第2章:融 和 【6】
ザックスの強引な申し出によって毎日のように顔をあわせることとなったスコールとクラウドは、年が近いせいもあり、直に気軽に言葉を交わせる間柄になっていた。そして、スコールやザックスという存在が間に入ることで、クラウドもセフィロスと、ぽつりぽつりではあるが、会話が成立するようになっていた。そしてクラウドやザックスが何気なく会話に上らせる外の情景に、スコールの心が揺れるようになってきた頃、セフィロスが一枚のカードを差し出した。
「これは何だ?」
手渡されたカードはプラスチック製で、一見したところ身分証明カードのように見受けられる。
実際そのカードには、何時の間に撮影されていたのか、表情の乏しいスコールのバストアップの写真が貼附されていた。
「それがあれば外にも行きやすいだろう」
スコールの意識が大分外界へ向けられていることに早くから気づいていたセフィロスは、あっさり偽造の身分証明カードを作成し、それをスコールに与えた。
カードそれ自体にはクレジット機能がついており、支払いは全てセフィロスの私設口座から自動的に引き落とされるよう設定されていた。それ以外にもこのカードには、公共施設をはじめとして、提携している様々な私設を優先的に利用できるような特典がついている優れもので、これ一枚さえあればミッドガルでの生活に困ることはない。
今のところそういった世事に疎いスコールは、与えられたカードを黙然と受け取った。
「おまえのプロフィールだが、クラウドと同じニブルヘイム出身としておいた」
手の中にすっぽり収まってしまうカードを矯めつ眇めつしていたスコールは、そんなセフィロスの選択が理解できず、
「何故?」
反射的に問いかける。
当然なその反応に、しかしセフィロスは苦笑を浮かべた。
「あそこは田舎すぎていて、社内に同郷の者がいない。それにこうしておけば、二人で何かと接触しやすかろう?」
接点が全くないのも困りものだが、接点がありすぎてもおまえは困るだけだろうと、翡翠の瞳に穏やかな光を湛えた。
「ついでにこれも渡しておこう」
ぽんと気軽に放られたそれを反射的に受け止めたスコールは、手の中に収まった物体に視線を落とし、苦笑する。
それは、以前セフィロスが使用しているのを見かけた携帯と同機種のそれだった。
こうしてスコールは、ザックスやクラウド、もしくはセフィロス自身と行動を共にすることを条件に、外出する権利を得たのである。
◇
びしっと、空を切り裂く音が聞こえる。
振りおろされる剣先が、微塵もぶれることなくぴたり宙で止まる。
幾度繰り返されても素振りの軌道に乱れは生じず、その剣先は小気味よいくらい同じ道筋を辿っている。
不意に、剣を振るっていた人物が体勢を変えた。素振りをしていた時よりもやや腰を落とす。
すうっと軽く息を吸い込み、その双眸が半眼になる。
一瞬にして高められた相手の緊張感に自然と自分の表情が強張るのを、クラウドは感じていた。
裂帛のかけ声と共に、剣先が宙を滑り始めた。
身体が覚えている剣の型を、スコールは丹念になぞっていく。
今手にしている剣は愛用のそれと比べると少し細身だったが重さは同程度だったため、剣を振るうだけならばさしたる問題はなかった。
剣の型を一頻り攫い終えたスコールは、基本の型になる正眼の構えにまで剣を戻すとすうっと今度は息を軽く吐き、そのまま剣を腰の鞘へと収めた。
一連の動作は総て流れる水のように滑らかで、クラウドは思わず見惚れてしまっていた。
二人は今、セフィロスの屋敷の地下にあるトレーニングルームにいる。
トレーニングルームと一口に言っても、今二人がいる場所は特にトレーニングマシーン等は置かれておらず、組み手などの模擬戦を繰り広げるために設計されている道場の方だった。
勿論、そういったマシーンが並ぶ部屋は別にきちんとあるし、銃関連を取り扱うための部屋や軍事行動時のシミュレーションを執り行えるコンピュータ端末が置かれている部屋、またマテリアの訓練をするための部屋もある。それ以外にも戦闘に関するあらゆる知識技術に必要な設備が取り揃えられている。
セフィロスの所有するこの広大な屋敷の地下全体が、戦闘に関する訓練施設となっているのである。
初めてこの空間を訪れたクラウドは、神羅本社ビルのそれと同じくらい設備が整えられていることに驚きを隠せなかった。そしてその気持ちはほぼ毎日利用するようになった今でも続いている。
ウォーミングアップを終了したスコールは、自分をじっと見つめたままでいるクラウドに不思議そうな視線を返すが、相手はそれに気づかないのか身じろぎひとつしない。
「クラウド?」
