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小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会
最終総会・シンポジウム記録

●日 時2010年10月16日(土)16:00-19:00

●会 場:ホテル銀座ラフィナート7階

  
総会(16:00-16:45)

司会:郡司
会長挨拶 守月 理
活動報告 藤塚 主夫/植木由紀子
弁護団総括  岩崎 政孝弁護士
会計報告 高橋 克典
原告挨拶 中原のり子

シンポジウム(16:45-18:45)
医師と患者の命を守るために:
 中原裁判の意義と日本の医療


シンポジスト(順不同、敬称略)
植山 直人:全国医師ユニオン代表・医師
阿真 京子:『知ろう! 小児医療 守ろう! 子ども達』の会代表
川人 博:訴訟担当弁護士
中原 のり子:訴訟原告・薬剤師
千葉 智子:訴訟原告・医師
川井 猛:司会兼務 ジャーナリスト

出席者:119人

出席者の声(会場アンケートから)へのリンク

懇親会(19:00-21:00)
出席者:81人

●報 道
総会・シンポジウムに関する報道を以下3件、了解を得て全文引用紹介します

 
 
過労自殺裁判で和解したわけ、遺族・弁護士が語る

「労災でも病院に責任なし、の高裁判決の効力を失わせたかった」

2010年10月18日 橋本佳子(m3.com編集長)
http://www.m3.com/iryoIshin/article/127005/
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 「高裁判決で、『(使用者である病院側には、小児科医が過労自殺するという)予見可能性がなかった』とされていたことが、一番ひっかかっていた。これでは、労災が認められても、使用者側には責任がないことになり、他の過労死裁判に迷惑をかけることになると思っていた。既にこの高裁判決が、数件の過労死裁判で使われていると聞いた。

 玉砕覚悟でも、最後までできる限りのことをしたかったので、上告受理申立した。だから、最高裁からの和解勧告を聞いた時には前向きではなかった。しかし、この高裁判決を自由に使えなくなるのであれば、和解を考えてもいいと思った」

 10月16日に開催された「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」の最終総会・シンポジウムで、中原のり子氏は2010年7月に最高裁の和解勧告に応じた理由をこう説明した(『最高裁が医師不足や医師の過重労働に警鐘』を参照)。同会は1999年過労自殺した小児科医・中原利郎氏の労災認定をめぐる行政訴訟、病院に損害賠償を求めた民事訴訟を支援する会。行政訴訟では労災認定されたが、民事訴訟では一審、二審ともに原告敗訴していた(『「医師の過重労働の放置につながる判決」、小児科医の過労死裁判』を参照)。二審の東京高裁判決では、労災であるとされたが、「何らかの精神障害を起こす恐れを具体的客観的に予見することはできなかった」とされ、病院の損害賠償責任を認めないという結論は一審と変わらなかった。

 原告の中原のり子氏の代理人である川人博氏も、「一審、二審と敗訴していたので、上告審は容易ではないと考えていたので、裁判所から和解勧告を受けた時には一つのチャンスだと思った。この場を活用してより良い方向に持っていけるのでは、と考えた」と説明。「仮に高裁判決が最高裁で維持されれば、確定する。しかし、今回の場合は、最高裁での和解という形で終了したため、一審、二審判決が確定したことにはならない。高裁判決を破棄した上での和解であれば、よりクリアだったが、今回の和解でも、実務的にはこの高裁判決が他の裁判で使われることがあっても、その評価・価値は相当程度落ちることになる」と説明した。なお、最近の派遣労働者の過労死裁判では、原告の主張通り、事業者の「予見可能性」が認められたケースが出ているという。

 中原のり子氏は和解に当たって、「金額は、(損害賠償請求の)満額、そうでなかったら1円でもいい」と言ったという。今回の和解の背景には、いまだ続く医師の過重労働に対する病院側の管理責任を広く問いたいという、中原のり子氏の思いがあった。

 一審・二審原告敗訴ケースでの和解は極めて異例

 シンポジウムの冒頭、弁護士の岩崎政孝氏は、「最高裁で結論が変わるのは、100件に1件程度。和解は1000件に1件くらいと少なく、極めて異例な形で和解の席に就いた」と説明。さらに川人氏は、「最高裁で結論が変わるのは、一審と二審の判断が食い違っている時、あるいは一審、二審とも原告が勝っている場合。そうした意味では、今回の和解はさらに異例」とつけ加えた。

 その上で最高裁が和解を勧告した理由について、川人氏は「最高裁でどんな議論になったのかは開示されないが、二審の判決でいいと考えれば和解を勧告しないはず。このままで終わるのは問題だと考えたのだろう」と推測。和解条項の前文に、「医師不足や医師の過重負担を生じさせないことが国民の健康を守るために不可欠であることを相互に確認して、以下の内容で和解し、本件訴訟を終了させる」との記載がある点について、「医師をめぐる様々な問題に対して、患者、病院、裁判所も同じ土俵に立って対応していくという姿勢が見られた。これまでの最高裁の和解勧告と比較しても、格調の高い前文」と評価した。

