第2章:融 和 【1】
屋敷から出ないことを条件として屋敷内での自由行動を認められたスコールは、まずは書斎に入り浸ることにした。
未知の世界にいる以上、絶対的な知識不足は如何ともし難く、いざというときにそれが不利な方向に働きかねない。幸い屋敷の主は自分に協力的であるから、この際それを利用しない手はないと、一番最初に願ったのが書斎の使用だった。
書斎に揃えられているのはあくまでも専門書レベルのものばかりで、それに目を通すだけならばいざ知らず、理解しようとなると困難を極める。だからスコールは、主が帰宅してから就寝まで大抵書斎にいるのを良いことに、相手の生活リズムを極力崩さぬよう気を配りながらも質問を重ねていた。
主の居ない昼の間は本に目を通していたり、使用を許可された範囲内でコンピュータ端末を利用してみたり、もしくは地下に設けられているトレーニングルームで鍛錬を積んでみたり、限られた空間の中でも自分なりに快適な生活を送るスコールだった。
昼間は気の向くまま過ごすスコールだが、夜は主に学習時間に充てた。昼に目を通していて理解できなかった事柄を、セフィロスが疲れていない様子であればこちらから事細かに質問するか、もしくは昼に何をしていたかセフィロスに問われ、それについて互いに意見を述べあったりと、そういう形で知識を増やしていった。そして乾いた土に水がしみこむように、スコールは凄い勢いでこの世界のことを学んでいったのである。
◇
セフィロスの屋敷に身を落ち着けてから一月程が経ったある日、何の前触れもなくザックスが屋敷を訪れた。
以前訪れたときにセフィロス自身の手によって、すでにセキュリティシステムにデータが登録されているザックスの目の前で、屋敷の鍵を持っていないにも関わらず扉が開く。当人はそれに驚くでもなく、軽い鼻歌交じりに書斎へと足を運んでいった。
デスクに堆く積まれた書籍の向こう側にスコールの白い顔を発見し、ザックスは思わず苦笑していた。自分が来たことなどすでに察知しているだろうに、まるで無関心なその態度に少々寂しさを覚えてしまう。
その気配を察したのだろうスコールは、ゆっくりと顔をあげた。
久しぶりに視線を交わす二人。
青灰色の双眸に穏やかな光が宿っているのを見たザックスは嬉しそうに笑みを浮かべた。
スコールが記憶喪失であることも、異世界からの来訪者であることも、すでにセフィロスより聞いて知っている。そんな状態でいきなり未知の世界に放り込まれたスコールが、気も狂わんばかりの悲壮感を漂わせているのではないかと、少々心配に思っていたのだ。それがとても落ち着いている様子でいることに、ザックスは安堵感を覚えた。
「何してるんだ?」
見れば判るだろう事を敢えて尋ねながらデスクに歩み寄り、スコールの手の中にある本の題名に視線を走らせる。途端にザックスの顔が引きつった。
スコールが手にしているそれはマテリアに関する本なのだが、その内容の難しさときたらたまったものではなく、ザックスは非常に苦労させられた記憶がある。今回のソルジャー昇格試験に必須の内容だったので必死になって暗記したものの、未だに理解しきれていない部分があるくらい、それは高度な内容のものなのだ。
どうしてそんな本を読んでいるんだろうと思いつつ、口元を引きつらせて何気なく見遣った本の山。そのどれもが全てマテリアに関する書籍であることを知ったザックスはあんぐり口を開いてしまった。
「これ、何だ?」
高く高く積まれている本を指差しながら尋ねる声が震えている。
スコールは訝しそうに片眉をあげてみせながらも、
「今週の課題」
端的に答え、それで用件は済んだとばかりに視線をコンピュータ端末へ向けた。学習意欲に燃えている現在、他人に気遣う余裕などない。もともと他人への気遣いを不得手とするスコールだから、それはもうとりつく島のない素っ気なさだ。
しかしそれにめげるような神経を持ち合わせていないザックスは、意味不明すぎる言葉に首を捻りつつスコールの背後に回り込み、青灰色の双眸が真剣な眼差しを注ぐ端末の画面を覗き込んだ。
「げっ!」
