第2章:融 和 【3】
いつものように書斎で課題にとり組んでいる時だった。滅多に鳴らされることのない玄関のチャイムが鳴り響いていることに、スコールは気がついた。
時計に目を遣ると時刻は夕方5時過ぎ。
覚えている限り今まで一度として来客のなかった屋敷のドアチャイムが鳴ったことに、スコールは不審を抱いた。
素早く端末を操作して玄関に設置されているカメラのモニターを呼びだす。
設置されているセキュリティシステムの設定では、通常屋敷内の監視カメラが影を捉えた場合、その映像がカメラとリンクしてある端末のモニターに自動的に表示されるよう設定されている。しかし現在端末を主に使用しているスコールがそれでは煩わしいと、セフィロスから合意を得た上で設定を手動に変更していた。
モニターに映し出されたのは、神羅軍の一般兵に着用の義務が課されている青い軍服に身を包んだ小柄な姿で、軍服と同色のヘルメットを目深にかぶり、目元も顔半分を覆ってしまうような防護フィルターに隠されてしまっている。そのため、人相は判然としない。ぴんと伸ばされた背筋には緊張感が漂っていた。
その姿から訪問者が誰であるのかぴんときたスコールは、玄関のロックを端末から解除し、端末脇のマイクのスイッチを入れる。
「鍵は開けたから入ってきてくれ」
玄関のマイクを通じて書斎までの道筋を説明した。
来客が辿り着くまでの間、スコールは黙々と課題に集中し、そしてそれが一段落した頃、軽いノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
短く応じれば書斎の扉が開き、モニターに映っていた兵士がそこに佇んでいた。
兵士はスコールとフィルター越しに視線があった途端さっと敬礼し、
「クラウド・ストライフ二等兵、ただ今到着いたしました。サー」
そう告げる声音は、少年にしてはやや高めの、しかし少女にしてはやや低めの、声変わりもまだなのだろう中性的なものだった。
緊張しているのがありありと判る、固い口調の名乗りに、スコールは知らず苦笑を浮かべてしまう。
それがかちんときたのだろうクラウドは表情こそ変えなかったものの、その澄んだ青い瞳に怒気を孕ませ、戸口に佇んだまま平坦な調子で言葉を続ける。
「ご用件はなんでしょうか?サー」
そう言われて、スコールは少し困った顔つきになった。昨日の話の流れをそのまま口にしても良かったが、それではクラウドが胸に抱き続けている憧れの英雄像を一部なりとも壊しかねない事態になりそうで、説明がしづらかったのだ。
なかなか用件を切り出そうとしない相手にしびれきをきらしたクラウドは、眦をつりあげ、
「ご用がないんでしたら、俺はこれで帰らせて頂きます。失礼します、サー」
あんたの気まぐれにつきあっている暇はないんだと言わんばかりの、実に素っ気ない態度で踵を返した。
「待ってくれ」
その背中へスコールは反射的に声をかけ、椅子から立ち上がり追いかける。持ち前の脚力をいかして一気に彼我の距離を詰めた。
一瞬のうちに背後に感じられた人の気配に、クラウドは驚き振り返る。
二人の視線が至近で交わった。
フィルター越しであるにも関わらず、スコールはその視線をぴたり捉え、
「俺はスコール。スコール・レオンハートだ」
静かな口調で名前を告げた。
◇
何とも言えない重い雰囲気がリビングルームに漂っていた。
書斎では居心地が良くないだろうと思ったスコールの提案により、二人はあの後連れだってこちらに移動してきていた。
二人の前にはスコールが淹れてきたコーヒーが置かれている。
