学芸会の思い出(後編)


 みんなは再び、延々と話合いを続けることになった。そしてひとり‘俺、音楽に行くよ’という子がでた。彼は‘こんな話し合いをいつまで続けていても仕方ない’と言って、そのことを清水先生にいうと帰っていった。そうすると彼に続いて2人が‘俺も’、‘俺も’という具合に音楽に行くと言って帰っていった。僕も‘音楽に行く’という言葉がのどまででかかっていた。しかし、それを発音する勇気がなかった。

 こうして11人から8人になったが、自分はまず劇になることはないだろうなと内心思っていた。8人中2人だけなのだ。ただ、ダメでもこうなったら最後まで粘ろうとだけ思った。

 こうして動きが出てきたが清水先生は何も言わず、ずっと教壇の椅子に座って何かを書きながらみんなのことを見ていた。時間だけがどんどんと過ぎていった。さすがに前のように遊びの話をする子はいなくなったが、何人かは手や足を遊ばせていた。そうすると必ず誰かが「遊ぶなよ」と注意する。そうすると一旦は動きが止まるけど、時間が経つとまた… そして誰かが注意ということを繰り返していて、有意義な意見は全くでない。

 陽はだんだんと翳ってきた。校庭で課外クラブをやっている子たちも帰り始めたようで、外からの歓声も少なくなっていった。みんなが納得するような公平で明確な方法を誰も思いつかないようだった。もちろん僕もだ。

 もう4時を過ぎた頃、誰かが‘試しに多数決をとってみようよ’と言い出した。自分以外で劇の裏方に向いていそうな人を2人選んで手を上げてみようという提案だった。何の解決方法も思いつかないみんなはとりあえず、それをすることにした。結果は何と僕ともうひとりの子が同数で一番になったのだけど、それはあくまでも‘試し’にやったことなので‘ノーカウント’ということになってしまった。

 その後は全くといっていいほど案はでなくなった。もう誰かが自主的に音楽に行くと言うしかないような感じだった。しかし、そういう子はあの3人の後は出ず、時間だけがどんどんと過ぎていった。もしこのとき恐らく誰かが‘俺、音楽に行くよ’と言ったら続く子が数人は出たと思うが、それを最初に言い出す子がいなかった。

 こうして5時を過ぎた頃、それまで教壇の椅子に座って何か仕事をしていた清水先生がニコニコしながら僕達の方にやってきた。
「もう5時過ぎちゃったぞ」時間を告げただけだった。だけど、これが呼び水になって意見が出始めた。

 N君が「あみだくじで決めたらどうだろう」と言ったのだ。
「あみだくじ?」
「いいかも」という意見が出る一方、
「誰があみだくじを作るんだよ。不公平になる」という意見もでた。
N君は
「先生に作ってもらえばいいじゃん」と言い返したが
「あみだくじを引く順番で有利、不利が出るから公平じゃない」という意見が大勢を占めてしまった。N君は日頃理屈ばっかり言っている子供でみんなからあまりよく思われていなかったのだ。もしN君がみんなに人気があったら、あっさりとあみだくじで決まっていたかもしれなかった。

 しかし、これでそれまで全く動かなかった議論が動き出した。その直後に誰かが、
「恨みっこなしでジャンケンで決めよう」と言った。
ジャンケン!何でこんなに公平で簡単な方法を今まで思いつかなかったのだろう。N君だけはジャンケンは後だしがあるからあみだくじの方がいいと自分の意見に固執していたが、みんなが‘ジャンケンが一番いい’ということになってしまったので、仕方ないといった感じで納得した。僕もどちらかというとあみだくじの方がよかったのだが、それを言い出せる雰囲気ではなかった。

 ジャンケンと決まるとほとんどの子供が
「おしっこしてくる」と言ってトイレに走った。僕はほとんど劇を諦めた。というものジャンケンのような勝負ごとにあまり勝った記憶がなかったからだ。ジャンケンは確かに単純で公平で運によって決まるような感じがするが、以外と勝負にたいする強弱の出る不思議な決定方法なのだ。そして、僕は大事な局面で勝った記憶がほとんどなかった。

 先生の前で8人によるジャンケンが始まった。大勢でやっているため‘あいこ’を繰り返し、なかなか決まらない。それでも何回かやっているうちに2人負け、3人負けとなり残ったのは僕を含めて3人になった。そしてまずK君がひとり勝ち、劇の椅子を手に入れた。残りは後1つだけ…。僕とY君の勝負だった。この時点でもたぶん負けるだろうと僕は思っていた、僕はY君にジャンケンで勝った記憶がなかった。Y君は腕白な感じの子で先頭になっていたずらとかをよくしていた。

 しかし勝負の神様は不思議なもので何回かあいこになった後、僕はチョキで勝ってしまった。僕はすでに勝っていたK君と抱き合って喜んだ。Y君は「あ〜あ」と大きく落胆した表情をしていたけど、そんなに悔しそうでもなかった。
「ようやく決まったな。もう後10分で下校の時間だぞ。早く帰りなさい」と清水先生はうれしそうに笑っていた。時計を見ると5時50分だった。

 帰りは家の方向が同じ4〜5人といっしょに帰った。さすがにみんなぐったりと疲れていたけど、文句をいったりする子はいなくてみんな爽やかだった。ただ、朗読で選ばれたのに裏方に回ったF君に対して、一番の親友だったI君はずっとそのことを怒っていた。

この話には後日談がある。

 先生はこの日、帰る前に今日のことの感想を原稿用紙に書いて来るようにと8人に宿題をだした。8人が書いたものはプリントされクラス全員に配られた。僕は「僕は今まで1回も劇をやったことがなかったから、どうしてもやりたかった」書いた。I君はF君に対するやりきれない気持ちを綿々と書いていた。他の子はあまりF君のことを書かなかったが、一番の親友だからこそI君はどうしてもF君の行為を許せなかったのだろう。この後、しばらくI君とF君は‘しかと’というお互いを無視する状態になってしまった。

 先生は僕達8人のプリントを読んでの感想を今度は他のクラスメート全員に書かせた。あの日、学校を休んでいて劇に決まったM君は僕が「僕は今まで1回も劇をやったことがなかったから、どうしてもやりたかった」と書いたことにショックを受けたようで、文章の中に「僕はたまたま休んでいて先生から電話があり、劇がいいか?音楽がいいか?と訊かれたので劇と答えたのです。当日の事情を全く知りませんでした。もし、知っていたら僕は喜んで音楽に行ったでしょう。だって中には今まで一度も劇をやったことのない人までいたんですから」と書いた。僕はM君の文章を読んで胸が熱くなった。

 5年生の劇は大成功だった。6年生よりも評判はよかった。M君と他のクラスのAさんが主役になった。僕は裏方で照明を担当した。上級生に指導されて、何とか無事に終えることができた。(2003.7.11)




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