第2章:融 和 【9】
私設秘書官といっても、スコールのすることは今までとさほど変わりはなかった。
セフィロスとともに本社ビル62階にある執務室に出勤し、一日を通して書類整理に追われるセフィロスの手足となって同じ階にある資料室へ必要な資料を取りに行ったり、セフィロスが処理を行いやすいように書類を整理したりする。それも真面目にやれば半日もかからずに終わってしまうくらいの量しかない。
それでも最初のうちは整理の仕方に慣れず、少し時間がかかってしまっていたが、要領の判ってきた最近ではてきぱきこなせるようになっていた。
空いた時間は屋敷にいた頃と同じように端末を使用したり、出された課題、二人とも習慣化してしまっていて未だに続いていたりする、をこなしてみたりしている。
書類の提出は折りを見計らってそれ専用の人間、メッセンジャーに頼めば良く、スコールが必要以上に他の階に足を踏み入れなければならないようなことは少なかった。
昼食はセフィロスの執務室で二人で摂るのが当たり前になっていき、時間を上手くあわせられれば、そこへザックスやクラウドが加わることもあった。
余談だが、軍属になる関係上スコールには『少尉』の尉官が与えられた。この階級はあくまでも便宜上のものであり軍内での実質的な権限は何も与えられていないが、神羅軍の象徴と言うべきセフィロスの秘書官が無位無官では体裁が悪いと、会社上層部の意向が反映された結果だった。
「スコール」
低く名を呼ばれたスコールは書類の仕分けを一旦中止すると、現在は上官であるセフィロスの方に視線を投げた。するとどんな内容の書類に目を通しているのか、顔をあげずに何ごとか書面にさらさらと記している姿がある。
「イエス・サー」
ついつい条件反射で、無表情のままそうスコールは返答してしまった。その声は淡々としていて感情の起伏に乏しく、余計な要素は一切含まれていなかった。
そんな返答をどう受け止めたのか、淀みなく動いていた腕がぴたっと止まる。ゆるゆるとあげられた顔は、普段とさほど変わりがあるように見えない感情の乏しいそれだったが、それでもその翡翠の瞳には翳りが感じられた。
それに気づいたスコールは、思わず苦笑を浮かべてしまった。以前約束したことを思い出し、思わず笑ってしまっていた。
スコールは入社当初、今までは特に何の社会的な関係のなかったセフィロスが自分の上官になるあたり、これからは名前を呼び捨てるのではなく『サー』の称号で呼ぼうと決めた。親しい間柄になりつつあるザックスやクラウドとこれからは自分も同様の立場になるから、その彼らを見習って呼びかけるときには必ず『サー』をつけようと思ったのである。しかしこれはすぐに本人の反対にあい止めざるを得なかった。今さら他人行儀な呼び方は止めてくれ、今まで通りで構わないと、本人が強く主張したのだ。
生真面目な性格のスコールは公私混同することに抵抗を感じたが、それでも躊躇いがちに相手の主張をある程度受け入れることにした。上官となる人物を人前でも私的な時と同じように呼び捨てにして良いはずがなく、互いの妥協案として勤務中に限り敬称を使って呼ぶことに決めたのである。ただし何ごとにも例外はつきもので、セフィロスと二人きりの場合やザックス、クラウドたちとのみ一緒の場合には今まで通り呼び捨てにするよう取り決めが行われた。
先程書類をメッセンジャーに渡したばかりの執務室には、セフィロスとスコールしかいない。例の約束に従っていれば、今のスコールの対応は誤りだということになる。
苦笑はそのままに、微かに椅子を軋ませてスコールは自分に与えられた机から離れると、セフィロスの面前へ歩んでいった。
セフィロスの執務机は大きく切り取られた窓を背にする形に配置されており、午後の穏やかな日差しが惜しみなくその背中を温めている。そんな状況下だったから、室内の明るさに慣れた目になっていたスコールには上官の細かな表情までは読み取れなかった。
スコールが近づいてくるのを待たず、セフィロスは再び机上の書類へと視線を落とす。その仕草から、その書類の内容が今の呼びかけと関係があるのだとスコールは瞬時に悟った。
