アイ (前編)


飼っていた猫のことを書いたら今度は犬のことを書きたくなってしまった。家で飼っていた犬は今、‘どうするアイフル’のCMで大人気になってしまったクゥーちゃんと同じチワワだった。

 犬を飼いはじめたのはタンコロが行方不明になってしまってから3〜4年後だった。その頃、うちの家庭ではいろいろなことが起きていた。父が病気になり、母が外で働き始めた。そのうち自分でスナックを開店して、何とか自活の道を見つけた母はマンションを借りて家を出ていってしまったが、まだ父の具合がよくなかったため、父と僕と弟の夕飯の用意をしてから働きに出かけていた。僕も父とはそりが合わず、夕飯を食べ終えると母のマンションに行ってひとりで過ごしていた。

 そんなある日、母が突然、犬を飼おうと言い出した。そのときはあまり深くは考えなかったが、今考えてみると、マンションの一室でひとり過ごしている僕に対しての配慮だったのかもしれない。当時の僕はそんな心の微妙なひだを考えることよりも、犬が飼えるということで舞い上がってしまい、世界の犬種が載っている図鑑を買って、どの犬にしようかと考えていた。

 第一候補はウィルッシュコルギーとかいう種類だったと思うが、耳がピンと立って足が短く、体もそんなに大きくならないようだった。図鑑に載っていた写真に愛敬があり、それで気に入ってしまったようだ。だけど、珍しい種類らしいのでペットショップにはいないかもしれない。そのときの第二候補はシェットランドシープドッグだった。これは有名だから知っている人も多いかもしれない。コリーを小型にしたような犬だ。

 母と弟と3人でペットショップに行くと案の定第一候補のウィルッシュコルギーはいなかったが、シェットランドシープドッグは売られていた。ただ、値段が15万円と高すぎた。それにマンションの一室で買うにはちょっと大きいような気もする。どうしようかと思っていると、ペットショップのおじさんが、こちらの犬だったら5万円でいいですよと言い出した。その犬がチワワだった。

アイ その犬はある人が注文していたそうなのだが、その人がその後、別の店でチワワを買ってしまったらしい。その後も買い手がつかず売れ残っていた。もう生後6ヶ月も経っていたオスだった。
5万円という値段が当時のチワワの相場としてどのくらいのものかはわからなかったが、シェットランドシープドッグの15万円に比べれば格安のような気がした。

小さな檻の中に入れられていたそのチワワはやたらに元気がよく、他の犬が暑さのためかぐったりしているのに僕達が外から覗くと元気に動き回っていた。
僕はそれまであまりチワワにいいイメージを持っていなかった。やたら小さくて体も弱そうだし癇も強そうで神経質な犬だと思っていた。
しかし、アイフルのCMではないけど、檻の中で僕達を見てはしゃいでいる可愛い愛敬のある顔を見ていたら、これでいいという気分になってしまった。


 家に帰るまでは小さな箱に入れてもらったが、その箱から出たがって帰りのタクシーの中でも押さえるのに一苦労した。家に帰ってあらためて抱いてみると体が固い感じがした。これはそれまで猫しか飼ったことがなかったため、その体の柔らかさが記憶にあったせいだろう。犬に慣れてしまうと今度は友人の猫を抱いたりしたとき、その体がやたらに柔らかく思えたりした。

 エサは何をあげていいのかよくわからなかったので、市販のドッグフードにした。タンコロが市販のキャットフードを全く食べなかったので、今度も心配だったが、買ってきた犬は嫌な素振りも全く見せないで喜んで食べてくれたのでほっとした。そしてオスだったがアイという名前にした。一番始めに飼った犬だから…。2番目だったらウエオということになる。3番目だったらカキ、4番目だったらクケコ。

 アイも僕と同じように父と母の家をいったりきたりすることになった。母のマンションは犬を飼うことは禁止されていたので、僕はアイをスポーツバッグに入れて持ち運びしていた。始めは戸惑っていたアイもスポーツバッグの口を開けると自分から進んで入るようになった。

 しかし、はじめの頃、僕はアイを可愛がっていたとはいえない。いや、むしろいじめてしまうことが多かった。気にくわないことがあったり、ちょっとでもアイがいうことをきかなかったりするとぶったりした。一番酷かったのは、散歩の連れていったときにあまり歩かなかったものだから、首ついたひもを強引に引いてしまった。そのため、アイの足の裏は擦り切れてしまい血が出てしまった。家の中でも首にひもをつけて散歩の練習という名目で引きずったりしていた。僕が自分のやっていることを自覚したのは半年くらい経ってからだと思う。今は幼児虐待がよく報道されるが、僕がもし20代前半で子供を持っていたら、果たしてそうならなかったという自信はない。

 だからアイは母がスナックから夜遅く帰宅するととても喜んだ。喜び過ぎておもらしをしてしまったこともあった。そして訴えるようにして僕に向かって吠えたりした。それでまたいじめてしまうという悪循環がしばらく続いたが、やがて僕は自分の非に気づき、だんだんとアイに手を上げたり、いじめたりすることはなくなっていった。

 だけど、このいじめてしまったことがアイの性格に大きな影響を与えたように思う。アイは家族ならいいのだが、よその人を必要以上に警戒をするようになってしまった。だから、たまにお客さんが来るとアイが噛みつきにいかないように押さえていないといけなくなってしまった。お客さんが座ってしまえば落ち着くのだけど、トイレとかに立ち上がると急に吠え出し、押さえていないと足に噛みつきにいったりした。

 外にいってもアイは攻撃的なことがあったらしい。母が自転車の前のかごにアイを入れて買い物に行ったときのこと。自分よりもかなり大きい犬を見て、自転車のかごから急に飛び降り、その犬に向かっていったそうだ。だけど、それは母がいるから強気になっていたようだ。アイを自転車のかごに入れたまま買い物をしていて、戻ってきたとき、知らないご婦人がアイの頭を撫でていた。アイはおとなしくされるままになっていたようだけど、母が帰ってきたら急に元気が出て、そのご婦人に唸り声をあげた。飼い主が帰ってきたら急に強くなって…と笑い話になったらしい。つづく…(2003.6.9)



アイ



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