そこで目にしたあまりの内容に絶句してしまう。
ザックスの気配を間近に感じながらも、スコールはそれを徹底的に無視し、黙々と画面を見ながら与えられた課題をこなしていく。そして時々手を止めると、脇に置いた本の内容に目を走らせ、なるほどという感じに頭を振る。
コンピュータのキーボードの文字自体は全く判らないものなのだが、自分のよく知る文字がそのうえに重なるようにして見えている。しかもそれは、意識して見つめ直せば慣れ親しんだ文字のみが視界に広がるのだ。先程からそれにそって文章を入力している訳なのだが、自動的に翻訳能力が働いているらしく、入力した文字が画面に表示される際にはこちらの文字になっている。勿論画面表示されている文章も意識すれば、自分の慣れ親しんだそれに変換可能だった。
そのうち文字も覚えなければいけないと思いつつも、今はこの世界について色々なことを覚えるのに精一杯で、便利な能力があって良かったなどと、スコールにしては楽観的な判断をしていた。
あれよあれよという間にスコールがこなしていく課題の数々に、ザックスは二の句が継げなかった。
セフィロスによって与えられただろうその課題は、ソルジャー育成用に組まれたカリキュラムに沿った内容で、特に魔法・マテリアを中心に編纂されたそれは、まず間違いなくクラス1STを対象レベルとしているものだった。そしてセフィロスが自ら構成したのだろう、ザックスの知るどんな教本にも記載されていないようなオリジナル的要素が濃厚な内容となっている。
それは、クラス1STへの昇進を望んでいる自分を含めたあらゆる人間にとって垂涎の的の一品だった。
セフィロスが課題としてそれをスコールに与えたのが本当ならば、スコールの実力、才能は間違いなくクラス1STレベルに達しているということだ。
ザックスの双眸がすうっと細められた。そしてスコールに声をかけようとして、不意に止める。何と声をかければよいのか自分でも判らず、一旦開いた口をそのまま閉じた。
ザックスはふと、端末が置かれている側の反対側、つまりはデスクの右側の一角に、大量にプリントアウトされた用紙の山があることに気がついた。興味をひかれたザックスは物音を立てないよう一応は気を遣いながら、プリントの一枚を手に取った。そしてその内容を確認した途端、またまた顔がひきつっていた。
今度の内容は軍事行動時における、つまり軍隊という団体行動時における戦闘理論の展開の応用で、実例としてウータイとの対戦があげられている。
解答として記述されている内容は思わず何度も頷いてしまうもので、きちんとした理論に基づいて記述しているのが一目でわかった。そしてそこには教本の内容をただ丸暗記している訳ではなく、その内容をきちんと理解した上で自分自身の考えも展開されている。ザックスが担当教官だったら間違いなく模範解答として採用するだろう内容だった。
恐る恐るといった感じに、ザックスは次から次へとプリントの山に目を通していくが、どれもこれも戦闘や世界情勢、さもなければ様々分野の高度な学術理論に関する内容ばかりで、日常的レベルでの常識は一切取り上げられていない。
それを知ったとき、ソルジャーは肉体的にも強化された存在であるから通常は身体の不調を訴えることはまずないはずなのだが、あまりのことにザックスは軽い頭痛と目眩を覚えてしまった。
真剣に取り組んでいるスコールには悪いが、このままでは一般常識がきちんと習得される可能性は限りなくゼロに近い。セフィロスが預かるといった時点で、書棚の内容を知った時点で予想して然るべきだったと、ザックスは唸りたくなった。浮世離れした雰囲気の英雄に、ごくごく平凡な庶民レベルでの生活常識など判るはずもなかったと、ついつい反省してしまった。暇なときはちょくちょく顔を出して、一般常識というものを教えてやろうと決意するのに、そう時間はかからなかった。
そうこうするうちに、屋敷の主が帰ってきた。
室内に設えられている壁時計に目をやれば、まだ夕方少し前。
まだ陽もあるうちにこうして戻ってくるのは今までなかったことで、スコールは訝しげに書斎の入り口に佇む男を見遣った。