突然名前を呼ばれ我に返ったクラウドの上半身が大きく揺れ、腰に下げている剣の鞘が足に触れた。その冷たさに思わず身を竦めてしまう。
その様子に苦笑を浮かべるスコールだった。
「まずは一通り習っていることを攫ってみせてくれ」
クラウドの希望により剣を指南することになったのだが、実際どれくらい使えるのか判らなければ何も出来ないと、スコールはそんなことを言って場所をクラウドに譲り、自身は壁に凭れるように軽く背中を預け、両腕を胸元で組んだ。
緊張した面持ちでクラウドはこくり頷くと、言われたとおり訓練の時と同じ要領で剣を振るい始める。
まずは正眼に剣を構え、素振りを行う。スコールのそれに比べると力強さも速度もまだまだだったが、それでもそれなりの正確さで剣が振るわれる。次いで教えられている型を忠実に再現してみせた。
「もう一回」
クラウドが一通りの所作を終えたことを確認したスコールはすかさず言葉を発した。
クラウドは言われたとおり、もう一度一連の動作を繰り返す。そして一通り終えると、再び繰り返すようスコールから指示が出された。これには驚きを禁じ得ず、クラウドは反射的に声の主の方を見てしまった。
一見するとその姿勢から至極寛いでいるように見えるが、その実、瞳に宿る光がそれを裏切っており、クラウドの一挙一頭足を見逃すまいと鋭い光を宿した双眸は、いつもよりその色が濃いように思われた。
蛇に睨まれた蛙の如く、真剣を思わせる鋭い視線に射竦められたクラウドの動きが一切止まる。
それを見咎めたスコールの片眉が跳ね上がり、表情が消えた。そして組んでいた両腕を解き壁から離れる。
「やる気がないんなら、俺は帰る」
言い様、クラウドにくるり背を向け道場の出口へと向かっていた。
クラウドは慌ててその後を追い、スコールの右腕をがしっと掴んだ。
かなりの力で右腕をとられたスコールはその場で足を止め、変わらず無表情のまま振り返る。青灰色の瞳が、顔を強張らせ頬を紅潮させたクラウドの姿を捉えた。青い瞳に浮かぶ必死の色に、スコールは微かに表情を和らげ、クラウドに向き合うべく身体を巡らせた。
しばらく二人は無言のまま見つめ合っていたが、やがてクラウドの手がスコールからするり外れた。
「お遊びにつきあうほど、俺は暇じゃない」
淡々と告げられるそれに、クラウドは唇を悔しそうに噛みしめたと思うと、きっと眉をつり上げ叫んでいた。
「お遊びなんかじゃ、ない!」
どれだけ真剣に闘う術を身につけようと思っているのかが、その叫びには満ち溢れていた。
「なら、真剣に取り組むんだな」
告げる口調は優しさに彩られ、瞳に宿るそれも穏やかなものになっていた。
「うん!」
許されたことを知ったクラウドは思いきり大きく頷くと、先程の位置まで駆け戻り再び剣を振るい始めた。
スコールもクラウドの姿がよく見られる位置に再び戻ると、やはり同じ姿勢をとる。その口元には苦笑が刻まれていた。
どれくらい繰り返したのか数えるのを止めてしまった頃、スコールから制止の声がかかった。
剣を鞘に戻すその額には汗がびっしりと浮かび、クラウドは大きく肩で息をしていた。手で額の汗を拭いつつ顧みれば、スコールがこちらに向かって歩いてくるところだった。
「筋は悪くない」
視線があった途端の台詞に、クラウドは内心舞い上がった。スコールが言葉を飾らない率直な物言いを好むことは今までのつきあいで知っていたから、素直に讃辞だと受け止められた。しかしこれが同僚たちから言われたことならば、クラウドはかえって反発していただろう。
「もう一度正眼に構えてみせてくれ」
クラウドのすぐ隣りまで来たスコールは右手を軽く腰に当ててその場に佇む。
自分の肩幅くらいに両足を開き腰を据えたクラウドは、再び剣を抜き構える。
「素振りを・・・」
言われたとおり剣を上段に持ち上げ、正眼の位置に振りおろすが、スコールがしてみせたように剣先がぴたりと綺麗に制止できない。
「もう一度」
言われるままもう一度同じ事を繰り返す。やはり剣先は微妙に揺れをみせた。何度繰り返してもその揺れは消えることはなかった。
「剣先にまで意識を集中しろ」
クラウドがそれを強く意識するようになったのを見計らい、スコールは低く囁きかける。
「自分の思い通りに剣を振るえなければ意味がない」
尤もな言い分に、クラウドはこくり頷いた。
結局、本日の自主訓練はひたすら剣の素振りだけで終了してしまった。
道場の一角に備え付けられているシャワー室で汗を流し終えた後、二人は何時も通りリビングルームへと場所を変えた。
手を抜くことを一切知らない厳しい教官にしごかれ抜いたクラウドは、何時もこの時間になるとへとへとにくたびれており、それを重々承知しているスコールは苦笑混じりにコーヒーと茶請けを振る舞うのが習慣となっていた。
