第2章:融 和 【5】
マテリアに触れることができて上機嫌のまま家路に着いたクラウドは、スコールとろくに会話をしなかったことに気がつかなかった。そしてその気分のまま、鼻歌交じりに夕食の支度をしているところへ、ザックスが帰ってきた。
「たっだいま〜、って、なんかご機嫌だな?いいことでもあったのか?」
スコールと仲良くなって帰ってきたんだなと、憶測を巡らせるザックスだった。やっぱり年が近いと仲良くなりやすいんだろうと一人納得してしまう。しかしそれが自分の勝手な思い違いだったことをすぐに思い知ることになった。
「今日、マテリア触ってきたんだ!」
煮込み料理を作っているのだろう鍋をかき混ぜていたオタマをぶんっと勢いよく振り回し、背後に立つザックスに向き直るクラウドの表情は興奮できらきらしている。心なしか鼻息も荒い気がする。
「マテリアって凄いな!俺も早く自分用の欲しい!」
それから『かいふく』のマテリアを体感したときの感覚を一気に捲したてる。その中にスコールの『ス』の字も出てこないことに、ザックスは自分の思惑が思い切り外れたことを知った。自分でも両方の肩ががっくり落ちるのを自覚する。
お願いだから、マテリアではなくてスコールの方に興味を持ってくれよと叫びたい心境になる。口下手な人間同士を会わせるときの難しさを、しみじみ感じるザックスだった。
食事も終わり、その後片付けにザックスが勤しんでいる背中へ、クラウドは、
「そういえば、スコールが傭兵だって本当?」
ぽつり問いかけた。
この質問にザックスが狂喜乱舞したのは言うまでもなく、泡だらけの手にやはり泡だらけの食器を握り締めたまま振り返った。
「本当。それ本当。すっごく強いんだぜ、あいつは!」
少々力みが入りすぎた返答に、クラウドの顔が微妙に引きつる。
ザックスの手から、食器から、泡が床めがけて落ちていく。
それに気づいたザックスは慌ててくるりと向きを変え、急いで後片付けを終了させることに専念した。
「ふ〜ん、そうなんだ」
自分とあまり年の離れていないように思ったスコールがザックスが認めるくらい強いことに、クラウドは何故だか釈然としない心地になった。手が自然とお気に入りのクッションに伸び、それを抱え込むとあごをその上にのせた。
「お待たせ!」
誰も待ってないと思わず突っ込みを入れたくなるような明るい口調で戻ってきたザックスは、今にも膝を抱え込んでしまいそうな雰囲気のクラウドの隣りにどかっと座り込んだ。
「で、どうだった?スコールに会った感想は・・・」
俯き加減に顔を覗き込むようにして囁けば、ちょっと困った顔のクラウドを見つけた。
「良く・・・判らない」
正直に自分の感じたことを口にする。
最初はその身に纏う空気が変で一緒に居ることに警戒心が働いた。しかしそれは時間が経つうちに慣れてしまったらしく平気になっていた。でもたいしたことを話した訳ではなかったから、それ以上はどうだとか思い浮かばない。ただ自分が随分早く警戒心を解いてしまったことには驚きを感じていた。過ごした時間は短かったけれども、一緒にいて苦痛を感じる相手ではないと、心の何処かで納得できたせいなのかもしれない。
クラウドから得られた返答は曖昧としていたが、そこに籠められた感情は肯定的なものだということに気づいたザックスは、笑顔になった。そして今回の『二人を仲良くさせよう』作戦第二弾を決行しても良いだろうと判断し、その場から立ち上がると、部屋に備え付けの電話へと歩み寄り、いつの間にか登録しておいた短縮番号1を押す。
「俺、此処しばらく忙しくて、お前の相手出来そうにないんだ。だから俺の代わり、スコールに頼んでおくからな」
当事者であるはずのクラウドの了解を取る前に、さっさとスコールに連絡を入れるザックスだった。
コールすること数回。
『はい』
予想していたスコールのそれとは違う低声が、地を這いそうな雰囲気を漂わせて静かに電話口に出た。
「あれ?帰ってたんですか?サー」
ちらっと視線を室内時計へ走らせる。確か今の時刻は重要な会議が入っている時間帯ではなかっただろうかと、不審に思う。それが伝わったのだろう、電話の向こう側で低い忍び笑いが洩れた。
『低能な連中に何時までもつきあっていられるものか。それよりも用件は何だ?』
