第2章:融 和 【7】
最近多忙を極めていたセフィロスだったが、不意に出来た暇な時間を利用して書斎で調べ物をしている時だった。スコールが難しい表情で書斎に姿を現した。
朝から何某か考え込んでいる姿をみかけていたが、口を差し挟むものでもないと決め込んでそのままにしておいたのだが、ようやく自分に話す気になったのかと、セフィロスは手にしていた書類をその場に置いた。
翡翠の瞳が自分を真っ直ぐ見据えたことに気づいたスコールは一旦口を開きかけ、しかし何も言葉を発することが出来ず、そのまま唇を噛みしめ俯いてしまう。
珍しく逡巡してみせるその姿に、セフィロスの柳眉が跳ね上がった。口数こそ少ないが、自分の言葉を語るのに躊躇することなど滅多にしない相手のそれに、不審を抱く。余程自分には言い辛いことなのかと、勘繰ってしまうが、それでも自分から言い出すことではないと、スコールが口を開くのをしばらく待った。
やがて意を決したスコールはきっぱり顔をあげ屋敷の主を見据えた。
「近いうち、俺はここを出て行くつもりだ」
凛と言い放たれた言葉は意表をつくもので、セフィロスは驚愕も露わに瞠目した。
「勿論、あんたの許しが貰えればの話だが・・・・・・。俺はここを出て行きたい」
青灰色の瞳に強い意志の光が宿る。完全に拒絶するわけではないが、それでも他人に寄りかかることを良しとしない。そんな感情が垣間見える眼差しだった。
その光の強さに、セフィロスは背中を駆け抜ける戦慄を感じた。
「出て行って、どうするつもりだ?」
驚きに強張る表情と裏腹に、呟かれる声音は感情の色が感じられない。それに気づきながらも、スコールは言葉を紡ぐことを止めなかった。
「何時までもあんたの世話になってる訳にはいかない。あんたも迷惑だろうし・・・・・・」
他人に迷惑をかけているだけの現状にも、自分が他人の世話になっているという事実にも、スコールは耐え難くなっていたのだ。最近では外出を許可されるなど、自分に対する監視がさほどでもなくなってきた現在、それを言い出すのに良い機会だと感じていた。
すうっとセフィロスの面貌から表情が消えていく。
「・・・・・・なるほど」
スコールの言い分をどう受け止めているのか、その反応はあくまでも淡々としていた。
「明日にでも、ザックスが仕事を紹介してくれる手はずになっている。それが決まり次第、ここを出て行くつもりだ」
セフィロスのそれと同様に、スコールも抑揚に欠ける声音で呟いた途端、ぴくっとセフィロスの眉が動いた。
「ザックス・・・・・・だと?」
何が勘に障ったのか、声の調子が一気に跳ね上がる。
「ああ。あちこちに顔が利くと言っていたから・・・・・・。俺にでもできそうな仕事の紹介を頼んでいたんだ」
セフィロスの感情の動きがまるで判らず、スコールは動揺を覚えながら早口で一気に告げた。
「何故、オレに相談しない?」
自然に相手を責める調子が声音に含まれたことに気づき、セフィロスは微かに眉間にしわを寄せる。自分でも納得のいかない情動に戸惑いを覚える。
「あんたは何時も忙しそうだし、俺の話なんか興味ないだろう?」
それに追い打ちをかけるように、スコールはさらっと勘に障る言葉を口にした。自分とは何の縁もゆかりもないんだと言わんばかりのそれに、セフィロスははっきりと不快感を覚えた。
「オレの元を離れてどうするつもりだ?ザックスの所にでも転がり込むつもりか?」
するっと感情のままに紡がれた言葉。その内容が脳裏に染み渡った途端、胸につかえていた塊がすとんと落ちるように、セフィロスは自分が今胸に抱いている感情が、ザックスに対する嫉妬心なのだと理解した。理解できた。そしてそれがスコールに対する執着ゆえなのだということも、同時に思い至る。今まで他人に無関心を貫いてきた自分が信じられないくらい、ごく自然に他人に執着を覚える自分というものを、セフィロスは自覚した。
一瞬、殺気を孕んだ凄まじい眼差しを注がれて内心ひやりとしながらも、スコールは表情を変えず黙然と佇んでいた。セフィロスの中で様々に渦巻いているだろう感情が落ち着くのを、ただ待っていた。普段からとても理性的に物事を考える相手が、そう易々と己の感情に溺れきってしまうとは考えられず、その思考の流れが穏やかになるのを見守っていた。
やがて鋭さを増していた眼差しが徐々に和らぎ、そこに自嘲ともつかない穏やかな光が宿るのを認めたスコールは、話を続けた。
