第1章:邂 逅 【2】
全世界に絶大なる影響力を持つ巨大企業『神羅カンパニー』の設立者であり、現在も社長を務めるプレジデント神羅から直々に、セフィロスはあることを申し渡された。
最高権力者の直接のお声掛かりである都合上断ることができず、渋々それに応じたセフィロスは、実に淡々と与えられた任務をこなしていた。
セフィロス。
世界中どこを探しても彼を知らぬ人間はいないだろう超のつく有名人である。
神羅カンパニーの有する巨大な軍隊の膨大な軍人たちから選ばれた、少数精鋭である『ソルジャー』達のなかでも最高の力を有する者。
通常装備の軍隊相手ならば、一個師団は訳もなく殲滅できると噂されるくらい、途方もない戦闘力の持ち主。
それがセフィロスだった。
その実力は他のソルジャーの追随を許さず、またその戦功は数限りなくあり、生きながらに『英雄』と称されるのに遜色のないものだった。
すでにトレードマークとなっている黒の戦闘服に身を包み、銀糸とも見紛う銀灰色の長髪を靡かせて歩く様はあたかも夢のごとく、見る者総ての心を奪いさるに足る光景だ。たとえ無表情でも、類い希な容姿の美丈夫がどうどうと歩く姿は一幅の絵を見るようだった。
自分の一挙一投足へ無遠慮に注がれる羨望の眼差しの数々に、セフィロスは内心嘲笑を浮かべていた。神羅の手によって作られた偶像に憧れるその心理に、嗤いを感じずにはいられなかった。
一年に一度の割合で行われる、講習会という名目のアピール行為。
一般兵からソルジャーへ昇格したばかりの彼らに檄を飛ばし、おのれもあの英雄のように強く在れるのだと錯覚させるのが、今回セフィロスに与えられた役目だった。
神羅は絶対『正義』なのだと、あの英雄セフィロスがいる『正しい』企業なのだと、強く印象づけるための茶番劇。
それに踊らされている大部分の人間にも、それを知りながらそれに乗せられたままでいる自分にも、セフィロスは我慢ならなかった。だが、それでも神羅のなかでしか生きられない自分というものを知っているセフィロスは、ただ一連の出来事を冷めた眼差しで眺めていた。
決められた台本があるかのように、例年と一言一句変わらない檄を飛ばしたセフィロスは、ごくあっさり壇上から踵を返した。
壇上から降りる途中、ソルジャー・クラス2NDの列にいる者が一人、陶酔の色を浮かべて陳腐な演説に聴き入っている周囲とは違う反応を見せていた。
いつも判で押したように同じ反応を返してくるだけの周囲に興味を無くしていたセフィロスだったが、今目にした光景にひどく心惹かれ、その人物を特定しようと、純粋な魔晄と同色の、輝きを纏う翡翠色の瞳をそちらに向ける。
その眼差しがすうっと細められた。
そんなセフィロスの鋭い視線に動じた風もなく、きちんと見返すその瞳、通常のソルジャーたちが持っているうっすらと自ら光を放つ蒼い瞳には、どこか楽しそうな色が漂っていた。
相当にこしが強いのだろう黒髪は奔放にはね、一種独特の、つんつん角が生えているような、ハリネズミのような髪型を構築していて、一度見たら忘れられないヘアスタイルだった。また、意外に若く、その顔立ちは街角に佇めば女性が放っておかないくらいに整っていた。
恐らくは二十歳前後と思われる青年は、セフィロスの鋭い視線に臆することなく不敵に笑う。
交錯する視線。
セフィロスは久しぶりに面白いと思った。こんな腐った世の中でもまだまだ捨てたものではないと思った。本当に久しぶりに、そう思っていた。
ふと、異様な気配を感じ取り、セフィロスは険しい顔つきで気配が漂ってくる方角へ視線を投げた。視線の遙か遠方で、何か異様なものが膨れあがっていく気配がする。
黒髪のソルジャーもそれに気づいたらしく、セフィロスと同じ方向を訝しそうに見つめている。
それを横目で知ったセフィロスは不敵に笑うと、おもむろに壇上から飛び降りた。その降りざま、
「行くぞ!」
唯一自分と同じ反応をしてみせた相手に一声かけ、後は後ろも見ずに走り出す。
一瞬、英雄から直接声をかけられたことに瞠目した青年は、にやり口元を歪めるとすぐさま後を追いかけるのだった。
状況についていけなかった周りの人々は、目の前を駆け抜けていく黒銀の残像を呆然と眺めていた。
「おまえ、バイクには乗れるか?」
