モダンタイムス

僕が社会人になった頃、図面の大半は手書きで書いていたと思う。斜めになった大型の机の上でロットリングやテンプレート、定規を使い、精密な基盤の図面を書いていた。それはほんとに職人技のように僕には思えた。そして、そんな光景を毎日見ていた。僕もやがて設計の仕事に回されたが、もうその時は手書きで書くのは下書きだけで、あとはCADを使った。ちょうど、CADというものが定着を始めた頃だったと思う。それまで1週間かかっていた仕事がCADだと数時間で終わってしまうということを上司から聞かされた。1週間かかっていた仕事が例えば1日で終わってしまったとする。空いた4日間はどうなったか?その時間、僕は自由になったのか?次の仕事が回って来ただけだった。要するにコンピュータ化によって仕事の回るサイクルが速くなっただけだった。そうしてコンピュータや機械の性能が上がれば上がるほどサイクルは速くなり、仕事量はどんどん増えていった。テクノロジーが進めば進むほど仕事の回るサイクルは速くなり、僕らは時間に追われるようになった。

僕が子供の頃、どの駅にも切符に鋏をいれる駅員さんがいた。ホームの上にも駅の規模にもよるだろうが、数人の駅員さんがいて安全の確認をしてくれていた。だけど、今、改札はだいたい自動改札になり、プラットホームには監視カメラが取り付けられ、人はほとんどいなくなった。僕は競馬が好きでよく馬券を買いに行くが、自動券売機が増え後楽園のWINSでも人がいるのは7Fくらいになってしまった。どういうシステムかはよくわからないが、最近では消費者金融でも‘無人くん’などというものがあるらしく、工場の工業ロボットによる人員削減はもうかなり前から始まっているし、無人化はいろいろな場所で進んでいるようだ。

街を歩いていると目立つのはコンビニエンスストアとファーストフードの店だ。うちの近所でも歩いて10分で行ける範囲にコンビニは6件もあるし、ファーストフード店も住宅地が多いにも関わらず2件ある。地方に旅行などに行くとさらに顕著で地元の商店街はほとんどシャッターが閉まっていて、営業しているのはコンビニだけなんていうこともある。日常的な人との繋がりはどんどん薄くなってしまった。効率と利便性だけを追求した社会の行く末はどうなるのか、考えると怖くなってくる。ロボットはだんだんと人間に近づき、人間はだんだんとロボット化していくのだろうか。そのうち両者の違いはそれ程なくなってしまうのではないだろうか。

時間がなくなり、人との接点も薄くなり、社会が社会じゃなくなってきているような気がする。チャプリンの映画で「モダンタイムス」という現代文明を痛烈に批判した映画があったけど、今は別の「モダンタイムス」が始まっているような気がする。(2003.5.15)


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