 医療界、国民の意識の変化が裁判に影響

 中原利郎氏が過労自死したのは1999年。病院を提訴したのは2002年、「支援する会」の発足は2003年。「医師、医療者、市民の方々が積極的に参加して、裁判において公平な判断されることが日本の医療界にとって重要かを訴えてきた。それがこの間、一番感じたこと。10年近い裁判の、特に後半の5年間の様々な取り組みは大きかった」(川人氏)。

 シンポジウムでは、この約10年間の医療界の変化、また「支援する会」は活動を終えるが、今後の医療界にいかに生かすか、という視点からディスカッションが展開された。

 全国医師ユニオン代表の植山直人氏は、「厚生労働省は2000年代に入り、時間外労働などについて通達を出したりしているが、病院に丸投げしているだけではないか。日本医師会も変わっておらず、『医師をこれ以上増やすな』というスタンス。一方、日本病院会や医労連(日本医療労働組合連合会)は調査をするなどして、医師の過重労働の実態を示してきた。以前は、医療事故で医師がバッシングされてきたが、医師の過重労働、“医療崩壊”が国民に知られるようになり、裁判に影響を与えたのではないか」との見方を示した。

 「知ろう!小児医療 守ろう!子ども達」の会の代表であり、厚労省の検討会の委員なども務める阿真京子氏は、中原利郎氏の遺書の中の「経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療」という悲痛な叫びに衝撃を受け、それが今の活動の原動力になっているとし、「“医師バッシング”の後は、“コンビニ受診バッシング”があり、このままではダメだという意識が、厚労省の側から伝わってくる。国民の声を聞かないと医療はよくならないと行政が感じていることは確か。中原氏の裁判が、決して遠いことではなく、多くの人が関心を持つことができた故の変化ではないか」とコメントした。

 「医師としての“光と影”、そのバランスが大切」

 川人氏は、「最近の訴訟の動向を見ると、若い方の過労死裁判では病院の管理責任を認める傾向にあるものの、部長などの立場の医師では認められにくい。『医師不足だから医師は集まらず、病院の管理責任を問うのは酷なのではないか』という声もあるが、この辺りをどう考えるかが重要。確かに医師不足だが、『それは国の政策の問題だから』と安易に逃げてはいけない。医師の健康を守るのは病院の責任であり、それが不十分だった時に病院の責任が問われる。こうした厳しさがあって初めて、医師の健康が尊重される方向になるだろう」と問題提起した。

 植山氏も、「過労死しても裁判に持っていける人は少ない。うつ病になった時点で家庭が壊れており、死亡後に労働実態が分からず、病院もなかなか明らかにしないからだ」とし、「管理者は、病院で働く医師にどれだけパフォーマンスを上げてもらうかを考える必要があるのではないか。努力している病院はある。やりようはいろいろある。それなのに、やらない病院には責任を問うことをしないと変わらないのではないか」と川人氏の意見を支持。

 さらに、中原利郎氏の長女で、卒後5年目で子育てしながら仕事を続ける小児科医、千葉智子氏は、「時間をシフト制にしたり、院内託児所を設けるなど、努力している病院はあり、こうしたところに医師は集まり、経営的にも良くなっている。このような病院が増えれば、人気のない病院は淘汰されていくのではないか。また住民、行政だけでなく、医師も自分たちの勤務環境を変えるよう、活動していく必要がある」とコメント。その上で次のようにつけ加えた。「子ども達が笑顔で帰っていくのを見ると、父に反対されても、小児科医になってよかったと思っている。一方で、当直明けは休みだが、今は月に6 ~7回当直している。医師としての“光と影”、そのバランスが崩れると、医師としてやっていけない。医師が健康であることが、国民のためになることを理解してほしい」。

 「患者のための医療」と「医師の健康」を守る法律を

 シンポジウムの最後に川人氏は、「医師法の応召義務には納得が行かない。『医師たるものは、患者を診なければならない』というのは分かるが、他方で、医師の健康も重要であることを、医師法の精神として入れるべきではないか。片方の側面だけが強調されて、今の医師法が成り立っている。それが医師の労働の過重性を強化する方向に働き、個人の努力、精神的ながんばりに依拠している状況。今回の裁判は、医療全体の法制度のあり方を抜本的に見直すべきという提起をしている。『患者のための医療』と『医師の健康』を総合的に規定する法制度を作ることが必要なのではないか」と総括した。

  今後、中原のり子氏自身は、様々な形で過労問題に関する活動を続けていくという。

 
   「過労自殺を防ぐために、医師の健康を守る法制度が必要」

2010年10月18日 m3.com

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 「医師法の応召義務には納得が行かない。『医師たるものは、患者を診なければならない』というのは分かるが、他方で、医師の健康も重要であることを、医師法の精神として入れるべきではないか。片方の側面だけが強調されて、今の医師法が成り立っている。それが医師の労働の過重性を強化する方向に働き、個人の努力、精神的ながんばりに依拠している状況。今回の裁判は、医療全体の法制度のあり方を抜本的に見直すべきという提起をしている。『患者のための医療』と『医師の健康』を総合的に規定する法制度を作ることが必要なのではないか」