大企業のトップ連中をつかまえて何てことを言うんだこの人はと、内心頭を抱え込みながらも、用件を少しでも早く片付けるべく言を継ぐ。
「スコール、いませんか?」
スコールが指名されたことが面白くなかったのか、電話の相手の雰囲気が少し苛ついたものに変わる。受話器越しにスコールの名を不承不承呼ばわるセフィロスの声が聞こえた。
『ザックス、俺に何の用だ?』
落ち着きすぎた声音でスコールが電話口に出る。声を聞いただけではどれくらいの年齢なのかさっぱり掴めない口調だ。
「あのさ、スコールにお願いがあるんだけど・・・、いいか?」
『内容によるな』
間髪入れず返される声に少しだけ興味を惹かれているという色合いが交じっている。恐らくクラウド絡みの願い事だと察しているのだろう。
「クラウドに体術教えてやって欲しいんだけど・・・ダメか?」
お願いを聞き入れて貰いやすいように心持ち下手に出てみる。聞いて貰えないようだとちょっと困るんだけどな、という風味も勿論加味した口調で言うことを忘れずに、だ。スコールが毎日鍛錬を欠かさない事も、セフィロスから勿論聞いて知っていた。一人で色々鍛錬するよりも二人でした方が楽しいに決まっている。たとえそれが相手に一方的に教えることになったとしてもだ。
電話の向こう側でスコールが逡巡しているのが伝わってくる。
『俺のやり方でも、大丈夫なのか?』
悩んでいるのが引き受けるかどうかではないことを知ったザックスの表情がぱあっと明るくなる。
「大丈夫、それで全然問題ない。基本的なところを教えてやって欲しいんだ」
『何時からだ?』
簡潔な問いかけ。でもその声には明らかに楽しそうだという期待感が含まれている。
「明日からで、どうだ?」
クラウド本人の意思などまるで無視してザックスはせっせと話を進めていく。
「今日と同じくらいの時間にクラウド寄越すから、その時はよろしくな!」
『・・・了解』
明るく、そしてかなり力の入った口調に気圧されたのか、電話越しの返答はやや引き気味だった。
もう少し会話を楽しもうと口を開きかけたザックスの耳元に、やや不明瞭ながらも冷ややかな言葉が聞こえる。
『用件は済んだな』
恐らく受話器を持っているのは未だにスコールなのだが、それに割り込むようにしてセフィロスがそんなことを、わざと呟いたらしい。
『それじゃ、明日、待ってるとクラウドに伝えてくれ』
スコールはやや早口でそんな事を宣うと、ザックスの返答も待たず受話器を置いた。
あっさり切られてしまった電話に軽くため息をつき、やれやれと言いたげに振り返ったザックスの顔に、クッションが炸裂する。
「一人で勝手に話し進めんな!バカ!!」
自分の言い分を完璧に無視してくれた相手に向かって怒声を飛ばすクラウドは、怒りに顔を紅潮させていた。
「それについては悪かった。でも、おまえ、サー相手だと話なんかできないだろ?」
言われて、スコールが誰と同居しているのか思い出し、思わず身震いしてしまう。あのセフィロスと直接会話する勇気なんて自分は全然持ち合わせていない。ザックスのように気軽に言葉を交わす事なんて到底出来やしない。そう思うと、ザックスが勝手に話を進めてくれたことが良かった風に思えてくるから不思議だ。
「スコールは明日からでもOKだってさ。おまえ、どうする?」
本人の了解を得ていなかったが、それでもそう約束してしまった以上、無断で反故にするわけにもいかないだろうと、やや口を尖らせながらもクラウドは了承した。
◇
セフィロスが珍しくげっそり呆れた顔をして帰宅したとき、スコールは何時もと変わらず書斎でコンピュータに向かっていた。自分が帰ってきたことはとっくに気がついているだろうに、顔を上げることなく端末と向き合っている。セフィロスは何となくそれが気に入らず胸の辺りがもやもやする感じを覚えていた。しかし自分が今抱いている感情の色が何であるのか、当の本人には理解できずにいた。
スコールと一緒に暮らすようになってから、感情のコントロールが取りづらくなってきたと思うセフィロスだった。勿論、勤務中は今までと変わらず安定した精神状態を保っている自信はあるが、こうして自宅の戻ってくるとどうしてだか感情に起伏が生まれてきている気がしてならない。
