太陽と海と時間


 「貧困は僕にとって必ずしも忌むものではなかった。何故なら太陽と海はお金では決して手に入れられなかったから」名前まで思い出せないが、確か外国の詩人の言葉だったと思う。この人は海の近くに住んでいたのだろう。詩人という職業から生活は楽ではなく、むしろかなり困窮していたように思われる。ただ、時間だけはいっぱいあり、よく浜に行って照りつける太陽の陽や潮風の香り、砂浜の感触や波の音、そして海の塩辛さや冷たさを愉しんでいたのだろう。彼にはお金はなかったが、時間があった。

 「こんな仕事を40年も続けるのか」これは自殺未遂をした男性の言葉だ。‘追跡 ネット自殺’という毎日新聞に掲載された記事の中に書かれていた。この男性はある外食産業に就職が内定し研修に出た後、このように落ち込んでいたそうだ。そしてネットで知り合った他の3人と車の中で自殺を図ったがさいわい未遂に終わった。就職と同時に40年先のことまで考えが及び、絶望するということは僕にはなかった。しかし、彼の気持ちは全くわからないわけではない。就職と同時に40年という途方もない時間をくだらない仕事−彼にとってはそう思われたのだろう−によって失ってしまうという恐怖により絶望してしまったのだろう。


サロマ糊

 無職の今、もし自分が会社を辞めなかったら…と考えることがある。会社というのは長くいると、居心地がよくなってくる場合が多い。そしてだんだんとそれに慣れていく。自分の頭で物事の本質を考えるという当たり前のことが少なくなり、周囲に自分が同化しているかということだけが重要に思われるようになってくる。そしていつの間にか、頭と心を持たないロボットのようなものになってしまう。そうなれば定年を向かえ、ひとりの人間に戻ったとき新しい価値観を作れず、何をしていいのかもわからないようになってしまう。

 日本の会社には「長い休み」が年3回くらいあると思う。しかし、これらは長くても1週間前後だ。年末年始は行事が多く、休業する店舗も多いから行動にかなりの制限が出るし、GWは何処に行っても混んでいて、あまり遠出をする気になれないことが多い。そういった意味では夏休みが唯一、ゆっくりと自分勝手な休日を過ごせる可能性があるが、日本の会社は何処も夏休みは貧弱だ。大企業でも土日をいれて9日間、中小だと5日間というところが多い。これだと地方に帰省する人はそれだけで休みが終わってしまったりする。だから休みの時に自分の頭で考えて何かをするということが、あまりない。

 会社員だと普通、有給休暇というものがある。しかし、これを完全に消化している社員を僕は見たことがない。女性でたまにうまく休みを取っているなと思う人はいたが、男性は考えが硬直しているせいか、周りの目を気にしてか、有給休暇はあまり取らないものだという考えが根底に横たわっている。僕の前の職場など社長直々に私用の有給休暇は許可されないだろうなどと言っていた。有給休暇を完全に消化しようものなら、周りからは変人扱いされ、白い目で見られたりする。労働者の当然の権利なのにだ。

 僕はいくつか会社を変わっているが、その中で1番長い休みを取った人は2週間だった。それも新婚旅行のためで、結婚でもしないかぎり、1週間以上まとめて有給休暇を取った人を見たことがない。休み好きな僕でさえ、2週間の休みなど取ったことがなく、せいぜい夏休みと有給休暇を組み合わせて10日間前後だった。つまり一度会社に就職してしまえば、辞めないかぎり1週間以上休みを取ることは容易ではなくなる。そう考えると自分の人生がまるで会社で、たいして面白くもない仕事をするためだけにあるようで怖くなる。

 日本の企業もヨーロッパ並みに夏休み1ヶ月くらいになればいいと思う。1ヶ月という時間があれば、やろうと思えばかなりのことができるし、みんな自分の頭でいろいろと考えるようになると思う。そして、会社以外の自分だけの価値観をみつける人もいっぱい出るような気がする。しかし、現実的はまだまだ先の話になりそうだ。

 僕は今まで4回会社を辞めて、4回無職生活を経験しているが、その期間は2ヶ月、7ヶ月、4ヶ月、4ヶ月だ。失業していれば精神的にはきつく、これを休暇と同じに考えることはできないかもしれない。実際にかなり荒んだ生活になったり、精神的に追い込まれたり不安に苛まれたりすることもある。しかし、この無職の期間に自分のしたことを思い出すと、会社に勤めていてはできなかったことも多い。今になって考えてみると、やっぱりこの期間は僕にとって貴重な時間だったような気がする。

 よく、長い休みになると何をしていいかわからないという人がいる。こういう人はもはや自分を失ってしまっているような気がする。ただ単なる会社の歯車としてしか自分の存在理由を見出せなくなっている。人間として自立していないのだ。

 どんな人でも、どんな暮しをしていても時間だけは平等に流れる。その時間を他人に売り渡さなければ生活は成り立たない場合が多い。しかし、それに慣れてどんどん自分を合理化していくとやがては自分を失ってしまうような気がする。

 失業というのは辛いことかもしれない。しかし、その辛さと引き換えに得るものもあるような気がする。同じ会社にずっと勤めつづけるのも、人生をいう長い時間から振り返ってみれば、時間を失い、自分を失っていく過程であり、はるかに怖いことなのかもしれない。時間を取り戻し、自分を取り戻し再生させ確立させる、そんなふうになればいいなと僕は思っている。

「失業は僕にとっては必ずしも忌むものではなかった。…」なんて数十年後に回想できたらいい。(2003.8.28)




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