リビングルームに通され寛いでくれと言われたクラウドは、これ幸いと鬱陶しいヘルメットとフィルターを取り去り、その素顔を晒していた。そしてコーヒーカップを両手で抱えて時々啜りながら相手の様子を窺っていた。勿論、相手も同じように自分を観察しているということはクラウドも重々承知している。何せきちんと顔を合わせるのはこれが初めてなのだから、互いに警戒心を抱きあってもおかしくない状況だろう。
青灰色の瞳が、自分より幼い少年を観察していた。
それらしい恰好をさせれば、まず間違いなく少女と思いこんでしまうだろう容貌は繊細さに彩られ、人間の美醜にあまり興味を抱かない自分でも思わず感心してしまう端正な顔立ち。それを包んでいる髪の毛は、かなりのこしがあるのか奔放に跳ねており、世の女性陣が羨むくらい豪奢な黄金色をしている。
眼差しは見事なくらいに澄んだ青空色で、大きなその瞳は、覗き込んだらうっかり吸い込まれてしまいそうだ。しかし瞳に宿る光は秀麗なその容姿を裏切るくらい強く剛毅なものだった。
その髪型から何故だかチョコボが連想され、スコールは思わず微笑んでいた。
碧落の瞳が、自分よりは幾分年嵩な相手を観察していた。
異性に対してならいざ知らず、同性の美醜に関してあまり興味のない自分でも思わず綺麗だと思ってしまう端麗なその顔。鳶色の髪に包まれたその顔には額から鼻梁にかけて右から斜めに刻まれた傷があり、思わずそれを惜しいと感じてしまう自分がいて、少し驚いてしまう。
不快感を抱かせないくらいの穏やかさで、こちらをやんわり見つめている青灰色の瞳。それは、憧れてやまないソルジャーとは明らかに異なる、単に青い色合いの瞳のはずなのに、何故か彼らを彷彿とさせてやまない。数限りない戦場を知っている、数限りない修羅場をくぐり抜けてきている、そんな戦士の目だとクラウドは思った。
身に纏っているのはごくありふれたラフなデザインの白いシャツとブラックジーンズ。その辺を探せばいくらでもいそうな平凡な姿のはずなのに、さりげなく着こなされた姿は人目を惹いて仕方ない格好良さだった。
街を歩けば羨望の眼差しが注がれること間違いなしの人物が目の前にいる。
しかしそこに自分はそこはかとない違和感を感じてしまうのだ。意識しなければ感じられない程度だが、それでもその存在の不調和が確実に自分の勘に障った。
クラウドの眉間が微かに顰められたことをスコールは見逃さなかった。
「ザックスから、何も聞いていないのか?」
あくまでも無表情を貫いていたクラウドの微妙な変化に、会話の切欠を見つけたスコールは淡々とした口調で言葉を紡ぐ。
ソルジャーであるザックスに何の敬称も付けず名前を呼び捨てにした相手に、クラウドは戸惑いを覚えた。先刻の名乗りでも特にスコールは自分の身分について言及していなかったことに思い至り困惑を感じる。
「俺のことは何て聞かされてるんだ?」
言われて、クラウドはスコールと初めて顔を合わせた日の出来事を思い出していた。
◇
余計なことには首を突っ込むなとザックスから釘を刺されたあの日。
頭では彼らの言い分は十分理解できたのだが、感情面で納得できず、むしゃくしゃした気分になったあの日。
クラウドはすっきりしない思いを抱いたまま、寮の自室へと戻っていた。
当然気分は優れないから乱暴な仕草でドアを開けることになり、立て付けの悪いドアがそれに抗議するようにばんと大きな音を立てて内側に開いた。
自分の乱暴さを棚に上げ、安普請はこれだから困るとクラウドは八つ当たりしつつ、部屋に入り室内を見回した。
先に帰ってきていた同室者達が顔を引きつらせ、入り口に佇むクラウドを見つめていた。
しまったと思いつつもそれを面に現さず、クラウドは無表情のまま同室者達に小さく詫びをいれると、自分の生活スペースである窓際の一角へと歩いていった。
一般兵用の寮は、基本的に手狭な空間に2〜4人が同室として押し込められる。代わりがいくらでもきく使い捨て同然の身分には、それが妥当な扱いだと会社側は平然としたもので、そこにはそういう扱いが嫌ならば、努力研鑽して這い登ってくれば良いと上昇志向を煽る目的も多分に含まれていた。