先行したセフィロスは何を思ったのか、不意に立ち止まった。その横へたどり着いた途端投げつけられた台詞に驚きの色を浮かべた青年は、すぐさま相手の言わんとすることを理解した。
「鍵さしっぱなしの奴、こっちにあるぜ」
黒髪を翻し、今度は自分が先行する。
小気味よいその反応に、セフィロスは微かに微笑んだ。
◇
雑然とした路地裏を高速で移動するのにバイクはちょうど良かった。
運動性の高さを生かして次から次へと路地に入り込み、気配の感じられる場所への最短距離を進んでいく。
轟くバイク音に身を任せて、二人はビルの林立する町並みを疾駆していた。
異様な気配を追って、二人はいつしか治安の悪いスラムと呼ばれる地区へたどり着いていた。
神羅カンパニーのお膝元でありながら、その支配から逃れようと足掻いている愚かな街。
それがスラムだった。
雑多な町並みは、神羅の提唱する復興支援活動から見放されてしまった証。
そんな街で暮らしている人々の表情は暗く、眼差しに希望の光は見られなかった。
神羅の支配を良しとせず、神羅に反骨精神を掲げて活動していた者たちの潜んでいる場所。
しかし度重なる神羅の掃討作戦に、今ではすっかりその形を潜めていた。
区画整理のなされていない町並みはとことん入り組んでおり、それに合わせるかのように道幅もどんどん狭くなっていく。
これ以上バイクで進むのは無理だと判断した二人は、無造作にバイクをその場に停車させた。そしてスタンドを立てて鍵を抜き取ると、そのままバイクを放置してしまい、すたすたと問題の方角へと歩み出していた。
神羅カンパニーのマークが入っているバイクを盗もうなどという、愚かな勇気の持ち主がいるとは微塵も思っていなかった。万が一盗まれたとしても、神羅カンパニーのマークが入っている、カンパニーの持ち物であることがあからさまに判るそれを、買い取り転売する勇気のある者はいない。盗難などあり得ない話なのである。
通路は複雑な迷路を思わせたが、二人は躊躇うことなく歩んでいく。
一度感知した気配を見失うことはないと、二人は確信していた。たとえ気配そのものが絶たれてしまったとしても、再び出会えばすぐにそれと知れると、確信していた。
一度覚えてしまえば、二度と忘れることのできないくらい異様な気配なのだ、それは。今まで一度として体験したことのない空気だと、セフィロスは感じていた。
ちらり、すぐ横を歩む青年を翡翠の双眸が向けられる。
青年の頬には闘志が漲っていた。
「おまえの名は?」
ぽつりセフィロスは呟き、呟いてから内心驚いた。自分のうちに生じた情動が、俄には信じられなかった。自ら他人に感心を寄せることなど今まで数えるくらいしかなかった。その自分が自ら名前を尋ねたのだ。驚くのも無理からぬことだろう。
名を問われた青年は少しばかり照れくさそうに笑いながら、言葉を返す。
「俺は、ザックス。ソルジャー・クラス2NDだ。よろしく。サー・セフィロス」
あんたの名前は知ってるよと言外に告げた。
自分相手に何の気負いもなくさらりと言葉を口にしてみせるその反応が新鮮で、セフィロスはもっと言葉を交わしてみたいと強く思った。
「どう思う?」
端的なその言葉。しかしその口調の強さが心情を補ってあまりある。
作戦時以外、自らはあまり口を開かぬ人物であることを知っているザックスは、それを覆すように次々と話しかけてくる相手に心底面白いと思った。
「どうって、どうよ?俺、こんな変なの初めてなんですけど」
質問にわざと質問で返しつつ、その歩みをぴたっと止めた。一瞬で笑みを消したザックスは、怖いくらい無表情になっていた。無論、セフィロスもすでに立ち止まっている。
目の前にそびえる雑居ビルのすぐ脇の路地。
何の変哲もないように見える空間から、間違いなく異様な気配が漂ってきていた。
二人は無言のまま素早く自分の装備を確認する。
本格的な戦闘を繰り広げるには少々心許ないが、それでも戦闘に十分耐えうる装備であることを確認した。
例年通りのカリキュラムに沿って講習会は行われる予定だったため、演説が終わったらそのまま模擬戦に入る手はずになっていた。そのため、前もって必要最低限の装備が整っていたのだ。
