お腹の急降下


 「お腹の急下降。でも、大丈夫!」とか「息子のピンチ!」とかいうCMがよく流れているけど、人ごとではないのである。僕も腸が弱いためよくこういうことがある。何だかしょっちゅう下痢をしているような感じで、ある年配の女性の話によると甘い物の食べ過ぎだという。

 僕は甘い物が大好きでケーキなんかいくらでも食べられるという話をしていると、横で話を聞いていたその女性に「Kさんウンチ柔らかいこと多いでしょ?」と言われた。その女性によると甘い物を食べ過ぎるとウンチが柔らかくなるらしい。

 それが原因かどうかはわからないけど、僕は子供の頃から‘お腹の急降下’には苦労している。最初の大きな試練は小学校6年生のときだった。

 その日は朝からちょっとお腹の具合は悪かったけど、何とか持ちこたえていた。今はどうかわからないけど、当時は学校でウンチをすることが死ぬほど恥ずかしいことだったのだ。それでトイレに行きたいけど、我慢していた。

 だけど4時間目になると、それまで軽く押し寄せていた小波が大波になるような感じでその間隔も短くなっていった。お腹がしぶく痛んで、額からは脂汗が流れた。便意は波のようにやってくる。痛みをこらえていると少しやわらぐけど、しばらくするとまた痛みが酷くなる。お尻に意識を集中していないと、一気にダムが決壊してしまいそうだった。何度も先生に「トイレに行かせてください」と言おうとしたけど、恥ずかしくて言い出せない。痛みが増すとお尻の穴をつぼめて何とか耐えた。授業など何処かに行ってしまい、僕の頭の中は便意をこらえることだけいっぱいになった。そして何とか4時間目が終わった。

 ちょっとほっとして給食の時間になったのだけど、ものを食べ始めたら、それまで小康状態を保っていたお腹の均衡が一気に崩れてしまい、急に痛みが襲って来て、ちょっとウンチが漏れたような気がした。だけど、気のせいだろうと自分に言い聞かせて、さらに痛みをこらえて食べ物を口に運ぶと、今度は水分を多く含んだ物がおしりから小さな音をたてて出た。

 僕はもうパニックになり「具合が悪いので保健室に行きます」というと先生が何か言っているのも無視して、トイレに走った。その間にもまたちょっと出てしまい、トイレについて個室に入り、ズボンとパンツを下ろすとかなりの量が出ていて、もうパンツははけない状態になっていた。幸いパンツが何とかウンチを食い止めていてくれて、ズボンにちょっと染みているもののよく見ないと、わからない程度だった。

 僕は残りのウンチを出してお尻をふいてから直接ズボンをはいた。だけどウンコパンツの処分には困った。強引にトイレに流せば詰まってしまうだろうし、そのまま放置すれば騒ぎになって僕だということがわかってしまう可能性が強い。

 僕は便器の水でパンツをある程度きれいに洗ってから、トイレにある掃除用の用具入れの奥に隠した。こうしておけばしばらくは発見されないと思った。そして、何もなかったように保健室に行って、「具合が悪いのでちょっと寝かしてください」といってベッドに横になった。

 しばらくするとクラスの保険委員がやってきて「何処行ってたの?」と訊かれた。どうも先生が心配して保健室まで付き添うようにいったらしいのだけど、僕がトイレに行ってしまったため、彼はしばらく僕を探して校内をウロウロするはめになってしまったらしい。

 僕は5時間目から授業に復帰した。友達に「どうしたの?」と訊かれて困ったけど「うん、ちょっとお腹がね」といって誤魔化した。出す物を出してしまったから、晴れ晴れをした気分だったけど、下半身がちょっとスースーして恥ずかしかった。

 中学校2年生のときにも「お腹の急降下」に襲われたことがある。それは期末試験で美術の筆記テストの最中だった。試験が始まって3〜4問答をテスト用紙に書いた時、お腹が痛くなり便意が襲ってきた。それは急な痛みでテストに集中しようと思うのだけど、そんなことを許してくれないほどだった。もうテストはいいから先生に「トイレに行きたいんですけど」と言おうと思ったけど、まだ始まったばかりなので言い出せなかった。