クラウドに与えられている個人的な空間は、安物のベットの上とその周囲を覆い隠すように設置されているカーテンで作り出されるしきりの内側だけだった。
カーテンをさっと引いて周囲との隔たりを設けると、クラウドはほっとため息をついた。自分に許されているのは僅かな空間でしかなかったが、それでも確かに自分のものだといえる場所に戻ってきたことに安堵のため息をつかずにはいられなかった。
つい数時間前に起きた出来事はあまりにも衝撃的で、未だに実感が湧かなかった。あの英雄セフィロスを数歩歩けば触れられてしまうくらいの間近で見、視線を交わし、その声をこの耳で聞いたなんて信じられなかった。
それでも目を閉じれば、それが現実にあったことだと証明するように、目蓋の裏にくっきりと黒銀の影が思い浮かぶ。
思い描いていたとおりの涼やかな声だった。想像以上に鋭く冷たい翡翠の瞳だった。
その印象があまりにも強すぎて、セフィロスの姿を認める以前のことは正直あまりよく覚えていなかった。
セフィロスの傍らに見知らぬ人物を見かけたように思うが、その印象は英雄にかき消されてしまいおぼろに霞んでいる。ただその人物と一緒に何故だか火炎が思い出されて仕方なかった。
何かがあった。その人物に絡んで何かが確かにあった。それはセフィロスに会う以前の、自分が覚えていない時間のなかでのことだと、確信していた。しかしいくら考えてもそれ以上のことは思い出せない。
クラウドはそんな自分の頭に苛立ちを覚えた。
思わず自分の頭を殴ろうとした瞬間、脳裏に黒髪のソルジャーの姿が浮かんだ。
『俺、おまえと友達になりたいんだよ』
自分に面と向かってそんなことを言ってきた人間は今まで皆無で、あまりの唐突さに面食らってしまった。けれども嬉しく思ったのも事実だったから、思わずイエスと返事をしてしまっていた。
もう一度大きく肩を揺らしてため息をつく。先刻まで体験していたのは実に半日にも満たない数時間の出来事だったのだが、数年分の心労を費やした気分だった。心なしか肩も凝っている気がする。
ベッドに作りつけのボックスに置いてある置き時計を見ると、すでに時刻は夜の9時を回ってしまっている。この時間ではすでに食堂の利用時間も過ぎてしまっており、必然的に今日の夕食は抜きなのかと、成長期の男子としては非常につらい事実を突きつけられ、クラウドは嘆息した。
空きっ腹をいつまでもそうと意識して抱えているのはつらく、早々に寝てしまおうと思った矢先、部屋のドアがノックされる音が聞こえてきた。
こんな時間に部屋を訪れるのは気心の知れた友人だけであり、そんな友人を特に作っていないクラウドは自分には関係ないことだと判断し、着替えようと着ているシャツの裾を引き出した。そこへ、
「クラウド・ストライフってやつ、此処の部屋で良かったか?」
ドアが開かれる音と共にそんな声が聞こえてきた。それはつい先程まで行動を共にしていた人間のもので、思わずクラウドの顔が引きつった。
カーテンの向こう側で同室者達が騒いでいる声が聞こえる。ざわめきの中、ソルジャーだという単語が耳に届いた。
シャツもそのままに、クラウドは大慌てでカーテンを引き明け、ドアの方を見遣る。すると其処には想像していた人物が立っていた。
「よ!クラウド」
軽く右手を開け、派手なウインクを飛ばしながら歩み寄ってくるのは、黒髪のソルジャーザックスだった。そして何故だか左手には大きなボストンバッグを提げている。
どうしてこんな所に、と思わないでもなかったが、それよりも何よりも同室者達の視線の方が気になって仕方なかった。
