あれからそれほど時間は経っていないはずなのに、遠い昔のように感じられる。あの時の自分は何て前向きだったのだろうと、苦笑が浮かんだ。自分のために命をかけてくれた二人のためにも精一杯生き抜いていこうと、彼らの命の重みを背負っていこうと考えていた自分が、とても懐かしかった。
あの日、ぽつんと浮いた黒子のような痣。
それは星痕症候群の発症を知らせるそれだった。自分の命に制限がかけられたことの印だった。
自分が贖わなければならない罪はあまりにも大きく、それから目を逸らして今まで生きてきた事に対する罰のような気がしてならなかった。
その刻印は日々濃く大きくなっていき、もう間もなく自分の存在を世界から消し去ってしまうのだろう。
それでもいいかと、クラウドは思った。このまま誰にも知られずひっそりこの世を去るのも悪くないと思った。それだけのことを自分は過去にしでかしたのだから、当然だと思った。
暗くなっていく思考を追い払うように頭を振ったクラウドは、手にしたままだったマテリアを箱に戻し蓋をした。その口元には苦い、苦い笑みが刻まれていた。
このまま何時までも起きているわけにはいかない。明日の配達は少々遠いところを回らなければならないのだ。それに、出発前にはバイクの洗車もしなければならない。
明日踏破しなければならない距離を思った唇からため息が洩れる。
立ち上がったクラウドは寝床にしている敷布の所まで戻ると、寝るのに邪魔になってしまう装備品を総て外し身軽になった。
外した腰のパウチから携帯を取り出し、汚れた包帯を放り出していた箱の上に置いていたカンテラと一緒に敷布の近くに並べて置く。
暗闇は嫌だったからカンテラは点けたままにし、敷布の上にごろんと転がった。しかし脳が興奮してしまっているのか、眠りはなかなか訪ずれてくれず、脳裏に実に様々な人の顔が浮かんでは消えていった。そのなかには思い出すと胸が痛んで仕方のないものまで含まれていて、クラウドは思わず下唇をきつく噛んでしまった。
自分が犯した罪をまざまざと思い出させる人たち。それでも今でも愛おしくて忘れることなんて決して出来ない。
クラウドの唇が、声に出さずその名前をそっと紡ぎ出す。
その頬を、涙が一筋伝い落ちた。
明日の朝は早いからもう休まなければと、クラウドは冷え切った敷布の上で毛布を頭の上まで引き上げた。
◇
ミッドガル近郊の配達を済ませた時点でとっていた休憩中、何気なく確認した留守電に今日これから予定していた荷物の配達数件分をキャンセルする伝言が残されていた。
突然出来てしまった空き時間をクラウドは持て余ししばらく途方に暮れたが、どうにか気分を切り替えて、これからのことをどうしようか考え始めた。そんなところへ、携帯の電話が不意に鳴り響いた。
いつもの通り電話には出ず、留守電へメッセージが残されるのに十分な時間が経ったのを確認してから携帯の画面を立ち上げる。案の定、誰かのメッセージを預かっている旨の通知が画面に表示されていた。
留守電に吹き込まれていたティファのメッセージに従ってヒーリンロッジまで足を運んだが、結局のところたいした情報が得られたわけではなく、半ば以上徒労に終わっていた。
ルーファウスから得られたのは自分を襲ったのが『カダージュ』という人物を中心に据えた正体不明の集団で、何を目的に活動しているのか今のところ詳細不明だということだけだった。
そんな心許ない情報と引き換えに自分はわざわざ出向いたのかと、少しばかり自嘲したい気分になった。
ロッジのすぐ近くに停めておいた愛車のエンジンをワンキックでかける。そしてそのエンジンがきちんと暖まったのを確認してから愛車を発進させた。
ミッドガルへ戻る道すがら、ふと、カダージュと呼ばれた人物が居た丘が、あの丘であることにクラウドは気がついた。あの時確かにカダージュと視線を交わしたと思ったのに、そこにあるべきものがなかったことに気がついた。
自分のためにその場で命を落とした男の墓標として、自分の大切な親友の形見として突き立てたはずのバスターソードが、あの少年と視線を交わしたとき、なかったのだ。
