腕時計


 僕が始めて腕時計を買ってもらったのはたしか中学生になった時だと思う。当時は普通の経済状態の家庭ではだいたい中学校に入学した時に腕時計を子供にプレゼントしていた。友達もだいたいみんな持っていた。僕の腕時計は文字盤の色がグリーンの半自動のものだった。半自動というのは腕時計を動かすと自動的にぜんまいが巻かれるものだった。手動と呼ばれていたものはぜんまいを自分の手で巻かないといけないのだけど、半自動は身に付けてさえいれば自然と手は動くからぜんまいを手で巻く必要がない。でも、長い間使わないと止まってしまう。自動っていうのは当時あったかどうか… 残念ながら記憶がない。でも、電池式のものが出てきたのはもう少し後だったような気がする。

 グリーンの文字盤の上には銀色の針があり時を差していた。デジタル表示の時計が出てきたのはもうちょっと後のことだけど、僕はデジタル表示ものもは今でも好きじゃない。アナログのほうが視覚的に時間が判断できる。アナログだと長針と短針の角度で瞬間的に時間を読取れるけど、デジタルだと頭の中で60進法の計算をしないといけないのでイマイチ好きになれない。バンドは銀の金属製だった。持つとずっしりと重みがあった。特に必要もないのに毎日学校にしていった記憶がある。

 しかし、高校に入った頃からだんだんと腕時計をしなくなっていった。理由の一つは単純に時計に飽きてしまったせいだと思う。さらに都会に暮らしているとそこらじゅうに時計があるため、腕時計をする必要もなかった。必要もない時計をしていくことが面倒だった。これはこの後、専門学校に行っても続いた。

 学生時代は必要なかった時計も社会人になると必要になってくる。スケジュールが分刻みだったりする為、腕時計がないと不便だった。僕は社会人になった時、中学校以来久しぶりに新しい時計を買った。自分で買ったのは始めてだった。でも、もうそれは中学校の時のようにわくわくするようなものではなく、ただ時間さえわかればいいという安物だった。

 やがて正式に配属も決まり、仕事にも慣れて来ると腕時計はまた必要なくなった。営業関係の仕事だと必要なのだろうが、技術関係の仕事をしていた僕には特に必要なものではなかった。デスクワーク中心だし、職場には何個も時計があるし、毎日通勤していれば電車の時間なども体に刻みこまれていく。

 そのうち何回か会社を変えたが、腕時計はしなかった。でも、ほとんどの人は腕時計をしていた。そんな中で1人だけ腕時計をしてない人がいた。だいたい僕と同じ年代の男性だった。僕は彼が何故腕時計をしていないのか興味があったので訊いてみた。彼はイージーライダーの影響だと言った。

 イージーライダーとはアメリカニューシネマの傑作で僕もTVでだが、観たことがあった。2人の若者が麻薬で儲けた大金でバイクに乗ってアメリカを旅して、いろいろな人物や団体に会うのだが、最後は田舎町で何の理由もなく、射殺されてしまうという話だった。この映画の冒頭で「もう腕時計はいらない」と2人の若者が腕時計を壊すシーンがあった。それを見てそれに影響されたと言った。僕は、それを聞いて以来、他の人に聞かれた時はその人の言葉をパクってそう答えることにした。僕の場合は積極的理由で腕時計をしなくなったわけではないので、そう答えておくことが何となくかっこよく思えたからだ。

 イージーライダーの中で2人の若者が腕時計を壊したことはもう時間に管理される生活から開放されたことの象徴だった。僕は腕時計をしてはいないが時間にがっちり管理されている。物理的に時計から逃げているだけで、精神は時計の虜になっている。TVも時計の一種だと思う。エンターティメント時計… そんな感じがする。

 朝起きてすぐにTVを点けるのも、ニュースを知りたいというよりも時間が知りたいのだ。朝のTVでは画面の右上に時計が出ているし、同じ番組を毎日見ていればこのコーナーは何時何分からだとか、このお天気お姉さんが出てくると何分だとかわかるようになり、トイレに入っていても、顔を洗っていても、TVの音が聞こえていれば正確に時間を把握できる。そして、このコーナーが始まる時に家を出れば何分の電車に乗れるから新宿からの乗り換えは何分になり、会社の最寄も駅には何分に着くなんていうこともすぐにわかるようになるし、このコーナーが終わる前に家を出ないと最後は会社までダッシュだなんていうこともわかるようになる。ほとんど朝などは1分を争っているのだ。

 会社に行けば今度はチャイム攻撃だ。始業の5分前にチャイムがなり、12時にチャイムがなり、12時55分にチャイムがなり、13時にまたチャイムがなり… これが終業まで続く。ここで注目しないといけないのは開始5分前にはチャイムがなるのに、終了5分前にはチャイムが鳴らないことだ。つまり仕事が始まる時は5分前から仕事を始める準備をしてチャイムが鳴ると同時に仕事にかかれるようなっているのに対して、終わる時はきっちり時間一杯仕事をして帰りの仕度などはそれ以降行うようになっている。もし終業5分前にチャイムが鳴ればそのチャイムに合わせて仕事の後片付けなどを行い、終業のチャイムと同時に帰るということになるだろう。

 よく考えてみると学校でもそうだったことに気づく。学校の時からそういったシステムに慣らされているため、誰も疑問に思わない。さらにチャイムが鳴ったのに席についていなくて1〜2分後に席について仕事を始めるといったことを繰り返すと時間にルーズな人といった評判がたつし、終業のチャイムが鳴る3分前くらいから帰り支度を始めると影口をたたかれたりする。この両方を毎日やっていたりするともうダメ社員というレッテルされ貼られかねない。時間にしてたかだか4〜5分なのにだ。

 特にみんな朝の遅刻には敏感だ。何かの理由で朝1分遅刻しても大きな失敗のように考えてしまうし、それだけでほとんどの人が半休の届けを出し、遅刻の記録が残らないようにする。何かが狂っているような気がする。いつからぼく達はこんなふうにおかしく歪んでしまったのだろう?みんなが腕時計を見ながら早足で人生を歩いている。人生を自分で貧しいものにしている。学校や会社で植えつけられた価値観にがんじがらめに縛られている。この縄を解くにはイージーライダーの主人公のように大金を手に入れるしかないのだろうか?

 中学校の時、始めて買ってもらったグリーンの文字盤の腕時計… 毎日見てわくわくしてうれしくなった腕時計… 僕は腕時計そのものを見て楽しんでいた。時間なんかは全然気にしていなかった。

 社会人になって自分で買った腕時計… もうその時は時間を見るためだけの道具になっていた。 時計を見ていつも何かに急かされていた。そして今はもう腕時計をしなくなった。もし、今度腕時計をする時は中学校で始めて腕時計をした時の気持ちに戻って時計を見たい。(2003.7.1)




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