「部屋を借りる予定だ。とりあえずそこでこっちでの暮らしに慣れるつもりでいる」
元の世界に帰る術が判らない以上そうすることしかできないと、苦笑混じりに呟く。
落ち着きを取り戻したセフィロスは、だがその意見には賛成できず反論を開始した。
「以前にも言ったが、おまえは異能者だ。普通の奴らとは全然違う」
異分子であることを断定されたスコールの顔がやや強張る。
その少し傷ついた眼差しに哀れみを覚えないでもなかったが、しかしここで矛を収めてしまう気は、セフィロスにはさらさらなかった。
「それはそうそう隠しきれるものでもないし、その異質さを隠し通そうと思うのは、どだい無理な話だ」
何か言おうと口を開きかけたスコールを制し、セフィロスは言を継ぐ。
「だが、おまえのそれはオレと類似している。だから、オレの傍にいる方が、おまえの安全は確保される」
畳みかけるように告げられた言葉の真意を、スコールは考えた。どうしてセフィロスが自分を手元に置きたがるのか、その理由を考えた。恐らく自分という存在に、多大なる興味を覚えているだろうことは理解しているつもりだが、セフィロスがそれだけの理由から自分を引き留めようとしているとは考えづらい。そこには何か具体的な理由があるはずだった。
「俺が、何者かに目をつけられると、あんたはそう言いたいのか?」
数瞬後に得られた回答は的を射ていたらしく、セフィロスは口の端を微かに上げた。
「おまえという存在を知ったら、狂喜乱舞して捉えようとする連中を知っているだけだ」
淡々としていながらも、その声音には嫌悪、侮蔑、憎悪といった負の感情が渦巻いている。
セフィロスにそういった感情を抱かせる連中とやらに、スコールは怖気を感じた。
「そいつらの手に落ちたが最後、おまえは一生陽の目を見ることはなくなるだろう」
そうなりたいかと問われ、以前にも似たようなことを言われたなと思いつつもスコールは頭を左右に振る。そんな境遇に自ら落ちたいと思う人間が果たしているのだろうかと、反射的に自問自答してしまった。
「そいつらはどんな連中なんだ?」
具体的な正体が知りたく思ったスコールの問いに、セフィロスははっきり苦笑を浮かべた。
「神羅の上層部連中だ」
「あんたの身内なのか?」
あんまりといえばあんまりなその正体に、スコールの顔に不穏な空気が漂った。
「そうだ。奴らは金になるならなんでもする連中だ。いくらおまえでも、物量作戦でこられたら太刀打ちできまい?」
俺の傍にいれば俺が楯になってやれるとあっさりそう告げられ、スコールは自分の矜恃が傷つくのを感じた。
「あんたに守って貰わなきゃならないほど、俺は弱くない」
自分と同じくらい高い矜恃の持ち主に失言だったと、セフィロスは笑みを深め、
「そうだったな、おまえは弱くない。だが、オレの身内だと判れば奴らも迂闊に手出しはできない。どうだ?」
対等の相手だと素直に認め、提案を持ちかける。しかしスコールは相手の言い分に納得がいかなかった。
「俺はあんたの扶養家族じゃないんだ。世話になりっぱなしというのは、我慢ならない」
対等につきあいたいんだと言外に告げると、何故だかセフィロスは笑顔になった。
「働きたいと、金を稼ぎたいと、そういうことか?」
自立心旺盛なその言い分に、相手の若さというものを感じ取り、笑みを誘われる。
「俺はもう子供じゃないんだ。それくらい当たり前だろう?」
やっと青年期に入りかけ始めた人間の言い分に、心温まる思いを感じる。自分には存在しなかったそれに、セフィロスはくすぐったさを覚えていた。
「では、オレづきの私設秘書官になって貰おう」
そうすればここを出て行くこともなかろうと笑い混じりに提案してやれば、いつもは年齢にそぐわない落ち着き払った顔が、驚愕に歪む。
「あんたの・・・・・・秘書?」
半ば呆然と呟かれるそれはどこか舌っ足らずで、幼さを感じさせるものだった。
「オレと常に行動をともにしていても、誰も不自然には思わないだろう?」
咄嗟に考えたにしてはよい思いつきだと、セフィロスは上機嫌に宣う。
「・・・・・・。別の意味で大変だと思うんだが・・・・・・」
神羅の英雄がどれだけ注目を浴びる存在なのか、ここ数ヶ月のうちに色々なメディアを通して学んできたスコールは、其処に自分が共にいることを想像しげんなりしてしまった。
「仕方ない」