 何とか1問でも解答しようとテスト用紙をにらみつけるのだが、次々に襲ってくる大波小波にたえることだけで精一杯だった。テストはもうどうでもよくなり、とにかくこの苦痛から解放されたいので先生に言おうと思うのだけど、恥ずかしくなかなか言い出せなかった。

 そうしているうちに事態は悪化してやたらを冷や汗が体を流れはじめ、目の前が暗くなり、耳も遠くなって周りの音が聞えなくなっていった。血液という血液が下半身に動員されてしまったような感じで、脳貧血状態になっていた。そして何かを言うどころか、起きていることも困難になってしまい、僕は机につっぷして失神してしまった。

 終了のベルによって僕は気を取り戻した。テスト用紙はほとんど白紙の状態で、さらに汗で濡れていた。すぐにトイレに走ったけど、その時はもうあまり痛みもなく、いくら気張っても何も出なかった。極限まで我慢したことによって、便意が消えてしまったようだった。

 それから2週間くらいして帰ってきたテストの点数は8点だった…

 高校生になって僕は電車で学校まで通学していた。ちょうど通勤ラッシュの時間帯であり、車内は身動きもとれないほど混んでいた。そして高校がある最寄駅まであと数駅のところでお腹が急に痛み出し、我慢できないほどの便意が襲ってきた。ちょっとでも大きな動きをするとその拍子に出てしまいそうだったので、僕はできるだけ体を縮込ませて押し合いへし合いの満員電車の中で耐えていた。

 そしてやっと最寄の駅についた。学校まで我慢できればそれがいいのだけど、とてもそんなことできそうにない。僕は多少汚いのは我慢して駅のトイレに入ることにした。早くトイレに駆け込みたいけど、そんなことをしたら一気に決壊してしまう可能性が強いので、できるだけ静かにそして速く歩き、男子トイレに入った。

 男子トイレは大が1つしかないため、空いているように祈って鍵のところを見ると青になっていた。僕は自分の幸運を喜びノブに手をかけ、思い切りドアを開けた。するとサラリーマンが尻を剥き出しにして座っていた。サラリーマンはドアが開けられると情けなそうな顔を僕の方に向けた。僕はびっくりして謝りもせず、あわててドアを閉めた。

 鍵がかかっていなかったのは、どうも鍵を締め忘れたせいではなく、鍵そのものが壊れてしまっているようだった。ということはサラリーマンが出て僕がその後入っても同じような目に合うことは十分に考えられる。もう学校まで何とか我慢するしかないと思ったが、それはほとんど無理だった。たぶん学校に着くまでの何処かで、ダムは決壊するだろう。

 切羽詰まった僕の目に隣の女子トイレが入った。‘そうだ女子トイレだったら個室はいっぱいあるし、入ってしまえば男かどうかなんてわからない’僕は意を決して女子トイレに入った。

 幸い中には誰もおらず、誰の目にふれることもなく個室に入ることができた。そして、急いでズボンとパンツを下ろして用をたした。だけど、用をたして気持ちが落ち着いてくると、自分がとてもまずい立場にいることがわかった。もし、トイレから出るところを誰かに見られたらそれこそ変態と勘違いされるかもしれないのだ。

 僕はトイレの中から聞き耳を立て、周囲の様子を探った。誰かが入って来てドアが閉まる音や洗面所から水の流れる音などがしていてなかなか出ていくタイミングがつかめない。

 しばらくすると辺りは静かになった、僕はドアの鍵を開け、ドアをわずかに開いて周囲を見回した。誰もいなかった。僕は手も洗わず、女子トイレから早足で出た。その時、ちょうどトイレに入ろうとしているちょっと年配の女性と顔が合った。その女性は怪訝そうな顔をして僕を見ていたが何も言わなかった。僕は早足でその場を立ち去った…

 この他、社会人になってからも「お腹の急降下」に何度もあっている。つい2年くらい前も秋葉原に買い物に行った帰りの電車の中でお腹が急降下してしまい、‘あわや!’というところまで追い詰められた。弱い腸を持った者は一生この恐怖と同居していかないといけないのかもしれない。(2003.7.21)




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