翡翠の双眸がスコールの背後に立つ黒髪の男の姿を捉える。それがザックスであることはすでにセキュリティシステムに残されているデータから知っていたが、それでもいつもと違う光景に少しだけ違和感を覚えた。
「あれ?今日は早いんですね、サー」
あっけらかんとした口調でそんなことを宣う男に軽く目線をくれてやると、その口がぴたっと閉じた。どうしてそんな反応になるのか理解できないままデスクに歩み寄ると、ザックスは無言でその場から数歩移動する。
「セフィロス、今日は随分早いんだな。何かあったのか?」
取り組んでいた課題を一時中断して端末の電源を落としながら問いかけるが、相手からは返答が返ってこない。珍しいこともあるものだと見上げた視線の先、何処か不機嫌な表情と出会った。といっても、その変化は極僅かなもので、普通の人間が見ればいつもと同じ無表情と評される程度の変化だったが、それでもスコールはそれを見逃さなかった。
「どうかしたのか?」
再度尋ねてみても返答は得られない。言葉を惜しむ傾向の強い相手との会話を成り立たせるのは大変だと、自分のことはすっかり棚に上げ、スコールはため息をついた。
セフィロスは無言のまま、手にしていた革袋をずいっとスコールの面前に差し出した。
スコールは反射的にそれを受け取り、袋の大きさからして嵩張る割に非常に軽いその中身に不審を抱いた。目線で問うても、その唇から声は漏れない。
「開けてみろよ」
ぽそっと背後でザックスがそう呟くのが聞こえた。
広げっぱなしの資料をとりあえず手早くデスクの片隅に追いやり、デスクの中央部分の空間を確保する。そして手の中の袋を開け、中身を一個取り出す。その取り出された球状の物体が何であるのか、すぐにスコールは気がついた。
マテリアなのだ。この世界では希少性の高いマテリアが、無造作に袋に入っているのだ。
慌てて袋の中を確認すると全部で6個入っている。あまりのことに半ば呆然とセフィロスを見れば、微かに口元が歪んでいるのが判った。
「おまえにやる」
先刻までいた研究施設から持ち出してきたそれらを指差し、セフィロスは無造作に告げる。
デスクの上に並べてみれば、緑色のマテリアが3個、青色のマテリアが3個入っていた。そしてそれと一緒に明らかに防具だと判るバングルが1つ入っていた。
「本当はマスタークラスのものをやりたかったんだが・・・」
研究員が認めてくれなかったと、軽く愚痴をこぼす。
いくら人工的に精製できるようになったとはいえ、まだまだ希少価値の高いマテリアを、これだけ無造作に贈ろうとするその態度に、スコールは呆れてしまった。
マテリアを1つ手に入れるのにどれだけ苦労するか骨身に沁みて知っているザックスは、そんな神羅の英雄の態度に絶句するしかなかった。思わず、何考えてるんだこの人は・・・と思ってしまったりもした。
確かに会社側からマテリアは支給されるのだが、それはあくまでも基本的なもの、神羅カンパニーの技術の粋を集めて精製可能に成功したものでしかなく、それ以外の、未だに精製不可能なものの一部は会社側から発行されているカタログを通して申請購入することも可能である。しかし会社側を通して購入できるそれらは特殊性に乏しく、少人数での行動が大前提のソルジャークラスの人間は、大金をはたいて色々な手段を用いてより実践的な性質のものを個人購入するのが常識となっている。
例えばザックスが持っている『れんぞくぎり』のマテリアなどは、先輩ソルジャーの伝手を頼ってマテリアの裏の売買ルートから高額で入手したものだったりする。
レア度が高ければ高いほど、目の飛び出るくらいにその値段も跳ね上がっていくのだ。召喚マテリアで精製可能なものは存在せず、また自然界においてもその存在は希少性が高いため、他のマテリアに比べて破格の値段がついている。
苦笑いを浮かべながら、スコールは緑色のマテリアを1つ手に取る。その途端、マテリアに内包されている知識が流れ込み、スコールは軽く目眩を覚えた。しかしその目眩はすぐに治まり、自分が今手にしているのが『バリア』のマテリアであることを理解した。手の中のマテリアが自分のことを積極的に伝えたかのように、スコールは実にすんなりマテリアの素性を理解した。