 10月16日に開催された「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」の最終総会・シンポジウムで、こう語ったのは、過労死裁判を多数手がける弁護士の川人博氏(『過労自殺裁判で和解したわけ、遺族・弁護士が語る』を参照)。

 小児科医だった中原利郎氏が過労自殺したのは1999年のこと。川人弁護士らが代理人を務め、遺族が病院を提訴したのは2002年、「支援する会」の発足は2003年。2010年7月に最高裁で和解が成立(『最高裁が医師不足や医師の過重労働に警鐘』を参照)したのを受け、「支援する会」は16日のシンポジウムで活動を終えました。

 これまでの活動をどう次につなげるかという視点から、川人弁護士は前述の提言をしたわけです。シンポジウムではこれまでの活動を総括、会の活動や情報発信が医療界、社会を動かし、裁判に影響したという発言が相次ぎました。

 「原告の強い意思、行動力がいろいろな運動に発展、行政などを動かした。これがなかったら、最高裁での和解はなかったのではないか。署名活動の展開、労働実態に関するアンケートへの回答、ホームページの作成、情報誌の発行など、様々な人が協力した。支援する会の活動も多数報道された」(岩崎政孝弁護士)

 「医師、医療者、市民の方々が積極的に参加して、裁判において公平な判断されることが日本の医療界にとって重要かを訴えてきた。それがこの間、一番感じたこと。10年近い裁判の、特に後半の5年間の様々な取り組みは大きかった」(川人弁護士)

 フロアから発言した医療制度研究会理事長で、済生会宇都宮病院院長の中澤堅次氏は、「この裁判のおかげで医療界は変わったが、今後どのようにすべきは日本中で考えなければいけないこと。要するに、『おかしい』と思ったことは、言葉に出して行動する。それが重要だということを認識した。こうした視点を持つことが、世の中を変えていくことにつながる」と指摘、医師、さらには医療者の勤務環境の改善は容易ではないものの、行動する重要性を強調しました。

 シンポジウムの最後に、事務局長を務めてきた開業医の九鬼伸夫氏も、「最初は中原先生の言葉に皆が動かされた。途中から皆が、自らの言葉で発信するように変わってきた」と挨拶しました。この「中原先生の言葉」とは、「少子化と経営効率のはざま」と記した故中原利郎氏の遺書。   

  「間もなく21世紀を迎えます。経済大国日本の首都で行われているあまりに貧弱な小児医療。不十分な人員と陳腐化した設備のもとで行われている、その名に値しない(その場しのぎの)救急・災害医療。この閉塞感の中で私には医師という職業を続けていく気力も体力もありません」

 こう締めくくられた遺書が書かれた1999年から11年、日本の医療はどの程度、改善したのでしょうか(遺書は支援する会のホームページを参照)。


    
病院勝訴を「独り歩きさせない」  和解の医師過労死訴訟で原告

2010年10月19日 MediFax 5983号

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 7月に被告病院側との和解が成立した小児科医、中原利郎氏の過労死をめぐる民事訴訟で、故中原医師の妻で原告ののり子さんは16日、最高裁の和解勧告に応じた理由について、病院側に予見可能性がなかったとした東京高裁の第2審判決を「独り歩きさせないためだった」と語った。のり子さんは、東京都内で開かれた「小児科医師中原利郎先生の過労死認定を支援する会」(守月理会長)の最終総会・シンポジウムで当時の心境を振り返った。

 判決が確定すれば、医師(労働者)が過労によって精神障害を起こす可能性を病院管理者(雇用主)は予見できないことになりかねず、のり子さんは判決内容が今後の過労死訴訟全般に影響することを避ける目的から「(管理者の予見可能性を認めない)判決をつぶすためなら和解になってもいいと考えた」と経緯を説明した。

 中原氏の過労死については行政訴訟で労災と認定されたものの、病院側の管理者責任を追及した民事訴訟では1審・2審とも原告敗訴となった。原告は最高裁に上告受理を申し立てるとともに3万3000筆の署名を提示した。最高裁が3月に「より良い医療を実現する観点から」として異例のあっせんに乗りだし、協議が進められた結果、7月8日に和解が成立した。和解金は700万円。中原氏の過労死から和解までに11年かかった。

●医療従事者の健康は管理者責任

 原告側の川人博弁護士はシンポジウムで「医療制度の改善が不十分だから、医師や医療従事者の健康が害されたとしても病院管理者には責任がないというのはおかしい」と指摘。病院の管理者は医療従事者の健康を守るために最大の努力をすべきであり、不十分な場合には法的責任も問われる厳しさがなければ医療従事者の健康が尊重されるようにならないだろうと述べた。

 

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