それに思い至ったクラウドは急いで問題の丘へとバイクを向かわせた。
丘にたどり着いてみれば案の定、バスターソードは地に倒れ伏していた。
それを見た瞬間、クラウドの顔が強張り、硬直した。
剣は倒れている。
剣は力なく倒れている。
それは、あの日のことを思い出させるような姿で、これ以上直視していられず、クラウドはぎゅっと目を瞑ってしまった。
その白い面貌からはみるみるうちにすうっと血の気が引いていった。その唇はきりっと噛みしめられ、両の手もぐっと握りしめられる。どれほどの力が籠もっているのか、その拳は僅かに震えていた。
唐突に訪れた激しい感情は、疲弊気味のクラウドの心身を打ちのめし、突き落とす。
心身を責め苛む感情の嵐に耐えきれず、クラウドの唇から苦鳴が洩れた。どこまで耐えれば何もかも楽になれるのかと、クラウドは一瞬泣き顔を浮かべていた。
身の内を荒れ狂う感情がある程度静まるまで、クラウドはその姿勢のまま、その場に佇んでいるしかなかった。
やがて精神的な落ち着きを取り戻したクラウドは、疲れきった顔のまま元凶である剣を地面から攫うと、改めて大地へと突き立てた。
その衝撃で、前回来たときに手向けた花の花弁が、風に乗って荒野へと飛んでいく。
以前と変わることのない、ミッドガルを見下ろす古びた剣。
かつてこの地で今と同じように、親友の墓標としてこの剣を突き立てた日の誓いが、思い出されて仕方なかった。
クラウドを守るためにその命を捧げた親友。
その想いに報いるためにも、自分は彼の分まで生きることを、クラウドはこの剣と、そして自分自身に誓った。
自分はそのつもりで時を過ごし来たけれども、もう自分はこれ以上それを叶えられそうにない。そのことが、クラウドの心に重くのしかかる。
「おまえの分まで生きよう。そう、決めたんだけどな・・・」
クラウドのそんな切ない呟きは、荒野を吹き抜ける乾いた風に攫われ、消えていった。
ふとその脳裏に、親友の在りし日の姿が蘇る。
記憶の中の彼は何時も明るく、クラウドを見つめている。
ソルジャーになりたいと、自分の夢を告げた時暖かくそれを励ましてくれた。
乗り物にとことん弱い自分を気遣って、俯く自分の顔を心配そうに覗き込み労ってくれた。
意識の定まらない足手纏いの自分をそれでも見捨てず、返事の返せない自分に気を悪くするでなく話しかけてくれた。
そして、自分のせいで彼の人生が終わってしまった最悪で最後の時間。
彼は最後まで自分を気遣い『逃げろ!』と叫んで散っていった。
次から次へと思い出されるそれは、クラウドにとって優しさと痛みを同時にもたらす、忘れることの出来ない思い出たちだった。
懐古と後悔が複雑に絡み合ったその思い出にノイズが走り、記憶にまるでない顔、忘れたくても忘れられない顔、そして未だ思い出にはなりえない風景が、フラッシュバックのように入り込んでくる。
彼の明るい表情は遠く消えゆき、思い出したくない翡翠の瞳が目の前にちらつき、クラウドは顔を顰めた。
どくんと、左腕がうずく。
目の前の風景が歪んで揺れる。
通常の発作とは異なるそれに、クラウドは絶望的な気分になった。
呼ばれている。
自分は、誰かに、呼ばれている。
この感覚を、確かに自分は知っている気がする。
クラウドは左腕の疼きに耐えきれず、その場に膝から頽れた。
◇
どうにか教会にまで帰ってきたクラウドは、日常の空気が自分に返ってきた安堵に表情を緩めた。
バイクを定位置に停め、何時も通り身体を休めるために教会の扉を開ける。
非日常的な出来事を体験した身体には、澱のように疲労感が溜まっている。そのせいもあって、祭壇の方へ向かうその足運びはいつもより重く感じられた。そしてそれ以上に精神面にかかった負荷は大きく、クラウドの表情は暗く沈みがちだった。
そんな気分を少しでも浮上させようと、教会の一隅で逞しく咲き誇る花々を、彼女が育てていた花を眺めようと歩を進めた。
