8月20日(月)


シェーンブルン宮殿

 オーストリアは、これまで2度乗り継ぎでウィーン国際空港を利用したことがあるが、観光は初めてだ。なにしろ音楽の都、ウィーン。今回は1日だけの観光で、もう1日ほしいところだ。交通網は発達しているし、あちこちでコンサートのビラが配られていて、身を置くだけで浮き浮きしてくる街だ。できればザルツブルグやサウント・オブ・ミュージックの舞台となった景勝地ザルツカンマーグートも訪ねてみたい。


ウィーン  ハプスブルク家が栄華を極めた絢爛豪華な首都。

 旧市街の南東、緩やかな斜面に広大なバロック宮殿が広がっている。トルコ軍を撃退したプリンツ・オイゲン公の夏の離宮ベルベデーレ宮殿だ。公の没後はハプスブルク家の所有となった。マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ前、この宮殿で華やかな宴会を開いたという。上宮と下宮からなり、上宮は絵画館として公開されており、あのクリムトの「接吻」が飾られている。
 ウィーンの中心から南西に7キロのところに広がる、オーストリア最大の宮殿、シェーンブルン宮殿がある。1695年にレオポルド1世が、ベルサイユをしのぐ宮殿を夢見て建築を始めたが、財政難で進まず、マリア・テレジアの時代にようやく完成。彼女が好んだクリーム色の外観である。内部はロココ調で、モーツァルトが6歳の時演奏した「鏡の間」や、映画「会議は踊る」で有名な「大広間」が公開されている。
 旧市街のほぼ中央に建つ、ゴシック建築の聖シュテファン大聖堂。南塔は高さ136・7メートル。25万枚のタイルを用いた屋根もすばらしい。左手の「巨人の扉口」と呼ばれる入り口から入ると、アーチ型の天井に覆われた、荘厳な空間が広がっている。1万本のパイプを持つオルガンはヨーロッパ最大級だ。西日を受けて輝くステンドグラスの色合いはことのほか美しい。
ケルンナー通りがリンクとぶつかる場所に、国立オペラ座がある。パリ・ミラノと並ぶヨーロッパ三大オペラ座の一つ。1869年に、こけら落としとしてモーツァルトの「ドン・ジョバンニ」が演奏された。ハプスブルク家最後の頂点を示す建造物である。その東隣にホテル「ザッハ」がある。あのケーキ「ザッハ・トルテ」で有名だ。老舗の味で、2〜3週間日持ちするというので買って帰ったが、「甘い!」が先に立ち、さほど美味ではなかった。


ウィーンの森  (南コース)シューベルトも愛した緑豊かな丘陵地。

 レオポルド3世は、シトー会修道院を建てた。レオポルド5世が1185年に聖なる十字架を奉納したことからハイリゲンクロイツと呼ばれている。ロマネスク様式の一部分が付属教会として残っている。「森の芸術品」と言われ、ここは辺境伯バーベンベルガー家の墓所でもある。この修道院のステンドグラスは本当に見事だった。
 マイヤーリングと呼ばれるこの城は、もとはハイリゲンクロイツの所有地で簡素なバロック様式である。1889年、1月30日、劇的事件がおこった。皇太子ルドルフとマリア・ヴェチェラ男爵令嬢との心中事件だ。映画「うたかたの恋」がそれだ。今では皇太子の部屋は取り除かれ、修道院の祭壇室となっている。この時ウィーンの森に雷鳴が轟いた。


グリンツィング  市街地から車で25分。ホイリゲが30軒ほど立ち並ぶ。

「ホイリゲ」とは「今年の」という意味を表し、「ワインの新酒」及びその新酒を作って飲ませる「ワイン造り農家」を指している。ここではワイングラスではなく、大型のジョッキに入ってくる。もちろんオーダーは白ワイン。さすがに若い味だが、いやがうえにもピッチは早まり、テーブルを回る楽士たちの演奏もワルツからカンツォーネ、そして日本の曲までレパートリーも豊富。大合唱となり、宴も最高潮に達した。
 そしてこの日の締めくくりは、市内に戻り、プラター遊園地の大観覧車に乗ること。直径61メートル。キャビンも20人は悠に乗れる。もう午後10時近くなっていたが、ウィーン子も遊び好き。ウィーンの街が一望できて満足、満足。ほら、映画「第三の男」で出てきたあの大観覧車ですよ。
 あと一日ウィーンの街を見て歩きたかった・・・・。