セフィロスの手には愛刀正宗が、自身の身長よりも遙かに長い片刃の太刀が握られており、ザックスはその背にバスターソードを、恐ろしく刀身の幅が大きい片刃の大剣を背負っている。そしてそれぞれマテリア穴にはマテリアが装填されていた。
マテリア、それはこの世界で自由に魔法を行使するために必要不可欠なものであり、滅多なことでは手に入れることの叶わない貴重なアイテムである。そしてそれをほぼ独占しているのが神羅カンパニーであった。
ザックスは背中から大剣を抜き取ると、しみじみ刀身を見つめる。この大剣は通常のバスターソードよりも格段に攻撃力の上げられている特注品なのだ。そして刀身に装填されているマテリアを軽く指先でつつき、嬉しげにその目を細めた。本日めでたくクラス3RDからクラス2NDに昇進が決まり、それに伴い大剣もマテリアも新しく支給されたものなのである。早くその威力を試してみたくて朝からうずうずしていたのだ。
ざっと装備を点検し終えた二人は互いに目配せすると、一気に目的の場所へ詰め寄ろうと動きかけた。
その瞬間、まるでそれを見透かしていたように異様な空気は一瞬にしてかき消え、その代わりに別の気配が広がった。
新たに感じられるのは、なじみ深い魔力の波動。ソルジャーである彼らにとっては日常的ですら在るその気配。
しかし、その波動の強さは信じられないくらい強力なもので、検知したと思った次の瞬間にはそれは解放されていた。
魔力の波動を検知してから術として放出されるまでの時間はほんの僅か。
それが物語る事実に、ザックスは思わず生唾を飲み込んだ。
魔法の発動時間が短ければ短いほど、魔法の行使者の魔法適性、魔力相性は優れていることになる。そして行使できる魔法の強さはこの二点に依存するといっても過言ではなかった。
魔法適性とは、魔法を使用することに対する適性能力のことで、これが優れていると魔力を高めるのがより容易になる訳なのだが、一般人はこの能力が低いため、なかなか魔法発動までには至らない。そして魔力相性とは、魔法の源となる力との相性のことで、魔法を使用する際、魔力を一旦体内に蓄積しなければならない関係上重要な点となる。また魔法には属性という概念があり、この属性との相性も含まれる。これが優れていると一度に引き出せる魔力の量が増大し、またその効果も増大する。
魔法を行使する際、マテリアから魔法の源となる魔力を引き出し、その引き出した魔力を練り上げてさらにその密度を高めていき、魔法の発現可能なレベルにまで魔力を自分の体内へと蓄積する。そしてこれから行使しようとする魔法をイメージしながら、例えば冷気系の魔法を使用するならば脳裏に氷のイメージを強く思い描きながら、放出する、というプロセスを経なければならない。これにはそれなりの時間とかなりの精神集中が必要とされる。
通常は魔法を使用する際に行う呪文の詠唱により一連の作業を実行している訳なのだが、強力な魔法を行使するには膨大な魔力が必要となり、結果より長く呪文を詠唱しなければならなくなるのだ。
魔法の発動時間が短いということは、魔力を高めるのに要する時間が短い、つまり強力な魔力を引き出すのに時間を浪費しないということになる。また、強力な魔法を行使するのにさほど時間を要さないということになるのだ。
魔法適性、魔力相性を総括して魔法キャパシティと言い、これが優れている者は往々にして呪文詠唱を簡略化できる傾向にある。セフィロスもそのうちの一人であり、彼の場合は下級呪文程度ならば属性を決定する魔法名を唱えるだけで良かった。
問題の路地から、巨大な火柱が立ち上るのを二人は目撃した。
唱えられたのは火炎呪文のファイア系。それも間違いなく上級呪文のはずだ。
これほどまでに強力な魔法を短時間で行使できる人間といえばかなり限られてくる。
そんな人間がどうしてこんなところにという疑問が心をよぎったが、セフィロスはそれを黙殺すると、無防備としかいいようのない仕草で路地へと歩を進めた。
「おい!」
あまりの無造作加減に反射的に声をかけてしまうザックスだったが、セフィロスはそれを完璧に無視し、路地へと姿を消してしまった。
追うべきか否か、少し悩んだザックスだったが、
「畜生!」
軽く舌打ちしながら自らも路地へ飛び込んでいった。
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