マテリアのレベルは3。『マバリア』を唱えるのに問題はない。
『マバリア』というのがどういった内容の魔法なのかはすでに文献から知っていたが、自分の知っている『シェル』と実際にどれくらい効果に差があるものなのか知りたいとそう思った瞬間、脳裏で複雑な魔法陣が一瞬展開された。それと同時に清冽な空気がその身を包み込むのを感じた。
「今、何をした?」
鋭い詰問調でセフィロスが呟く。その眼差しも真剣そのもので、迂闊なことを口にすれば一刀両断されそうな気配が漂っている。
スコールは質問の意図が判らず、困惑気味に自分の手に視線を落とす。するとマテリアが発光しているのが認められた。
「『マバリア』というのが、どんな魔法なのか知りたかったんだ」
自分が今何をしたのかまるで判らなかったが、今何を考えていたのかは判る。だからスコールは端的にそれを言葉にした。
セフィロスも、ザックスも、それを聞いてほぼ同時にため息をついた。
スコールの背後で、ザックスは再度ため息をつき、ぼそっと呟く。
「・・・スペルレス」
しかもマテリア装着なしでかよと、髪型が崩れるのを気にもせずがしがしと頭をかきむしる。
声に誘われるように振り返ったスコールは、紺青の瞳に微かに怯えの色が宿っているのを見逃さなかった。
「スペル・・・レス?」
初めて耳にする言葉にひっかかりを覚え、鸚鵡返しに口にする。
「呪文の詠唱なしに魔法を発動することだ」
動揺を一瞬でおさめたセフィロスは落ち着いた声音で低くそう説明する。
ちなみに、呪文の詠唱が短縮される場合はスペルショートと言われ、セフィロスも下級呪文であればスペルレスで発動させることが可能だったが、詠唱の手間を排除してしまう所為なのか、スペルショートで発動させた時に比べるとその威力は格段に落ちる。
「通常は武具や防具にマテリアを装填しなければ使えないのだがな」
どうやらおまえは特別らしいと穏やかな苦笑混じりに告げられ、スコールはほんの少しだけ安堵し、手にしたマテリアを手の中で軽く転がした。
青灰色の瞳に宿る不安の色に気づいたセフィロスは、目線でザックスを叱責した。心細い思いをしているだろう相手に対してそんな態度はとるべきではないと指摘する。
魔晄色の双眸にこめられた意味に気づいたザックスははっとした顔つきになり、その頬が微かに朱に染まった。異世界の住人なのだから常識の枠に囚われない存在であろうことは判っているはずなのに、己の狭量からそれを覆せず、異能ぶりを見せられる度に驚き怯えてしまう自分に、ザックスは羞恥を覚えた。どうして自分はこうも器が小さいのだろうと、反省せずにはいられなかった。
ザックスが一人自己嫌悪に陥っている間に、スコールはすべてのマテリアに手を触れてみた。『バリア』のマテリアと同様に手にしただけでそれがどんな効果を持っているマテリアであるのか理解できた。
セフィロスから贈られたのは、レベル2の『かいふく』、レベル2の『そせい』、レベル2の『ぜんたいか』、レベル3の『ぜんたいか』が2つ、そしてレベル3の『バリア』の計6個である。そしてそれが装填できる防具『神羅甲型防具改』も一緒だった。防具にはマテリアを装着する穴が連結穴式で計6個あり、それぞれの魔法マテリアに『ぜんたいか』の特性を掛け合わせることができるものである。
ここ数日間の学習の成果を発揮して、スコールは迷うことなく防具にマテリアを装填し、それをシャツの上から右腕にはめた。
「どうしてスコールにマテリアを?」
ふと疑問に思ったことをザックスは口にした。何か確かな意図があることは理解できるが、その意図までは判らない。
「身体に負担をかけさせないためだ」
すぐに答えは返ってきたのだが、それを理解するには情報が足りなすぎた。
「?」
意味不明、しっかり説明してくれよと大きく顔に書くしかないザックスだった。
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