アイ (後編)


 アイは散歩の時、僕がひもで引きずり回したのがトラウマになってしまったのか、首にひもがついていると警戒して、あまりよく歩かなくなってしまった。さいわい母のマンションの近くは夜になるとほとんど車が通らなくなるので、放し飼いにして遊ばせていた。アイが部屋に戻りたいという仕草をするまで何分でも好きなように歩かせていた。ただ、そんなとき猫にあってしまうと大変だった。アイは猛ダッシュで猫を追いかける。猫も全速力で逃げる。僕にはとてもついていけない速さだった。だけど、猫が開き直り、逃げるのを止めてしまうと、アイも追うのを止めて知らん顔をしていた。

 始めはドッグフードを喜んで食べていたアイだったが、家族が自分の食べている物をあげたりしていたから、だんだんと食べ物の味を覚えてしまったようで、美味しい物以外は食べなくなってしまった。母はアイ特製の食事を作るようになった。牛肉をお湯に通して油を抜いたものをよく作っていた。僕はよくリンゴをあげていた。アイがリンゴを食べている時にシャリシャリとおいしそうな音がした。その音を聴きたいためだった。

 母方の郷里である群馬にも連れていったことがある。アイをカゴに入れて電車に乗っていったのだけど、浅草から出ている両毛号の中でカゴの扉が知らない間に開いていて、アイが何処かに行ってしまった。チワワだから体も小さく窓側の壁とシートのわずかな隙間を通って車内を移動していた。自分の席よりかなり後でやっと見つけたが、他の乗客でアイに気づいていた人はいなかったようだった。田舎では鶏に襲われたりして、アイはあまりのんびりとはできなかったようだった。ただ、帰りの地下鉄の最寄駅から家まで1Km以上あったが、首にひもをつけたままアイはちゃんと歩いた。始めての本格的な散歩だった。

 お風呂は2〜3週間に1度くらいの割合で入れていたと思う。それほど好きというほどでもなかったのだろうが、お風呂ではおとなしくしていた。お風呂から出た後が大変だった。何故かものすごくテンションが高くなってしまい、部屋の中を走り回って、僕の腕とかを軽く噛んでまた何処かにすっ飛んでいったりした。

 大変だったのはツメを切るときだった。室内で飼っている犬の場合はツメが自然に削れることが少ないため定期的に切らないといけないのだけど、母が切ったときに深爪をしたらしく、痛い思いをさせてしまい、その記憶がアイには残っていたようだ。暴れてとても切れる状態ではないので、医者まで連れていって口輪をして切ってもらっていた。犬は結構記憶力のいい動物らしい。


アイ

 犬は家族の中で順番をつけるという。飼い主としては犬が一番下に位置しているということをしつけないといけないのだが、うちのアイはどうしたことか自分が弟の上だと思っていたようだ。母や僕には遊びで軽く噛むことはあっても本気で噛むことはなかったが、弟はよく被害を受けていた。アイの匂いを嗅ごうとして、鼻を噛まれ泣いてしまったこともあった。これは数年続いたように思う。

 長いこと飼っていると意思がお互いに理解できるようになるから不思議だった。アイの目の動きや鳴き声で何がしたいのかわかるようになったし、アイも家族の態度や言葉でこちらの意思がある程度わかっていたようだ。犬はみんな散歩好きだが、アイも例外ではなく、よく散歩に行きたがった。こちらが外出する気配を感じると‘連れてって’という感じで落ち着かなくなる。だけど、連れていけないときに‘連れていけない’ということを言い聞かせるとあっさりおとなしくなった。まるでこちらの言葉を理解しているようだった。動物と人間がコミュニケーションをとれるというのは本当に不思議な気がする。

 前に書いたが飼う前はあまりいい印象をもっていなかったチワワだが、飼ってみるとやっぱり可愛くて仕方なかった。僕の犬に対する偏見はなくなっていた。それまではチワワに限らず座敷犬にあまりいいイメージはもっていなかったし、服を着て散歩をしている犬などその飼い主とともに軽蔑していた。だけど、飼ってみればどんな犬でも可愛いし、服だって着せたくなる場合もある。うちのアイも短毛のため、冬にはよく服を着せていた。

 アイは10年6ヶ月生きていた。チワワは病弱ではないかと心配したが、一度しか病気をしなかった。そして、その一度の時に死んでしまった。それは突然やってきた。アイは具合が悪いようで2、3日あまり食欲がなかった。いつもの元気もなく、医者に診てもらうことにした。風邪だろうということになって薬をもらってきたようだった。それでもまだ元気もないし、食欲も出なかったので夕方、母と弟がまた医者に連れていった。僕が生きているアイを見たのはそれが最後だった。

 3,40分して母が泣きながら帰ってきた。「アイちゃんが死んじゃった」とかろうじてそれだけ言うとまた声を立てて泣いた。僕はどうしてもそんなこと信じられず、泣く母を詰問した。母によると医者がアイに注射を打ったそうなのだが、どうもそれが原因でショック死をしてしまったということだった。それでも僕はアイを生き返らせようと思い、アイの死体を受け取りさすったり心臓マッサージをしたりした。母はそんな僕を見て「もう止めな…」といい泣くのをこらえた。その医者に対する憎しみは大きかったが、アイを失ってしまった悲しみの方がはるかに大きく僕は呆然としていた。

 その日からしばらくの間、夢に生きているアイが出てきた。夢の中で僕はやっぱり生きていたんだと喜んだ。だが、夢から覚めるとアイのいない現実が待っていて、大きな喪失感に襲われた。夜にバイクで多摩川の土手沿いの道を100Km/hくらいで飛ばしたりもした。そのとき僕は事故をあうことを望んでさえいた。それくらい悲しみは大きかった。アイと暮らした10年はちょうど僕の辛い時期にあたっていた。今、考えると僕はほんとにアイに救われていた。

 アイが死んでから15年近く経つが、今でも夢に出て来ることがある。夢の中ではアイと冒険に行ったり楽しく暮らしている。ただ、違うのは今は目覚めても喪失感に襲われることはなくなった。楽しい夢を見たなぁって気持ちが残るだけになった。
ただ、残念なのは当時は車の免許をもっていなかったことだ。車があればもっとアイをいろいろな場所に連れていって遊ばせてあげることができたのに…。(2003.6.12)



アイ



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