、この探偵小説のなかの怪文書にやはり‘白と黒’という箇所がありこれもまた‘女と男’という意味で使われている。このなかでは白のほうが重要な意味を持っていて、白をレズビアンの隠語としている。女と男、これもまた隣合わせの関係だ。

 よく刑事ものや法廷もののドラマで容疑者のことをあいつは黒だとか白だとかいう。この場合は犯人なのか、そうではないのかで黒と白が判れることになる。法廷では黒か白かの判定を巡って壮絶な攻防が行なわれる。白か黒か容疑者はその線上を歩いている。そして塀の中に落ちるのか、その外に落ちるのか、その結果は人の一生を大きく変えてしまう。

 物事をはっきりさせることを白黒をつけるという。スポーツや法廷の世界では隣り合わせにあり、その結果が人に大きな影響を与えることの多い白と黒ではあるが、私達の実生活ではそれを明確にわけることは容易ではない。私達の生活のなかで起きる出来事は常に白と黒の中間にあることが多い。それはある人から見れば白に見え、また違う人からみれば黒に見えたりする。さらにどの角度から見るかということによってもその色合いが変わって来きてしまい、自分の中に白と黒、両方の考えが共存したりする。

 最近の例でいえば自衛隊のイラク派遣などはその典型かもしれない。どちらがどっちでもいいのだけど、イラクへの自衛隊派遣賛成を白、反対を黒としよう。ほんとなら誰だってあのような危険な地域に同じ日本人を送ることは反対なはずだ。一番大切な人命が失われる可能性があり、憲法に違反している可能性も強い。これらの理由で当初世論調査の結果は黒に限りなく近い灰色だった。

 しかし、戦争により破壊されたイラクに人的な貢献をしてその復興を助けなければいけないと考えている人は多かった。そして実際に自衛隊がイラクに行ってしまい、その映像が流れることによってその気持ちが表に現われるようになった。治安もそれほど悪くはないようだし、同じ日本人にイラクの地でがんばってもらいたいという気持ちが強くなっていったように思う。限りなく黒に近い灰色に多くの白が混じるようになり、今は黒白の中間くらいまでになった。もし、自衛隊ががんばってイラクの復興支援が順調に進むようならさらに白に近づくだろうし、テロやゲリラに襲われるようなことが起きればまた黒に近づいていくだろう。

 世の中は純粋な白もなければ黒もない、灰色の世界である。その灰色を白と見るか、黒と見るかは本人次第なのだ。それは見る角度によって白に見えたり、黒に見えたり、変わることもあるし、松本サリン事件の当初の容疑者にされた人のようにみんなが黒だといっても白の場合もある。

 黒を白だと強弁する人間もいる。大切なのは自分の目で見て、耳で聞いて、手でさわり、足で歩き、頭で考えることのように思う。そしていろいろな角度から見てその色合いを判断することだと思う。物事は常に多面的で、時とともに形を変えるものもある。白と黒、遠いようで近い存在、そしてそれは天国と地獄ほどの違いがある場合もある。(2004.2.11)


皆さんのご意見・ご感想をお待ちしています。joshua@xvb.biglobe.ne.jp

TOP INDEX BACK NEXT