今日の茶請けは何だろうななどと欠食児童のようなことを思いつつ、スコールがキッチンから戻ってくるのをいそいそと待つクラウドの顔は、年齢相応にあどけない顔つきだった。
昨日一緒に繁華街に繰り出した時、スコールがある店で何某か購入していたのは知っていたが、敢えて何かまでは詮索しなかったのだ。最近出される茶請けの内容が、外出時に通り過ぎた店のものであることに気づいてからは特にそうしていた。
ほどなくスコールがキッチンから戻ってきた。
「口に合うかどうか判らないが・・・」
最近お定まりの言葉を口にしながら、コーヒーと共に饗されたのは有名店で限定販売されているガトーショコラだった。
それを目にした瞬間のクラウドの表情ときたら、もう何と表現すれば良いのだろう。
普段はクールな態度を貫いているクラウドだったが、実は甘いものには目のない無類の甘党だったりする。そのクラウドが以前から食べてみたくて仕方なかった、しかし薄給の悲しさで購入を断念し続けていた憧れのケーキが、無造作に目の前に置かれたのだ。空腹を抱えた状態で大好物を目の前に置かれ、しかしお預けを食らってしまった忠犬とでも表現すればいいのか。兎に角、今のクラウドは普段とはどこか違い、目の色が変わっていた。
そんな事情を露とは知らないスコールは、異様な迫力を漂わせるクラウドの姿に内心首を傾げながらも、
「どうぞ」
ぽつり勧めた。
途端にクラウドは目をきらきら輝かせ、ケーキが載せられている皿に手を伸ばす。その手が緊張のあまり微妙に震えていた。そして皿に添えられているフォークを使ってケーキを適当な大きさに切り取り、それを口元に運ぶ。贅沢に使われているチョコの香りに思わずうっとりとなる。それから意を決したように口を大きく開け、ケーキを一気に口中へ放り込む。ケーキを噛みしめた瞬間、全身に心地よいしびれが走るのをクラウドは感じていた。
クラウドとは違って特に甘党というわけではないスコールは、実に幸せそうにケーキを口に運ぶ姿を不思議なものを見るように眺めていた。
あれよあれよという間にケーキを平らげてしまったクラウドは、完食の余韻に浸りながらもどこか寂しさを感じた。そして不覚にもスコールの前に置かれたままのケーキを発見してしまい、それから視線を外せなくなってしまった。
「俺の分でよければ、食べるか?」
凝視の鋭さについついそう提案してしまう。
嬉々として二つめのケーキに取りかかったクラウドの様子が微笑ましく、頬を緩めるスコールだった。
そのケーキもあらたかクラウドの胃に消えた頃、それを見計らっていたスコールは、
「ザックスは戻ってきているのか?」
少々調子の改まった口調で、ザックスの従卒の立場にいるクラウドへと問いを投げかけた。
ザックスは先日からある極秘ミッションについており、部外者であるスコールはその詳細を知らなかった。ザックスの上司にあたるセフィロスに尋ねれば、もしかするとある程度は教えて貰えたかも知れないが、スコールは敢えてそうはしなかった。どんな内容の任務だろうと受けた以上、そこには常に守秘義務というものが生じることを知っているからだ。ただ先日会ったときに二週間程度留守にすると本人から直接聞いており、そろそろ戻ってきている頃合いだと見当をつけた上での問いかけだった。
「今朝早く、帰ってきたよ」
最期の一欠片を少々惜しそうに口に放り込みながら、クラウドは気軽に言葉を返してきた。
そうかと呟いたまま考え込むように黙ってしまったスコールを怪訝に見つめたクラウドだったが、それ以上何も話そうとしない様子に、帰ることを決心した。
このままここでのんびり時間を過ごしていると、そのうち屋敷の主が帰ってきてしまい鉢合わせとなってしまう。最近では言葉を交わすことに大分抵抗を感じなくなってきてはいるが、それでも視線を交わした瞬間に感じる言い様のない緊張にはなかなか慣れず、出来ればそういった事態はもう少しの間ご遠慮願いたいと思っているクラウドだったりする。
そんな事情があるものだから、帰ると決心したクラウドの行動は素早かった。
「有り難うございました。それとご馳走様です」
その場に立つとびしっと敬礼をして礼の言葉を述べる。そしてくるり背を向け居間を出て行こうとした。その背中へ、
「ザックスに、後で連絡を入れると伝えておいてくれ」
やや緊張した声がかかった。
珍しいこともあるものだと振り返った碧落の視線に、何か深く考え込むスコールの姿が映った。
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