落ち着かない様子でクラウドが周囲に視線を走らせるのを認めたザックスは苦笑を浮かべ、クラウドの傍らまで近づくと、用件は早く片付けるのに限るとばかりにその懐から一通の封筒を取り出した。
「正式には明日からだが、辞令が下った」
渡された封筒を慌てて取り出し広げてみれば、それは正式な辞令書だった。
明日付けでソルジャークラス2NDザックス付きの従卒になるとともに上等兵への昇進が決定したこと、そしてそれに伴い部屋も移動になる旨が簡潔に記されている。そしてその文末には流麗な筆致でセフィロスの署名がなされている。この辞令を下したのがセフィロスであることに気づき、クラウドは複雑な気分にさせられた。
「そう言う訳だから、これから部屋の移動したいんだけど、すぐできるか?」
ザックスのそんな言葉にはっと我に返ったクラウドは少々慌てた様子で頷く。ミッドガルに辿り着いて以来、ソルジャーになることを目指して鍛錬に明け暮れる毎日だったから、身の回りの品々は非常に少なく日々の暮らしに困らない程度しかなかった。だから、その気になればすぐに荷造りは終わってしまうだろう。
そんな事情を薄々悟っているのだろうザックスはにっこり笑うと、手にしていたバッグをクラウドに差し出した。
「よければ、これ、使えよ」
さりげなく気遣ってくれるその優しさに思わず涙が浮かびそうになり、クラウドはやや俯き加減になる。
「ありがとうございます、サー」
人前ゆえの固い口調で返された言葉に潜む温もりに、ザックスは笑みを深めたものだった。
◇
この後案内された部屋は上級士官専用の二人部屋で、今までの部屋がゴミため以下に思えてしまうくらい豪華な造りだった。浴室はおろかキッチンまで用意されている部屋を見た瞬間の感動を、クラウドは今でも克明に覚えていたりする。そしてついうっかり、料理はできるのかとザックスに問われ、馬鹿正直にできると言ってしまったのが運の尽き、朝夕の食事を当番制で料理する羽目に陥り現在に至っている。
ザックスと一緒にいるようになってからの一月は、クラウドにとって新鮮な毎日だった。
人当たりの良いザックスの周囲には自然と人が集まり、そんな人物と一緒にいる自分も様々な人と触れあう機会が増えている。
そんな日々を思い起こしてみたが、その間、ザックスの口からスコール・レオンハートという人物についての話は一度もなかった気がする。
そこまで記憶を反芻してみて初めて、クラウドはセフィロスと一緒にいた人物が目の前にいる人物と同じであることに思い至り、自分の迂闊さを呪った。現在の状況を生み出す切欠になった人物を、いくら周囲が慌ただしかったとはいえ、すっかり忘れていた自分を罵りたい気分になった。ついでに何の説明もなしに今の状況に落とし込んでくれた同室者を心の中で罵倒してみたりした。
「・・・俺、何も聞いてない」
小さく呟かれたそれをスコールは聞き逃さず、やれやれという風にため息をついた。ザックスにしてみれば二人をちょっと驚かせてやろうかと他愛もない悪戯心を思いついたつもりなのだろうが、そうされた場合にこちらが全面的に迷惑を被るだろう可能性について少しでも思いついて欲しかったと、つくづく思うスコールだったりする。自分は無論のこと、まず間違いないとは思うのだが、クラウドも普段から口数が決して多い方ではない人間だろうことを、二人がともにコミュニケーション能力に乏しいだろうということを、理解して欲しかった。
二人同時に大きくため息をつく。それが互いの耳に入り、二人は思わず顔を見合わせていた。
どちらも表情をほとんど浮かべていない。しかしそこに困惑の色が滲んでいるのに同時に気がつき、さらに互いがそれに気がついたことに気がついた。そしてやはり同時に軽く目を見開く。
互いの反応があまりに同じ事に、いつしか二人は笑いあっていた。
![]() |
![]() |