夜の病院


 僕はいわゆる霊感というものがないようで、今まで霊的な体験というものをほとんどしたことがない。ただ一度、高校生の時、肺炎になりかかって病院に入院したことがあり、その初日に不気味な体験をした。これはその時の話である。

 僕が通っていた高校は1年を前期と後期に分けていた。その後期の中間試験(12月上旬)の最中に僕は風邪を引いてしまった。当時、僕は熱が37度を1分でも上回ると学校を休む主義だったが、この時は試験で午前中2時間で帰れるということもあり、熱が38度前後あったが、無理して出席していた。

 その試験も残り2日となった夜、翌日の予習をしようと机に向かったが、あまりにも気分が悪いため早々に寝ることにして、ふとんにもぐった。しかし、ふとんに入ってからそれまでの人生で感じたことのない悪寒に襲われて、体がガタガタと震え、明らかにただ単なる風邪ではすまない雰囲気になってきた。

 学校の試験は仕方なく欠席することにしたが、静かに寝ていればそのうちよくなるだろうと思い、親の忠告も聞かないで僕は病院には行かなかった。しかし、症状は日に日に悪化していった。仕方なく、近所の医者に行った。その医者は「風邪をこじらせてしまったようですね」といい注射をして、薬を出してくれたが、数日経っても一向によくならなかった。

 38〜39度の高熱が続き、そのうち物がほとんど食べられない状態になった。体力は極端に落ちて、ついにひとりでトイレに歩いていくのすら辛くなってしまった。母はこのままでは大変なことになると思い、知り合いの人に頼んで車を出してもらい、僕を大きな総合病院に連れていった。

 すぐに入念な精密検査が行なわれ、肺炎になりかかっているとのことで、緊急入院することになった。僕はそのまま4階の4人部屋に寝かされ、母は自宅に戻って着替えなどを取ってきた。

 入院と聞いても体調が悪いためかあまり実感がなく、病院での生活は今まで全く経験のない世界なのでちょっと心ときめくものがあった。薬に対する体の適正をチェックする注射を1度に5本もされたり、針の穴がはっきりと見えるような注射針で点滴されたりしたが、それほど苦痛と感じなかった。健康なときは注射など考えるだけでも鳥肌が立つ性質だが、病気になってしまうと忍耐強くなるらしい。

 6時から夕食だったが、固形物が食べられないため、流動食だった。夕食をとり終わってしまうと何もすることがない。夕食が終わって7時ちょっと前に母は家に帰って行った。入院初日なのでラジオどころか読むマンガもなく、僕は隣のおじいさんの点けっぱなしになっているTVの音を聞いていた。

 8時を過ぎた頃だっただろうか、病院全体が慌しくなった。看護婦さんが慌しく走る姿が見られ、4階の入院患者も廊下に出て、声高に何かをしゃっべっているようだ。その話声から僕はだいたい状況がわかった。どうも急患でおばあさんが運ばれてきたようなのだが、危篤に陥っているらしい。トイレに行きたくなったので、病室から出てみると廊下ではあちこちに数人づつが固まって、心配そうな顔をしてそのおばあさんの噂をしていた。その噂によると、今晩一晩持つかどうかというくらい深刻な状況のようだった。

 トイレからベッドに戻り、再び体を横たえるとウトウトとしてきた。薬が効いてきたのかもしれなかった。病室は9時になると消灯になってしまうらしく、灯りが消えるようだが、僕はその前に浅い眠りに入ってしまった。

 何かの拍子に目が覚めた。近くに置いてある時計を見ると11時を少し回っていた。2時間くらいウトウトと眠っていたことになる。病室の灯りはすでに消えていた。廊下には小さな灯りがともっているようで、病室のドアにはめられたすりガラスからほのかに光が漏れている。

 そのすりガラスから微かな灯りが漏れているドアの向こうにある廊下から、まだ囁き合うような声が聞える。さすがに前のように声高のしゃべる者はなく、何を話しているのかはわからなかったが、まだ数人であのおばあさんの噂話をしているような気がした。なかなか眠りにつけないので、しばらくその囁き合う声を何とはなしに聞いていると、人数は以外と多いようでザワザワしている。その声がだんだんと気になって眠れなくなってしまった。

 消灯されているのに廊下で話していても看護婦さんは注意しないのだろうかと頭にくるというよりは不思議な気持ちになってきた。それにもう12時近いというのに病人が病室を出て廊下で無駄話をしているというのもおかしい。それもかなり大勢だ。

 廊下での話し声が耳について眠れなくなり、何度も寝返りを打ったりしているうちに、尿意をもようしてきてしまった。廊下には人がたくさんいそうだし、その中に出て行くというのも、ちょっと気が引ける。もう遅いし、しばらくすれば解散して、それぞれの病室に戻るだろうと思い、僕はトイレに行くのをがまんすることにした。

 しかし、いくら待っても廊下でのざわめきはなかなかおさまらない。抑えた声の調子から急患で運ばれてきたおばあさんの話をしているような気がするが、これだけ長い間ざわついているということは何かよくない結果にでもなったのだろうかと思ったりもした。

 そうしているうちにも尿意はだんだんと強くなってきた。もう、がまんの限界だった。僕は意を決し、トイレに行くためベッドから下り、スリッパをはいて、病室のドアまで歩いた。そこで止まり廊下の様子を伺うと、まだ多数の人が声を潜めて話している声が聞える。僕はドアノブに手をかけて回し、ドアをゆっくりと開けた。すると…、廊下には誰もいなかったのだ。
あれだけ人の話す声が聞えていたというのに、実際に廊下に出てみると誰もそこにはいなかった。僕は事態を把握することができなかった。一体、これは…

 僕はよくわからないままトイレに行って用をたし、また病室に戻ってベッドに横になった。もう、話し声は何処からも聞こえず、辺りは静寂に包まれていた。ベッドに戻り、しばらくたってから、事態の異常さに気づき、恐怖が込み上げて来た。廊下での話声はいったい誰だったのだろう、それもかなりの人数だ。僕はふとんを被り、何とか睡眠に逃れようとしたが、目は冴え、頭の中は混乱し、時間だけが過ぎていった。

 どのくらいの時間が過ぎただろう。また、声が聞えてきた。それも今度は病室の中から…。もう、どうしていいのかわからなかった。辺りはまだ夜の闇に覆われている。僕は体の向きを変え、声のする方を向いて目を開けた。誰もいない…

 だけど、声ははっきりと聞える。それも前に聞えたような囁きではなく、こもったような低い声で耳をすますと1音1音何となくわかる。何を言っているのかその意味はわからないが、念仏のようだった。恐る恐る時計を見ると午前4時。僕は勇気を出して、何処から声が聞こえてくるのかを確かめようと暗闇の中でベッドから上半身を起した。

 目も暗さに慣れてきたようで窓から差し込む外からの光で何となく辺りが見える。部屋の中には僕を含めて4人の入院患者の他は誰もいない。声がするのは僕のベッドの横からだ。通路を挟んで僕の横に寝ているおじいさんを見るとよく寝ている。しかし、目を凝らしてよく見ると口が動いている。念仏を唱えていたのはこのおじいさんだったとわかり、少し安心したが、不気味なことに変わりはなかった。

 朝になってそのおじいさんの付き添いの家政婦さんがやってきたのでそのことを言うと、毎日ではないが時折明け方に念仏を唱えることがあるらしいと言った。気味悪がらせてごめんねと謝られた。しかし、あの廊下から聞えた多数の人間のざわめきは一体何だったのだろう。

その日の昼、急患で運ばれてきたおばあさんが昨晩亡くなったことを聞いた。(2003.7.26)




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