「これを、ザックスへ。ソルジャー・クラス2ND・ザックスに手渡してくれ」
言われた内容に、スコールは訝しげな顔つきになる。そういった雑事を自分に言いつけることに違和感を覚える。
恐らく書類の内容は第三者の目にあまり晒したくない、機密扱いの部類に入るものなのだろう。だからいくら重要書類を毎日の用に委ねているメッセンジャーの手すら避けたいと、そう考えていることくらい、スコールにも想像はつく。だがそういった場合は大抵セフィロス自身が自分で赴き処理するのが常なのだ。それが今回に限っては自分に頼むと、そう言うのだから、スコールが不思議に思っても仕方ないことだろう。
どうしてあんたが行かないんだと問おうと思ったスコールを遮るように、
「ザックスは63階のメディカルルームで定期検診を受けている」
セフィロスは少し早口でそう言った。そして手元にあった書類を傍らのブリーフケースに挟み込み、すっと差し出した。
メディカルルームと聞いて、スコールは納得した。
何故だか理由までは知らないが、セフィロスはああいった医療関連施設特有の消毒剤の臭いが苦手なのだ。
以前入社する際に定められている検診を受けに行ったときのことだった。
一人で大丈夫だと言っても引き下がらずに同行してきたセフィロスが室内に足を踏み入れた途端、翡翠の瞳が微かな嫌悪を示したことにスコールは気づいたのだ。
屋敷に戻ってからそのことに関して尋ねたところ、セフィロスはあっさり消毒剤の臭いが嫌いなのだと教えてくれた。嫌悪感を抱いてはいるが、それによってダメージを受けることはないからあまり気にするなと、そうさらり告げられた。
「渡すだけでいいのか?返事を貰ってくる必要は?」
書類を受け取りつつ、スコールは屋敷にいるときと変わらない調子で言葉を投げる。
セフィロスは軽く頭を左右に振る。銀灰色の髪に陽光が反射し、きらめく。それは新雪の輝きを思わせた。
「必要はない。二人ともそのままこっちに来るだろうからな」
意味ありげに言われた言葉にスコールは首を傾げるしかない。しかしそれ以上上官の口が開くことはなく、スコールは疑問に思いながらも一階上にあるメディカルルームへと急いだ。
階上へ向かうのに、スコールはエレベーターホールへと向かった。本当はたかだか一階分を移動するだけなのだから、わざわざエレベーターを利用しなくてもよいくらいだ。自分の足は十分健康なのだからそれを活用しない手はないと、スコールは思う。
しかしセキュリティの都合上という理由から60階以上の階には通常の階段は存在しない。緊急時用の非常階段は設けられているのだが、そこを平時に利用した場合は問答無用で警備兵に独房へ放り込まれてしまうのだ。
面倒ごとは常々避けたいと思っているスコールは、軽くため息をつき、エレベーターが下りてくるのを待った。
ふと人の気配を感じそちらに視線を遣れば、同じフロアに勤めている女性職員たちがこちらを見ていることに気がついた。濃い色合いのサングラス越しにスコールがそちらを注視すれば、女性職員たちはきゃっと黄色い声を上げて盛んに手を振ってきた。どう対応すれば良いのか判らず、スコールはそれを無視することに決め込み、再びエレベーターの扉へと向き直る。途端に女性職員たちの失望の悲鳴が上がった。
以前もよくこんな風に少女たちに見つめられていたことがあったと、スコールはふと思った。少女たちの姿は朧に霞んみ顔までは思い出せないが、ガーデンの風景のなかにこんな光景が良くあった気がする。
『手ぇくらい、振ってやってもいいんじゃねえか?』
不意に、誰かの揶揄する声が脳裏に谺した。
それが誰の声だろうとスコールが思考を巡らせようとした途端、ずきっと頭がひどく痛んだ。思い出してはいけないと、警告されているようなタイミングで起こったそれに、スコールは苛立ちを覚えた。さらに声の主の正体を探ろうと思ったところへ、待っていたエレベーターが到着したことを知らせるブザー音が鳴り響いたが、その扉が開く気配はない。
