港々に女あり

僕が最初にPCを買ったのは確か1987年頃だったと思う。当時はNECのPC-98シリーズが全盛の時で、僕もPC-98VM21というPCを買った。V-30というNEC製の日の丸CPUを搭載していて、最大動作クロックが12MHz、メモリーが1MB、HDはなかった。別売りで買ったAIWA製のモデムも通信速度が1200Bpsくらいだったと思う。その頃、PCを買う理由はだいたいがワープロそれも一太郎をやりたいという人が多かったが、僕は違っていた。パソコン通信をやりたかったのだ。

当時、パソコン通信は本もいろいろと出版されてはいたが、全然一般的ではなく、僕の周りでもやっている人間は皆無だった。パソコン通信をやるためにはNiftyとか、PC-VANとか何処かの会員にならなくてはいけなかったが、僕は電話代以外のお金を払いたくなかったのである出版社が実験的に運用をしていた局の会員になった。そこは書籍に付いている葉書に必要事項を書いて申し込むだけで会員になれ、IDとパスワードを貰うことができたのだ。

何故、パソコン通信をそんなにやりたかったというと、普通に生活していたのでは絶対に知り合えない人と知り合いになりたかったからだった。旅行が好きでよく何処かに行っていた僕は旅行先で自分とは考え方や価値観が全く違う人達と会うのが楽しかった。それが家に居ながらできると思ったのだ。

パソコン通信でのコニュミケーションの方法は3つだった。メールと掲示板とチャットだ。今のネットでもほとんど変わらないのは面白い。ただ、当時は画像や音声などといったものは不可能で文字のみだった。その中でも中心になっていたのは掲示板だった。

掲示板は始めからテーマ別に分かれていて、その1つ1つに管理人さんがいた。僕は星が好きで天体観測をやっていたので‘星空の語らい’といったような掲示板に書き込むことが多かった。この掲示板は常連で書き込む人が7〜8人だったのでアットホームな雰囲気があり、ちょうどよかった。本名を使っている人はいなくて、みんなハンドル名だった。僕はJoshua(ジョシュア)というハンドルを使っていた。当時、大ヒットしていたU2のアルバム「Joshua Tree」と「War Game」という映画に出てくるコンピュータの名前からとったのだけど、とても気に入っていた。

半年くらい経った時、今でいうオフ会をやろうということになり、池袋の居酒屋に集った。集ったのは全部で6,7人だったが、みんな‘いかにも’という感じだった。当然みんな男性で誰も明るい太陽の下でスポーツを楽しむといったタイプには見えなかった。始めは軽いショックを受けたが、話してみると面白かった。占い師の人がいて正式な星占いの話を聞けたり、1人で2つのIDを貰って男性と女性を使い分けている人がいたり、網膜剥離になりかかっている人がいたり…(笑)
僕のお気に入りのハンドル名‘Joshua’を‘上州屋’と勘違いしている人がいて、この日を境にして僕は‘上州屋’となってしまった。そのうち僕のPCはSIM CITYのやり過ぎで壊れてしまい、パソコン通信の世界からも遠ざかった。

それから10年近く経ってから、僕は再びPCを買った。今度はインターネットをやるためだった。ネットをやり、清濁いろいろなものを見たかったからだ。それとやっぱり普通に生活していたら知り合えない人と知り合いたかったからだ。女性が皆無だったパソコン通信に比べればまだまだ少ないとはいえ女の人と知り合えるチャンスも大きいと思った。それに僕にはある野望があったのだ。

一人旅が好きな僕は地方に行った時、ひとりで夕食をとることが多くなってしまう。だけど、そこに友達がいればいっしょにお酒を飲み、語り合い、楽しい夜を過ごせるはずだ。その友達をネットでゲットすればいいと思ったのだ。日本全国にメル友を作ればいいのだ。そうすれば北の大都会札幌でも屋台が並ぶ福岡でも楽しい酒が飲める。

いっしょに食事をしてお酒の飲むだけ?だからメル友は話さえ合えば男性でも女性でもどっちでもいいんだけど、どうせなら… と思い、その日から努力が始まった。
まずは毎年のように行っている北海道からと思い、あるHPで‘札幌でメル友を募集している女性’を探した。そしたら偶然に僕と同じ年の人がいたのでメールを出したらタイミングがよかったらしく、メル友になることができたのだ。幸先はよかった。次に東北の比較的よく行く地方でメル友を作ろうとした。しかし、その地域で登録されている人は4〜5人しかおらず、そのうちの数人にメールを送ってみたがダメだった。

そんな努力は長く続かなかった。よく考えてみるとあまりにも大変な労力を必要として、さらに非現実的なのがわかったからだ。旅行に行くといったって、泊りがけで行くのはせいぜい年に3〜4回だ。ということはたとえ全国にある程度メル友を作っても会うのは5〜6年に1回くらいになってしまうだろう。実際に僕は生まれてから四国と九州にはそれぞれ1回しか行っていなかったのだ(^^;

それにそんなに多くのメール友達を持ったとしても果たして長く続けられるのだろうか?という至極当たり前の疑問も浮かんできた。知り合いや今までの友達のことを考えると常に1日十数通のメールを書かなくてはいけないことになる。今のようにEveryday is like Sundayの状態だったらまだ何とかなったかもしれないが、当時は真面目な勤め人だったので物理的にとても無理だった。あえてやろうとすればひとりひとりに書くメールの内容は酷くおそまつなものになっていただろう。

こうして旅行の行く先々での飲み友達をネットを通じて作るという目論見(港々に女作戦)はあっさりと諦めることになってしまった。しかし、今でもネットの一番の魅力は人と知り合えることだと思っている。人生において出会いは大切なものだから。(2003.5.9)


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