最近、1つ心に響いた言葉がある。北朝鮮から脱北したハンミちゃん一家がNGOの招きで日本にやって来た。動物園や水族館などを周り、TVにはハンミちゃんの楽しそうな笑顔がよく映し出されている。中国の日本領事館で中国当局から領事館門外に連れ出されようとしている母を佇んだままどうしていいのかもわからず、泣きじゃくって見ていた姿から今に至る経過を考えると、胸が熱くなってしまう。本当によかったとしか言いようがない。 そんなハンミちゃん一家が夜の東京の街を歩いている映像が流された。都会のネオンが彩るビル群を背景にしてお父さんがハンミちゃんを抱っこし、お母さんがその後を幸せそうに微笑みながら歩いていた。都会の夜風を気持ちよく受けながらお父さんがぽつりと言った「ここは天国だよ」…。何故かこの言葉が僕の心に新鮮に響いた。 それはある日、友人を自分の家に招いていっしょに食事とかして、その友人が帰り際に君の家って暖かい雰囲気だねとか言われたときの気持ちに似たものかもしれない。自分では普段そのことには全然気付かず、ある日外からやってきた人に意外な長所を指摘される。‘そうなのかな?’という懐疑と‘そうだったのかな?’という戸惑いがブレンドされた不思議な気分だ。 僕はこれまで東京を、いや日本を天国だと思ったことは一度もない。地獄だと思ったこともないが、西欧の国と比べれば労働時間も多く、休みも少なく、成り上がり国家で成熟にはまだまだだななどと思っていた。僕は日本の短所ばっかりを拡大鏡で見ていたのだろうか?いや、たぶん長所もいろいろと見てきたはずだ。だけど、見ていた方向はいつも上ばっかりで、常にもっともっとと思っていたのかもしれない。 ハンミちゃん一家は地獄のような北朝鮮から死ぬ思いで脱北してきた。それに日本のいい部分しか見ていない。だから、東京の夜空にネオンが輝く景色を見て「ここは天国」と言った言葉が出たとも考えられる。だけど、僕にはあの言葉が非常に重いものに感じられたのだ。 僕がこうやってPCで遊んでいられるのも、バイクや車で好きなところを旅行できるのも日本という国の基盤があっての話で、戦後、日本人がひたすら働いてきた結果なのだ。僕はたまたまいい時代といい場所に生まれたに過ぎない。だけど、こういった生活は北朝鮮の体制ではどんなに労働をしたとしても、手に入れることはできない。そしてそれは今だけでなく、子供の時代になったとしても変わらないだろう。 ハンミちゃんのお父さんが言った「ここは天国だよ」と言う言葉は誰に向けられた言葉なのか?その言葉は彼が彼自身に向かって言ったもののような気がする。だから僕はその言葉に嘘を感じることができなかったのかもしれない。彼は東京の繁栄だけを見て‘天国’と言ったわけではなく、今の自分たち家族の状態を合わせて‘天国’と表現したように思う。そびえる高層ビルや看板から発せられる色とりどりのネオンの色はそのBGMに過ぎなかったのかもしれない。 確かに東京の夜景はBGMに過ぎなかったかもしれない。だけど、それは「天国」という言葉が出るためには必要なBGMだった。今の北朝鮮ではそのBGMを聴くことはできないだろう。僕はそのBGMをずっと聴き続けているため、それはもう単なる音になってしまったのかもしれない。だけど、ハンミちゃんのお父さんの言葉を聞いて、もう一度耳をすましてじっくり聴いてみたいと思った、それがどんなBGMなのかを。(2003.5.28) |