現に今もそうした感情の波に自分は翻弄されていると、セフィロスは思わずにはいられなかった。
遅くなるから先に夕食は済ませておけと言い置いていったにも関わらず、スコールが未だに食事を摂っていないことは明白だった。自分の言いつけに従わない、それもセフィロスの勘に障る。その感情のままスコールの元に歩み寄ると、わざとモニターを横から覗き込んだ。
「何をしている?夕飯は済ませたのか?」
視界の片隅に銀灰色の髪が入り、スコールははっと我に返った。
「セフィ・・・ロス?」
呆然と呟くその声が微かに震えている。物思いに耽りすぎていて屋敷の主の帰宅にも気づけなかったスコールだった。
「今日は遅くなるって、あんた、言ってなかったか?」
それでも何処か不機嫌な翡翠の瞳をごく当たり前に真っ直ぐ見つめ返す。すると、鋭かった視線が柔らかく和んだ。
ザックスですら時折視線を逸らし気味にしてしまう自分の眼差しを、臆することなく真っ直ぐ見返してくる青灰色の瞳に、もやもやしていた胸の内が一瞬で晴れてしまうのをセフィロスは感じた。
「・・・何故だ?」
唐突なスコールの質問にセフィロスは僅かに目を瞠る。尋ねるその声が思いの外真剣みを帯びているのに気がついた。
「何故・・・とは?」
問い返すと、スコールは微かに俯き加減になった。何やら尋ねづらいことを口にするつもりなのだろう、眉間にしわが寄っている。
「何故、あんたは俺を匿ってくれているんだ?あんたにとってメリットにはならないだろうに・・・」
真剣な口調で問うてくるスコールに悪いと思いつつ、セフィロスは口元が緩むのを止められなかった。セフィロス自身にしてみれば、スコールの言い分などたいした問題ではなかった。だから、返す言葉は笑いに彩られていた。
「気紛れだ」
笑い混じりの返答に、スコールはきょとんとした顔つきになってしまった。
「・・・気紛れ」
至近にある翡翠の瞳も口調を裏切らず柔らかい光を宿している。
「オレは現状にほとほと嫌気がさしている。だが、それを覆す術を知らん。おまえに関わっていると何かが変わっていく、そんな気がしてならないんだ」
それがおまえを匿う理由といえば理由だなと言い切るセフィロスは、自信に満ち溢れていた。
「あんたに迷惑がかかっても、か?」
その言い分に納得できずにスコールがさらに言い募っても、セフィロスは一笑に付してしまう。
「迷惑結構。現状が覆るのであれば、オレは大歓迎だ。久方ぶりに楽しく思えることに出会えたんだ。自らそれを逃す手はなかろうよ」
そう言い切られ、二の句の継げないスコールだった。
上機嫌のままセフィロスは衣装を解いてくるから夕食を頼んでおけと言い置き、書斎から一旦姿を消した。
寛げる恰好に着替えて書斎へと戻ってきてみれば、スコールは先刻と寸分違わぬ姿でいた。それを目にした瞬間、口元が自然に綻んでいくのをセフィロスは感じた。
ゆったりとした歩調でデスクに歩み寄っていくと、突然、室内に設置している電話が鳴り響いた。
自分の存在を公にするわけにはいかないと、セフィロスから電話の応対やらを一切禁止されているスコールは、視線だけ電話へと向ける。
突然のそんな物音に、セフィロスの感情曲線が一気に下降していったとしても仕方のないことだろう。不機嫌な表情のまま、受話器をとった。
「はい」
この番号を知っている人間はごく限られているが、まさか社からの呼び出しではないだろうなとセフィロスは疑った。本来ならば自分はまだ社内で重要会議に参加しているはずの時間なのだ。自分がいる必要性を感じなかったため早々に引き上げてきたのだが、もしかしてもう一度顔を出すよう促す電話なのかもしれない。自然、声は冷淡な響きを帯びていた。
『あれ?帰ってたんですか?サー』
聞こえてきたのは、最近よく耳にするようになった脳天気な部下のそれで、セフィロスの眉間からしわが取れた。いつの間にか自分のスケジュールを把握していたらしい言いぐさに、思わず忍び笑いが洩れてしまう。
「低能な連中に何時までもつきあっていられるものか。それよりも用件は何だ?」