スコールは右手首に填めているブレスレットを近くの端末にかざして自分のIDを読み取らせる。端末に入力されたIDの照合が終了して初めてエレベーターの扉が開いた。
神羅本社ビルは地下3階、地上70階という超高層ビルであり、世界を牛耳る大企業の牙城に相応しく、二重三重にしかれたセキュリティシステムに厳重に守られている。
地下3階はすべて神羅軍のための施設であり、本社に勤務している職員といえども、治安維持部門に所属していなければ利用は不可能である。
地上1階から3階までは企業アピールも兼ねているため一般にも自由に出入りが認められている。また、4階から25階までは一般職員が勤務する区画で、こちらも事前に許可を取っていれば一般人でも行き来することが可能となっている。ただしいくら一般職員でもIDカードも兼ねている社員証を未携帯で移動していると、場合によっては警備兵に職務質問を受ける可能性がある。
26階から56階までは上級職員が勤務する区画となり、こちらは一般公開されておらず、一般職員がこの区画を出入りするためには役職についている職員からの許可が必要となる。その際には許可を出した職員から社員証とは別のIDカードが発行され、それを携行する義務が発生する。
57階から59階までは、神羅の企業秘密とも言うべきソルジャーたちに与えられた区画で、この階層へ出入りするには、たとえ上級職員と言えどもそう易々とは許されない。入るためには佐官以上の発行したIDが必要となる。
ちなみにザックスはクラス2NDであるため、57階に自分用の部屋が用意されており、通常待機状態の時にはこちらにいるのが普通となる。またクラウドもその従卒に任命されているため、講義や演習のない空き時間には大抵この階層に詰めている。
60階以上には各部門の上層機関が入っている区画となり、重役もしくはその階級クラスによって発行されたIDカードが必要となる。機密扱いクラスの種々のものが存在する区画となるため、これらの階の警備は厳重に行われている。
例えば、エレベーターで階を移動するにも必ずIDチェックが行われる。
まずエレベーターを呼ぶ際にIDチェックがあり、エレベーターが到着した際にも扉を開けるためにチェックを受けなければならない。そしてエレベーターへ乗り込む際にも、扉に仕込まれているIDチェッカーで再度検査されるのだ。
この階にある各施設に入るためにも同様に複数回IDチェックが行われる。
70階にあるプレジデント専用ルームへの入室には、さらに警備兵によるボディチェックなども実施されるのだった。
エレベーターに乗り込んだスコールは、あっさり声の主の正体を記憶の中から引き出すことを止めてしまった。試そうと思う気すら湧き起こってこない。一旦たぐり寄せようと思っていた記憶と糸が切れてしまうと、それを引き出すことは不可能に近く、かえってさらにひどい頭痛に見舞われるのみなのだ。今までにも似たようなことが何回かあり、頭痛を我慢してみてもまるで成果が上がらないことは学習済みだった。
エレベーターを降りると、真正面に受け付けのカウンターがある。そこに座って待機している女性職員に歩み寄ると、
「ソルジャー・クラス2ND・ザックスに至急お渡ししたいものがあるのですが、会えるでしょうか?」
言いながらカウンター上に設置されているIDチェック装置に右手をかざす。
女性職員は手元にあるコンピュータ端末でチェックを行い、スコールの身元を確認した上でにっこり職業的な微笑みを浮かべた。
「ソルジャー・クラス2ND・ザックスでしたら、先程検診を終えられて、現在は休憩室の方でお連れの方の検査終了をお待ちです」
端末から得られる情報を、柔らかい声音にのせてスコールに伝える。
落ち着いた調子で紡がれるそれに耳を傾けていたスコールは連れという言葉にひっかかりを覚えたが、とりあえずザックスに会うのが先だと判断し休憩室の居場所を尋ねた。
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