ふと、いつもより花の香りが弱いことに気がついた。
その違和感のままクラウドが蒼い瞳を上げれば、その先に花に埋もれるようにして倒れている人の姿が映った。
慌てて駆け寄り助け起こしたクラウドはその顔を覗き込む。
倒れていたのは、ティファだった。
誰と闘ったのか、ティファの両手には戦闘用のグローブがはめられている。
「ティファ?」
意識を喪っているその身体を両手で抱え起こしながら名前を呼んでみるが、意識を取り戻す気配はない。
「ティファ!!」
手荒く身体を揺すぶってやっとティファが低く呻いた。
「遅いよ・・・」
クラウドの耳にそんな呟きが聞こえる。小さな囁き程度なのに、その言葉は鋭くクラウドの胸を切り裂いた。しかし今はそれに拘泥している場合ではなく、クラウドは痛みに顔を歪めながらも、
「誰がやった?」
未だに意識が朦朧としているティファに問いかける。彼女を襲ったのが、カダージュの仲間であることを半ば予想しながら、それでも日常が壊れてしまったことを否定したかった。
「知らない奴」
しかし返された答えはクラウドの思いをあっさり裏切る。
目眩を覚えながらどうにか上体を起こしたティファは、自分が遭遇した敵について思考を巡らす。そして自分が大事なことを忘れていたことに気がついた。
正体不明の敵の手に自分が落ちかけたとき、一緒に行動を共にしていた少女は果敢にも敵に相対した。そこまではティファの記憶に残されている。そして聞こえた『クラウド・・・』という言葉。自分は確かにその時逃げるよう少女に促したけれども、その後の記憶が一切なかった。
マリンが敵に攫われたことに思い至ったティファは、
「マリン!?」
そう鋭く叫び、立ち上がろうとしたが、敵に受けた攻撃によるダメージは小さくなく、再び意識を喪ってしまった。
大体の事情を察したクラウドは、ふと、嫌な予感に囚われた。カダージュの仲間が此処に現れた理由がとても気になった。
何か目的があったはずと周囲を見回せば、無くなっているものがあることに気がついた。
ユフィに託されたマテリアの入っている箱。
それがものの見事に無くなっている。
『私が受け取りに行くまで、ちゃんと預かっててよ』
下手なウインクと一緒にそう宣ったユフィの姿が浮かぶ。
『約束・・・だかんね!』
だめ押しのように腰に手を当て、自分の鼻先に人差し指をつきつけて、そう笑ったユフィの姿が浮かぶ。
あの時、自分は何と応えた?
『判った』
そう言ったのではなかったか?
『待っている』
そう告げたのではなかった?
自分はまた約束を守れなかった。
自分はまた約束を果たせなかった。
「くそっ!」
思わず口汚く罵ってしまう。正体の判らない敵に向けて、交わした約束を満足に守ることのできない自分に向けて、クラウドは舌打ちした。
どうしたら現状を打破できるのかと思考を巡らせようとした瞬間、左腕に激痛が走る。それにあわせて黒い膿が腕を伝い滴り落ちてくる。
未来へ向けられようとした思考を遮るかのように、その痛みは徐々に強いものへと変じていく。
目の眩むような痛みのなか、クラウドの脳裏に翡翠の瞳がフラッシュバックする。
思い出したくない、忌まわしいものを象徴するそれ。
震える唇が、一つの名前を形作る。
『・・・・・・セフィ・・・ロ・・・ス』
それに誘われるように、銀糸の髪に縁取られた顔が翡翠の瞳を輝かせて、すうっと笑みを浮かべ、声なき声を伝えてくる。
『クラウド・・・』
自分へと呼びかける彼の声が、聞こえる。
クラウドは自分が未だ過去に囚われていることを知った。
今まで以上に激しい痛みが心身を責め苛み、クラウドは抱えていたティファとともにその場にどおっと倒れ込む。
意識が暗闇に引き込まれていくのを、クラウドはどこか人ごとのように感じた。
クラウドの心が未来への流れを捉えることは、未だ叶わず。
彼の心が解放されるのは、今しばらくの時を必要とする。
END
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