注目を集めるということに慣れきってしまっているセフィロスは、一言でスコールの愚痴を一蹴した。
「あんたはそれで済むかもしれないが・・・・・・。俺はどうすればいい?」
半ば諦めの入った口調でぽつり呟けば、案の定、
「諦めろ。オレと共にいるのが一番面倒がなくて良い。それに・・・・・・」
あっさり一蹴してしまうセフィロスだった。そしてやや不自然に言葉を徒切らせると口元を意味ありげに歪めた。
嫌な予感に囚われたスコールは、半分聞きたくないと思いつつそれでも言葉を待った。
「それに、オレの気が向いたときに何時でも立ち会いができるだろう?」
脱力感も甚だしいその言い分に、肩をがっくり落としたスコールだった。
何はともあれ、スコールはこの後セフィロスの私設秘書官という立場を確保することになったのである。
◇
いつもの通り、スコールが書斎で本を読んでいる時だった。何の前触れもなく扉が開き、人が入ってきた。
あらかじめ訪問の意を告げられていたスコールは驚いた風もなく、静かに本を閉じると部屋の入り口へと視線を投げた。
そこに佇んでいるのは二人。ザックスとクラウドだった。
いつもならば歓迎の意思表示として微かに笑みを浮かべるスコールなのだが、今回は違っていた。二人の姿を目にした途端、やれやれといいたそうにため息をついてみせたのだ。ついでに眉間に軽くしわを寄せている。
どこか迷惑そうな顔つきになったそれを認めながらも、ザックスはにっこり満面に笑みを浮かべる。
「約束、だろ?」
嬉々としてそう告げる様子はやんちゃな子供のようで、実年齢を知るスコールは再びため息をついた。
「そんなに、見たいのか?」
これから毎日のように見るだろうに何を好きこのんでと思ってしまうスコールに対し、ザックスは笑顔のままぶんぶん頭を上下に振る。
「見たい!」
間髪入れず力一杯叫んでくれたその姿に、スコールはがっくり肩を落とす。何を言っても諦めてくれなそうな雰囲気に白旗を揚げるしかなかった。
「リビングの方で待っていてくれ。後でそちらに行く」
ザックスの傍らで、クラウドは二人のそんなやりとりを、苦笑を浮かべて見守っていた。
二人がリビングルームへ足を運んでいくのを確認した後、スコールは自室に戻り、備え付けのクローゼットを開けた。
一番手前にはまだビニールのかけられたままにしておいた軍服が一式ある。
スコールはそれを手に取りながら、大きなため息をまたひとつついてしまう。
紆余曲折の末、セフィロスの私設秘書官への採用が決定してしまったスコールに軍から軍服が支給されたのだ。秘書という立場上軍内では文官扱いになるのだが、それでも一応軍属となるため、軍服の着用が義務づけられたのだ。
軍服を着ること自体、スコールにはこれといった抵抗感はない。ガーデンでは学生時代には制服があったし、SeeDになってからもSeeD服という軍服があった。今目の前にある物も、それらとさしてデザインが異なっているわけではない。ただ、自分がこういう物を着用しようとすると何故だか周囲が騒ぎ立てるのが、今回のザックスのようにだ、少々気に入らないだけだった。
一般兵とは異なる濃緑色を基本色とした軍服をビニールから取り出し、さっさとスラックスを履き替えてしまう。そして着てみせるだけだからと、スコールは薄手のシャツの上から上着を羽織ることにしてしまった。
一緒に支給された靴が軍靴ではないことは気に入らなかったが、戦闘に関わる立場でない以上仕方のないことだと、自分を慰め革靴に足を入れた。
クローゼットの扉に作りつけられている大きな姿見でざっと全身を点検した後、最後に襟のホックを留めた。
ホックの部分に指をかけて首周りを確認する。軽く首を左右に動かしても特に苦しさを覚えない。大丈夫そうだとスコールは思った。
一通り着替えを終えたスコールは、苦い顔つきでリビングルームへと足を運んでいく。
何でこんなことを自分がしなければならないのかと憮然としながらも、それでも約束は約束だと自分に言い聞かせる。少し早足で廊下を辿り、やがてリビングルームに着いた。
入り口で軽く深呼吸をし、中へ一歩足を踏み入れるながら、声をかける。
「待たせたな」
中で待っていた二人と視線が合った。そう思った瞬間、時間が凍結した。
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