自分でも珍しい軽口が口をついて出てしまう。今までであれば心の中で呟くに留めておいた言葉が、すらすら口をついて出てくるのだ。ザックスの雰囲気がそういった変化を自分にもたらすものであることに、セフィロスは気がついていた。
『スコール、いませんか?』
楽しいと思っていた気分が一瞬で霧散する。自分でも極端だと思える情動を、しかし制御する術はなく、再び不機嫌な気分のままスコールの名を呼んだ。
「スコール、ザックスがおまえに用があるそうだ」
差し出された受話器を受け取りつつ、スコールは軽くため息をついた。
「ザックス、俺に何の用だ?」
つい抑揚を押さえてしまって、自分でも平坦だと思ってしまえる声が出てしまう。
『あのさ、スコールにお願いがあるんだけど・・・、いいか?』
相手はそんな余所余所しい自分の態度を気にした風もなく、ごく自然に言葉を紡いでくる。
「内容によるな」
それを嬉しいと感じる自分を感じながら、即答するスコールの口調に温かい色合いが交じる。ザックスが自分に対して『お願い』という言葉を使う以上、その『お願い』とやらにはクラウドが絡んでいるだろうことは簡単に予測がついた。
『クラウドに体術教えてやって欲しいんだけど・・・ダメか?』
案の定、『お願い』はクラウドに関してのことだったが、それが師匠の真似事をするよう依頼されるとは思わず、スコールは面食らった。自分の学んできている戦闘術はG.F.を絡めているモノも多く、この世界のものとは根本的に異なる部分が多分に含まれているのだ。そんな技を伝授してしまっていいのだろうかと、不安が心を過ぎった。
「俺のやり方でも、大丈夫なのか?」
だからつい反射的にそう尋ねてしまっていた。ちらり視線をセフィロスに投げれば、どうしてザックスとの会話の内容を理解しているのか少々不思議に思わないでもなかったが、大丈夫だと大きく頷く姿があった。
『大丈夫、それで全然問題ない。基本的なところを教えてやって欲しいんだ』
電話の向こうでザックスも明るくそう告げる。
基本的なことと言われたスコールの脳裏に幾つもの基礎的な鍛錬法が過ぎり、それをざっと反芻したスコールは、ザックスの申し出を受けることに決める。
「何時からだ?」
日々の鍛錬は欠かさないが、そろそろ一人きりで鍛錬しているのにも飽きが来ていた頃合いだった。もしかするとこんな自分でも人恋しいのかも知れないなどと、スコールは苦笑混じりに思っていた。
『明日からで、どうだ?』
少々唐突すぎる気もしたが、今までのメニューを少し組み替えれば上手く対応できそうだった。
「・・・了解」
『今日と同じくらいの時間にクラウド寄越すから、その時はよろしくな!』
ザックスの明るい声を聞きながら、半分どういう風にメニューを組み立てようかなどと考えていると、不意に、
「用件は済んだな」
セフィロスがずいっと顔を寄せ、やや冷ややかな口調でそう宣った。何か機嫌を損ねるようなことをしたかと不安になってしまうくらい、その声音は冷たかった。声の主を見遣れば、翡翠の双眸に拗ねた色が浮かんでいる。それに気づいたスコールはザックスとの会話を早く切り上げるべく、
「それじゃ、明日、待ってるとクラウドに伝えてくれ」
早口でそう告げて受話器を置いた。
自分が完全に蚊帳の外に置かれた状態に不満を覚えているだろうセフィロスに、スコールはただ呆れるしかなかった。しかしこのまま放置しておくのも大人げない気がする。
「すでに判っているとは思うが、一応言っておく。明日から地下のトレーニングルームにクラウドを入れることになると思うから、了解していてくれ」
敢えて一切の感情は削ぎ落とし、淡々と言葉を紡いでみせるスコールだった。
「おまえの裁量にまかせる」
実にあっさり承諾の意をみせるセフィロスだったが、その口元が僅かに歪んでいた。
それを見咎めたスコールは片眉を跳ね上げてその真意を問いかける。
「その代わり・・・」
セフィロスの口元がさらに意味ありげに歪められ、それを認めたスコールは何故だか背筋を走り抜ける悪寒を感じる。
「その代わり、オレも時間のある時には、是非とも手合わせ願いたいものだ」
神羅最強のソルジャーたる英雄からのそんな言葉に、スコールは複雑な表情になっていた。
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